庭のこのみ「無用の用」

ところせましと庭に樹木を植えてしまう人がたまにいる。

それは庭のあるじの自由だし、個人の好みでもあるだろうから、私は口を挟まないようにしているけれど、明らかにまずい状態になっていることが多くある。


樹木が光合成によって生きていることは、中学の生物でも習うことだし、小学生が知っていたってちっともおかしくはないことだけど、大人になると忘れる人があるようだ。

樹木にはそれぞれ「葉張り」というものがある。簡単にいうと、日光を効率よく集められるように、枝が自然に伸びていく、その領域のことだ。

(それは庭師の手によって容易に拡縮されるものではあるけれど、樹により、場所により、環境により、最適な形というものがあるし、それを考えるのが庭師本来の仕事だろうと私は思う)

しかし過密に植えられてしまった庭では、そうもいかない。

「自然に伸びる」などと悠長に構えていればその樹は枯れる。つまり「死ぬ」のだ。生存競争に敗れて。


花ざかりの桜並木ではわからない、花のうつくしさや舞い散る花びらのはかなさに酔っているうちは、まるで見えないものがそれらの花のかげにある。

新緑の時季におなじアーチを見あげてみれば、枝々の苛烈な制空権あらそいが、そこにはっきりと見えるだろう。

車道をはさんで、右の枝も左の枝も、おたがいにぶつからないように、重なってしまわないように、絶妙な均衡を保ちながら枝葉を伸ばしているのが見える。

植えつぶしてしまった庭では、そうした協定を結ぶ余裕などなくなり、せまい庭の中で日光をかけてせめぎあう枝々のいさかいを惹き起こす。


そのいさかいは地上にとどまらず、地中では根が、庭の限られた土壌の奪い合いをくりひろげる。それぞれの根がからみあい、土中の水分や養分を奪い合う。

小さくせまい世界で自分の土を守り、花を咲かせ実を落とすには、他と闘わなければならなくなる。

限られた日光をもとめて、ひたすら高く空へ徒長枝をのばし続けて体勢をくずすものもあれば、わずかな日照時間のなかでより効率をあげるために葉の一枚一枚を大きく引きのばすものもあり、それぞれの工夫でその姿をかえて生存をもとめる。本来の葉張り、本来の姿を失っても。

それを見て庭の主が「きたない」と言ってのけるのを、私は腹の中では許していない。


すこしでも空間があくとなんでも植えたがる人は、少なくない。そういう人はみな一様に「木が好きだから」というけれど、私からするとその理屈はおかしい。

好きならこんなに苦しい思いをさせるべきではない、と思うのだ。

依頼を受ければ、苗木を探してきて植える、ほんとうはそれだけでいい。でも私は場合によっては断ってきた。すでにそこに立っている樹と樹のあいだに植えようとしたりする人が多いから。

そこにはすでに根がびっしりとめぐっていて、掘り返せばそれらの根は断裂し、樹木が弱る。それでもいいのですか?と聞く。

そういう人は、自分の植えたいところに恣に植えては枯らし、伐ってはまた植えをくりかえしている。私はそういう庭が好きではない。


私は余白のゆたかな庭が好きだ。

樹木の特性にかなった場所に、適度な距離をたもって配植し、それぞれが自由に枝をのばすことができるだけの、余白のある空間。

楓は楓のみやびを保ち、松は松のすがたで映え、日陰には陰樹がすくすくと育ち、派手な役木から地味な根じめの下草まで、すみずみまで、水が、光が、栄養がいきわたるような庭。うつくしくめぐる庭。


そういう庭は、おおむね「どこか」欠けている。

植えつぶさずにいられない人が見れば、あそこに一本、あちらにもう一本、と追加したくなるだろう。けれどその空白には意味がある。それらは光の道だし、風の道にもなっている。それは庭の木々を守り、庭の環境を守り、そこに棲むすべてのものに必要不可欠な道になる。


そこになにも「ない」からこそ、「ある」うつくしさを感じられる。

すこやかなみどりを萌えだす凛々しい黒松の枝葉のむこうに、無を、空を、感じられるからこそ黒松がそこに生きられる。


「ある」だけしかなくなれば、その瞬間になにもかもがなくなってしまう。

楽器の「ない」を「ある」でふさげば、そのうつくしい音色は絶える。

容れ物の「ない」を埋めてしまえば、そこにはなにも容れられない。

「ある」ことばかりを尊び、それを競い、ひけらかし、奪い合う、そういう庭は、私には五月蠅い。


木には木の、人には人の、距離が要る。

群れた木々は、互いにもたれて同化して、風が通らず光も届かず、蒸れて腐れて枯れて果てる。

私はそういう木を何十本と見てきた。

また、そういう人を。


もたれあいを拒み、奪いあいを避け、矜持にひとしい距離をもち、

風が通り、光が踊り、日陰は日陰のままでうつくしく、

おびただしい生がそこに循環し、誰もが孤独で、誰もが無駄ではない、

そして土中の水でそれらはやさしくしずかにつながっている、

私の好きな庭は、そういう庭だ。



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