金明竹

えぇ、どうも、このたびはお呼びいただきまして、まことにありがとう存じます。

鳴かず飛ばずの、駆け出しの噺家でございますので、お呼びがかかりさえすれば節操なく、どこへでものこのこと出て参ります…

えぇ、こういった小さな居酒屋に即席の高座をしつらえてやらせていだたくなんてのも、まァ慣れたものでございまして

しかしあれですな、出番の来るまでそちらの厨房のおくで待たせていただいておりましたが、お話の内容から拝察するに、出版業界のお集まりで?〇〇文庫ですとか、そういったような単語が飛び交っていらしたようですが

えぇ、はァ、ユーチューバーさんでいらっしゃる、ほゥ、それはそれは、耳にしたことはございますがね、実際ユーチューバーさんにお目にかかるのは、これが初めてでございますな

「文学ユーチューバー」とおっしゃる、…はァ、左様でございますか、文学を書いて発表しておられるのですか、…ヘェ、そうではなくて、文学を紹介していらっしゃるのですか、はァ、それはそれは、ごくろうさまでございますな

近頃はなんでも「ビジネス」ですなァ、どんなものにも需要というものがあるようで、結構なことでございますナ


えェ、あたしも多少は読みますがネ、そんなに熱心な読書家ではございませんで、さきほどまで飛び交っていたような本の題名なんてものァ、からっきし存じ上げませんで、お恥ずかしい限りでございますな

まァ、これでも噺家のはしくれでございますので、読むというよりは語るほうでございますから、言ってみれば読者というよりは筆者のほうに近いのかも知れませんな


へェ、何を読んできたか、でございますか…そうですなァ、薄田泣菫だの、明石海人なんぞが好きでよく読んだ記憶はございますな、アラ、ご存じない、まァ仕方ありませんな、厨房からお話をうかがっていましたら、海外の作家の名前が頻繁にあがっておりましたから、まァ読書家とひとくくりに申しましても、それぞれの分野というのがあるンでございましょうねェ…


えェ、本日は、ここへ来るまでは『金明竹』という噺をやらせていただこうと思っていたンですがね、どうもみなさんお若いようで、古典なんぞやるよりァ、どうでしょうね、厨房で待っている間にこしらえたあたしの即興の話なんざ、如何でしょう

よろしいですか、左様ですか、それでは。


えェ、世の中には、「美食家」といういい加減な肩書の人間がちらほらとおりますが、…それが個人の趣味でまァいわゆる「食道楽」だってンなら害もないンでしょうがね、それを商いにしている連中がおりますな

自分ではろくに料理もできやしない、塩とまちがえて砂糖をいれるような連中でございますからね

そのくせ「あぁこれは〇〇産のほにゃららだねえ」だとか「これは〇〇風の味つけを気取っているようだが、フン、まだまだだね」だなんてなことをネ、こう、したり顔で当然のことのように言ってのけるわけですから、厨房の料理人たちを閉口させるにァ充分すぎるようでございますな

またそれが、店の外装だの、食器の種類だの、ワインの注ぎかただのと、目につくものすべてに及んで、しかもその「評価」がメディアに大きな影響力をもつって言うんですからネ、料理人の身になれば、これはたまったモンじゃございませんな

「因縁つけるのァよせやい!」と言いたいのをぐっとこらえているわけですからナァ


…まァ、今日は文学の話で盛り上がっているわけですからネ、これをひとつそちらで例えてみましょうか、「美食家」と「料理人」…さしづめ「評論家」と「作家」でございましょうネ

作家は、自分が美味しいと思う料理を懸命にあみだし、その腕を磨き、道具をととのえ、材料を吟味して、…そうしてひとつの料理を生みだすわけですが、評論家はそれらをチョイっと一口食べて、「ははぁん」などと言いながらネ、「これは〇〇主義的な小説だ」とか「○○を表しているのだろうネェ」などといって、やはり作家を閉口させるわけですな


えぇ、とある若い作家が、友人である若い評論家のそういった言動に心底辟易してしまって、ある日、ホームレスたちにむけて炊き出しが行われている公園に、評論家の彼を誘いだしたそうでございます

まァ、その道中でもネ、「君の新作はアレだねェ、〇〇主義的な方法でもって、△△を描いたものなのだろうが、あれは〇〇の代表的な作家××が、好んで用いた手法なわけだけど、あれは実際半世紀おくれといってもいいだろうネ、ほら、それを□□(別の作家)は作中でこう否定しているじゃないか、いわく…」

と、のべつこんな調子で、こちらから頼みもしない評論を続けていたそうで…

これが作家同士であれば、切磋琢磨ということになるンでしょうが、評論家の彼は大学の論文くらいしか書いたことがないってンだから、始末にわるい


公園につくってェと、作家はベンチに腰をおろして、評論家を隣に座らせて

「あれをごらん」と炊き出しの行列をゆびさした

評論家は熱弁をさまたげられて、チョイと不機嫌な顔をしていたけど、作家は構わず話しはじめた

「いいかい、作家というものは、料理人みたいなものだ。けどね、その文章の対象は美食家ばかりではないんだ。なかにはそういう料理人もいるだろうが、たいていの作家はやはりそうではないとぼくは思う。

自分が美味しいと思うものを追求して、それをゼロからつくりあげて、それを食べたいという人たちに届くように努めているわけだ。

それぞれの思想を鍛え、信条を磨き、それを文字に言葉にすることに身を捧げる、それだけの覚悟と矜持をもって料理さくひんをつくっている。

しかし君たちはどうだ、それをすべて食べることすらしないだろう。ほんのひとくち食べただけで、そのテーブルにまだ並んですらいないすべての料理を判断しようとするんだ。そして料理人の腕に評価をつける、星がひとつ、ふたつ、みっつ、というように。

その「星」をよろこぶ料理人が少なくないだろうことは認める、誰でも作品を褒められて不貞腐れるものはないよ。しかしね、料理人がほんとうに喜ぶのはね、「うまい、うまい」と言って食べてくれる人の存在なんだとぼくは思うよ。

「たいしてうまくはなかったが、腹はふくれた」とか、全部平らげたうえで「この味つけはまずかった」とか「材料がちょっと合わなかった」などといわれるのはむしろありがたいことでね、それは次の料理をつくるための最高の材料になることはまちがいないんだ。

せっかく作った料理をろくに味わうこともせず、ほかの料理と比べて点数をつけて、世に喧伝する、というのは、いったい誰の役に立っていると君は思う?

いいかい、君がふだんからぼくにしていることはね、この炊き出しの行列に並んでどこぞの高級料理とくらべて点数をつけようとしているようなものなんだよ。

ぼくは高級料理をつくっているわけではない、むしろこの炊き出しで出される豚汁のようでありたいと思っているのに、君は三ツ星フレンチなんぞと比べたがる。

蝶ネクタイをしたチョビ髭のグルメリポーターが、このホームレスの行列にならんで豚汁に点数をつけようとしているのを見たら、君はきっとそれを笑うだろう?

ぼくなら激昂する。

この豚汁を「うまい」と思って食べてる連中の眼にはそれがどう映るだろう?

つまりぼくが言いたいのはね、食うなら黙って食え、ってことなんだよ。

うまいだのまずいだのは、ちゃんとみんな食ってから言え。

〇〇主義だのなんだの、誰がどういったこういったもいいけれど、ぼくの作品を読むときには、作品と真正面から向き合って全部食え、そのうえでの批評なら、すべてありがたく傾聴するよ。わかるかい?」

評論家は利発そうな顔を輝かせて答えた。

「ああ、わかるとも、〇〇が××でおなじように言ってたからネ!」

おあとがよろしいようで。



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