栄光の名画
随筆のよいところは、書きたいものを書きたいときに書きたいように書き、あとはすました顔をしていられるところではないかと思う。
そう思うことにして、今日思ったことを、他意もなくここに書く。
ずいぶん派手な題名になってしまったけれど、別に絵画の話ではないし、題名とは不釣り合いな、なんでもない、ごくありふれた思い出のこぼれ話。
私は小学三年までを葛飾区で、小学六年までを浦和市で過ごした。
転校生だったので、どちらの学校にも「母校」というような思いはもっていない。これは後者の小学校での話。
私の通う小学校は児童数も多くなく、二組までしかなかったけれど、妙なことに「五組」というものが存在していた。
三組ではなく、三、四をとばしての、五組だ。
児童数が増えれば、学年によっては三組もうまれたことだろう。そういったときのためのいわば予備的な余白を、距離を保ちながらその学級は存在していた。
その学級には、知的障害や身体障害をもった児童が通っていた。
受ける授業の内容が他の学級とはまるでちがうために、「特別学級」として設けられたのだ。
他の級友とくらべてもひどくおさなく世間知らずで阿呆な私だったけれど、そのくらいのことはわかったし、そこにとくに意見も持たなかった。が、
「しかし、《五組》とは…」
私は阿呆ながらにその「距離感」にとても苛立ったことをおぼえている。
その距離、余白、溝は、なんのために存在しているのか。
空白の三組と四組には、いったいどのような児童がいるのか。
そんなことを考えたりしていた。
あるとき、教室で「五組だ、五組だ」という声があがった。
誰かがトンチンカンな失態をやらかし、それをまた別の誰かが揶揄した声だ。
その「五組だ、五組だ」という声を聞いて、はじけるように笑った連中の声と顔を、私はまだおぼえている。正確にいうなら(おぼえているような気がする)程度だが、それはつまり(忘れてはいない)ということだ。
私は激昂した。怒鳴り散らした。
幼いころの私は、ちょっとうさんくさいくらいの偏ったモラリストで、人の失態をわらうという行為自体とてもきらいだった。それに加えてわざわざ「五組」という言葉をあててよろこぶというところに気味の悪さを感じ、その厭な重たいへばりついてくるなにかを、吹き払うために大声をあげて諌止したのだ。
一学期に数回ほど、五組と他学級との交流の時間があった。
レクリエーションを一緒に行ったり、給食をともに食べたりする程度のものだったが、それに選ばれた児童はみな一様に「はずれくじを引いた」と面倒くさがった。
まるで「自分たちはアタリ」だと言いたげだな、私はそう思っては苦虫をかみつぶすような思いで、連中を噛み殺した。もちろん、あたまのなかで。
私はそうした交遊の時間のなかで、五組の担任教諭からいろいろなことを教わった。
あのこがヘッドギアをしているのは、転倒したときに頭をぶつけないため。
あのこが話しながらよだれをたらしてしまうのは、脳がすこしまひしているため。
あのこがたまに大声をあげてあばれるのは、おもいを伝えられないため。
あのこがほかのことすこし顔がちがうのは、せんしょくたいがちがうため。
みんなそれぞれ、ひととすこし違うだけなのだとわかった。
なかでもTちゃんは私を気に入ってくれたらしく、いろいろなことを詰まりながらも、一所懸命に話してくれたことをおぼえている。Tちゃんの女の子らしいかわいいハンカチをかりて、彼女の唇のはしからこぼれるよだれを拭きながら、私はまるで魔法の言葉を聞くような感動をおぼえた。
Tちゃんの外斜視のおおきな瞳は、まるで宝石のように輝いていた。
今日、庭の掃除をしながら、私をたいへん気に入ってくれたお客さんのことを考えていた。私は人から好かれたり気に入られることが、心底怖い。必ず幻滅されると知っているから。
嫌われたと知ったときの、あの驚きと悲しみと疑いと悔しさが、むねのなかに堆く積まれているから。いつまでも溶けない、汚れた雪のように。
でも、そんな私にも、いつまでも栄光に輝く一幕がある。
それを今日ふと思い出した。
五組の児童たちは、登校してから下校まで、ほとんど教室からはなれない。運動するときも、他学級の体育の時間とかさならないように配慮され、一階の職員室のならびにある教室から、ちょっと出たあたりのせまい範囲で楽しそうに遊んでいた。
あたりまえのように、他学級との接点がない。そういう「配慮」がされていたのだ。
そんな五組の児童たちが、ある日、私のいる教室に来た。それはとても珍しいことだった。教室内では「げえ」などというあの厭な声もがさごそと聞こえた。
Tちゃんを先頭に、担任と数人の五組の児童が、体を寄せあいながら私のちかくまであるいてくる。担任と目があったので私は席を立った。教室中の好奇心が私とその周辺に注がれているのがわかった。
廊下と教室の境で教諭が私にいった。
「あなたに会いたいってきかないから、連れてきたのだけど、かまわない?」
Tちゃんの満面の笑みがそこにあった。
きらきら輝くそのきれいな瞳に、吸いこまれそうになりながら、私はTちゃんのよだれを指先で拭いた。そのとき、私はこらえきれずに涙をこぼした。人前で泣くことは、とても恥ずかしいことだったが、そのときはこらえきれなかった。
それを見た教諭は涙目になり、私に言った。
「みんな、あなたのことが好きなんですって」
昼の光りが、廊下にあるすべてのものやひとやかげを輝かせた。
Tちゃんは、五組と「通常学級」のあいだの溝を、おそるおそるか、喜々としてか、とびこえてきた。溝を不信がり、それに怒りを感じるだけだった私を、私は恥じた。
五組のみんなは、私をまっすぐに瞶めていた。
私はそのときはじめて、人からの好意に胸をうたれた。
誰にきらわれてもいい。誰に誤解されてもいい。誰に幻滅されてもいい。
私には、いまもありありと思いだせる、あの純粋な好意にうたれた栄光の一瞬間が、
あるから。
卒業と同時に、千葉の山奥に転校した私は、その後のことを一切しらない。
Tちゃんは確か、二つほど年下だった。
いま、どこでどうしているのかはわからないけれど、あのときのTちゃんを忘れることは、決してないと信じている。
彼女たちは、額装して飾っておきたくなるような、うつくしい一幕を私にくれた。
それは私の、私だけの宝物として、いまも胸の画廊の奥に飾ってある。
五組はまさに特別学級だった。
私にとって。
そんなことを、思いだしていた。
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