有楽随筆
森 侘介
蟲地獄
今朝、庭につくと、私はまず薬剤の散布からはじめた。
病害虫防除の料金はとっていないが、これは自分のため。この季節の庭は蟲だらけだ。水で1000倍に希釈したスミチオンという薬剤を、蓄圧式の噴霧器で撒くのだが、剪定の前だからそれほど効果はない。
それでも、うっとうしい蚊たちはよろよろ逃げていくし、ほら、椿の葉にむらがる
茶毒蛾は名のとおり、茶の木につく蛾の幼虫で、強烈なかゆみをひきおこす毒の毛をもっている。
茶の木はツバキ属。だから当然、椿にも山茶花にもこの虫はつく。U市の老いた職人に言わせると、昔はこんなに多く見なかった、きっとゆるやかに分布がひろがっているのだろう、と言っていたが、私は学者ではないのでわからない。
ただこれらの毒の強さ、気も狂いそうになるあの痒さを知っているばかりだ。
薬剤をかけると虫たちは、うぞうぞと蠢く。ぽとりと落ちていくものもあるが、これらが死んでも、その毛の毒は残るから厄介なのだ。
蛾として成虫になり、飛びたっていったあとの残りの毛でさえ、触れれば掻痒を肌にあたえる。まったく徹底している。
4mほど伸びる鋏を持ってきて、一枝ずつはさんで、ゴミ袋にいれる。ほかの発生材(剪定ごみ)とは別にする。
消毒をおえて、作業をはじめる。槙の玉散らしを刈りこんでいると、羽音が聞こえる。厭な音だ。耳にタコができるほど聞いてきた音だ。脚長蜂。その一匹と目があうと、条件反射で、脚立から飛び降りた。
慣れないころは、この一匹を熊手かなにかでひっぱたいて殺していたが、それではきりがない。まず動きを見る。「狩り」の最中なのか、巣を守る「衛兵」なのか、それを見極められないと玄人とは言えないだろう。と、えらそうにのたまうこともできるけれど、単に刺される危険性をさげるというだけのことで、慣れた職人ほど刺されない。
蜂の動きが「衛兵」だとものがたる。衛兵の蜂は、こちらがおとなしく静観していれば、深追いすることなく巣に戻っていく。それを追う。
朝いちばんで、しっかり薬剤を撒いた
それからまた熊手で何度かたたき、蜂が飛んでいないことを確認して、すばやく巣を見つけ、枝から取り上げ、たたきつけて踏みにじる。足裏ではぜて液体になる蜂の子にも、それを守る蜂にも罪はないが、巣を壊さないと蜂は諦めないから、踏みつぶす。巣がある限り、衛兵たちは果敢に攻撃してくる。
その後も「狩り」にでていた連中(なかにはサボっていた連中もいることだろうが)が何匹も何匹も戻ってくるのだが、どいつも巣のあった場所でぐるぐるまわって、守るべき城も女王もないことに慌てふためいているように見え、なんともかわいそうな気持ちになるのだが、放置して刺されないとも限らないので、それらの帰還兵も一匹ずつ殺してゆく。今日は何度、足裏で命をすりおろしたことか。
体のあちこちを咬みつく蟻たちに閉口しつつ、作業をすすめる。蟻の顎は、その大きさからは考えられないほど強靭で、咬まれるたびにハッとする。作業服のうえから、ひっぱたくのだがきりがない。服の下に無数の蟻がいるのだ。
掃除を終えて、すっかりきれいになった夕方には、涼しさに蚊たちが舞い戻ってくる。それらを手でおっぱらったり、ひっぱたいたりしながら、施主と庭をまわる。
蜂の巣があったことや、椿が食害されていたことなどを話す。
軽トラックに満載の発生材をみて、ふと思う。
このごみの山の中に、死骸がいくつあるのだろう、と。
私は蟲がきらいではない。蜂は精悍で忠実な戦士だと思っているし、蟻も清廉だと思っている。蝶の幼虫が葉を食べるさまもかわいいし、蚯蚓や
しかし、今日はひねもす、それらを殺していた。
仕方ないと思っている。この世の生業として、植木屋をえらんだのだから。
蜂に刺されて動けなくなればおまんまの食い上げだし、アナフィラキシーで死なないとも限らない。生業はすべてわが暮らしのためであれば、そしてそれが妻やねこの暮らしを守るためであれば、巣を守る蜂のように、私もそれらを殺していかなければならないのだろう。
ただ、思うのだ。
仏教でいわれるような地獄があるのだとしたら、死後、私は蟲どもの待つ地獄へ振り分けられるのだろうと。
そこでは蜂に刺され、咬み切られて団子にされて、蟻にも体のいたるところを咬みつかれ、蚯蚓が全身をくすぐり、蜘蛛が芋虫が家守が蛇が蛙が蟋蟀が蝉が馬陸が蛞蝓が私の体をぼりぼりと咬み、体液を吸いとり、骨すら腐らせて分解して土にかえし、すぐに再生し、そうしてそれを永遠に繰り返すのだ。
私がこれまで殺してきた蟲のすべてが、私を待っているのだ。
そうでなければ、とうていつりあわない。
私が奪ってきた命と、私の命がつりあわない。
私は死んだら蟲地獄におちる。そうあるべきだと思っている。
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