後日談
高島宗介の御霊を黄泉国に送り、扉を閉じたあとはすぐに解散とする運びとなった。礼一は私になにか言いたそうにしていたけれど、気がつかないフリをした。除霊直後で霊的にデリケートになっている礼一には私が直々に祈祷を捧げた御守りを持たせて帰宅させた。
「ありがとう、か」
夜、ベッドの上で身体を投げ打って仰向けになった私は、高島宗介の消える時に礼一が言った言葉を思い出していた。
まさか礼一の口から最後の最後に感謝の言葉が出てくるとは露ほども思わなかった。恐らく私はあのときの礼一の嗚咽と高島宗介の表情を忘れることはできないでしょう。結局、最後に高島宗介の魂を救ったのは私ではなく、山崎礼一という男だった。人とは短時間でかくも変わることができるのか。それを思い知らされた、そんな一日だった。
「私もまだまだね」
私は霊能力をコンプレックスとしながらも、その力によって奢りが生まれていたことを強く自覚した。私は霊たちがどんな存在なのかを知っている、私なら霊の気持ちがわかる、そんな奢りがあったのかもしれない。霊能力のない人間にとって、幽霊とは畏怖すべき存在。一方で、日常的に子供のときから一緒に遊んでいた私にとって彼らは当たり前の存在。霊が見えてしまうからこそ、彼らと対等に接したいと思う気持ちの矛盾。他の人と私の間に存在する認識に関するギャップは、この生まれてから現在までの十八年間で致命的なまでに広がってしまったようだった。
一度、自分を見つめ直す必要がある。私もいつか変わることができるのだろうか。漠然とした不安とともに、礼一という実例を目の当たりにした私は淡い希望を胸に布団の中に頭を潜らせた。
週が明けて二日経った水曜日、午前中の必修講義にしっかりと出席した私はあくびを噛み殺しながらいつものオープンテラスに向かっていった。麗らかな陽光がテラスに差込み、ポカポカと気持ちのよい昼下がり。そよ風が適度に空気を循環させている。つらつらと描写しても仕方がない。一言で言えば、絶好の惰眠日和だった。
それとは別に、いつもよりも私が眠そうにあくびを噛み殺しているのは、今日の講義の教授のせいだ。別段話し方におかしいところはない、講義の内容も知的好奇心をくすぐる内容、プレゼン資料もとても見やすい。にも関わらず不思議なほど強烈な睡魔が襲ってきた。カクリカクリと眠気と戦いながら教授の話に耳を傾けた。他の生徒も同じような感じだったから多分あの教授の声の不可聴域には人間を眠くさせる波長が隠されているに違いないわ。来週からはボイスレコーダーで録音して寝れない夜にでも聞こうかしら。いずれにせよ、近いうちにこの大学から睡眠音波に関する画期的な論文が発表されるに違いないわね。
論文と言えば、礼一が高島宗介から引き継いだあの論文。礼一は来年から高島宗介が所属していた航空宇宙工学系のゼミに入ることを決めたらしい。本来であればゼミへの参加は三年生からなのだけど、教授が礼一の熱意に折れて、モグリとして二年生からゼミに参加することを許可したらしい。
礼一は除霊されてからは顔色や血色も良くなっていた。整っていた顔のパーツの潜在能力を前面に押し出して誰もが認めるイケメン優男にクラスチェンジした。いや、あれが本来の礼一なんだと思うのだけれどね。ただ、女の子らしい華奢な体つきはどうすることもできなかった。結局、私は心の中で『可愛らしいイケメン優男』というわけのわからない称号を授与した。『青瓢箪』からの卒業おめでとう。
十二時二十五分。礼一は両手にトレイを持ってオープンテラスに姿を現した。礼一の家がボンボンであることを知ってから私たちは彼に奢らせるメニューに容赦がなかった。今日の注文は中華定食。半炒飯と餃子、中華そばと冬瓜と豚肉のあんかけスープ、加えてデザートの杏仁豆腐と胡麻団子、締めて一二四〇円也。……これを二人分だから本当に容赦ないわね。自分で言ったこととは言え、少し引くわ。
礼一は私の正面、いつもの定位置に腰を降ろした。
「ありがと。礼一は食べないの?」
「いや、ちょっと食欲なくて……」
礼一の表情をよく見てみれば異様に顔色が悪い。『青瓢箪』とまではいかないけれど、『残念イケメン』ぐらいにまではグレードダウンしている。もしかして、霊的にデリケートになっている間にまた新しい霊に取り憑かれたのかしら。私は少し不安になったので、礼一の瞳をじっと覗き込んでみる。しかし、彼がまた何かに取り憑かれているといったわけではなさそうだった。
「大丈夫? 顔色悪いわよ」
「いや、実はさ。また神薙さんの厄介になるかもしれない」
「どうしたの? 別に何かが憑いているわけではなさそうだけど」
礼一は頭を抱えながら深くため息を吐きだした。
「昨日の夕方からずっと変な声や音が聞こえてくるんだ」
「どこからどんな声が聞こえるの?」
「いろんなところから、笑い声だったり何か床を擦る音だったり。頭がおかしくなりそう」
「いまも聞こえる?」
「うん、『寒い、寒い』って言ってる」
ふむ。私は耳を澄ませて周囲の霊的な存在に意識を向ける。
「……い……むい……さむ……」
本当に微かにだけど、かなり遠くから礼一の言っているのと同じ文言を呟く霊がいる。多分、近くの墓地から聞こえてきている。
って、墓地はここから少なくとも三〇〇メートルは離れているじゃない! そんな遠くの囁きを礼一は聞き取っているの?
「えっと、はっきり聞こえるのかしら?」
「……うん」
信じられない。最低でも半径三〇〇メートル圏内の全ての霊たちの囁きがはっきりと聞こえ続けるなんて、そりゃ精神が擦り切れそうになってもおかしくないわ。
私は机の上で日向ぼっこをしていた木霊を箸で摘むと礼一に見せつける。
「これは見えるかしら?」
「えっと、お箸?」
視えてないみたいね。だけど——
私は箸で摘んでいた木霊を寝ていた場所に戻ると礼一に最高の笑顔を向けた。
「おめでとう、礼一。あなたも霊能者の仲間入りよ」
それを聞いた礼一は絶望に満ちた顔を浮かべて頭を抱えた。
憑依がきっかけで霊能力に目覚めるのはなくはない。なくはないというのは、非常に珍しいという意味だけど。礼一は滅多に当たらないくじの一等賞を見事引き当てたみたいね。
詳しく聞いてみたところ、礼一の場合は霊聴能力の一点特化型で霊視とかは一切できない代わりに私でも意識しないと聞き取れないような音を簡単に聞き取ることができるみたい。今は多分目覚めたばかりで制御も効かないけれど、しばらく経てば落ち着くでしょう。少し気の毒だけど、私は笑いを堪えるのに必死だった。
それにしても私が意識しても鮮明に聞き取ることのできない声をクリアに聞いているのだから、これは実生活に影響が出てもおかしくはないわね。制御できるまではどうしましょう。
「あ、そういえば、あの時に渡した御守り、今持ってる?」
「え、うん」
礼一はリュックの中から御守りを取り出した。
一目見てわかった。御守りの効果が切れていることに。多分、昨日辺りに効果が切れて、礼一を守護していた結界が消え去ったから声が聞こえるようになったのね。
「やっほー、遅くなってごめんね。あれ、礼一どうしたの?」
普段よりやや遅れて伊織がオープンテラスにやってきた。いつもより上機嫌なのは気のせいかしら。
「礼一ね、霊能力に目覚めちゃったのよ」
「えー! すごいじゃん! よかったね!」
「なにもよくないよぉ……」
礼一は情けない声で伊織に抗議する。流石にこれではあまりにも可哀想よね。
「ちょっと、御守り貸してくれるかしら」
「え、うん」
私は礼一から御守りを受け取ると、言霊を紡いで簡単に霊力を込めなおした。
「御守りに力を込め直しといたから、これでしばらく大丈夫なはずよ。いまは霊能力が目覚めたばっかりで制御が効かなくて常に能力全開になっているけれど、しばらくすれば落ち着くわよ」
「ほんとだ、音が聞こえなくなった」
「ところで、伊織は何か用事でもあったのかしら?」
よくぞ聞いてくれました、と言いたげな嬉しそうな表情で伊織はニヤリと広角をあげる。嫌な予感しかしない。こういう表情をするときの伊織はロクなことを考えていない。これまでの経験則、帰納的な推論から私は静かに唾を飲み込んだ。
「ちょっとね、事務室に寄ってたの」
「へぇ……奨学金か何かかしら?」
「まっさかー、これを出してきたのよ」
伊織は肩にかけていたバッグから一枚の書類を取り出した。その紙には『新規サークル申請書・控え』と書かれている。サークル名のところはちょうど伊織の指が被っていて見ることはできない。そんなことよりも私の見間違えでなければ、サークル代表の欄に篠原伊織、所属メンバーの欄に神薙透子と山崎礼一の名前が記入されている。あろうことか事務室の印まで押されている、
「伊織、これは何かしら?」
「えっと、サークルの申請書だよ」
「そうじゃないわよ! なんで私たちの名前がここに書かれているのよ!」
私は伊織の手に握られている申請書をひったくろうと手を伸ばす。しかし伊織は腕を上にあげてヒョイと躱した。ぐう、小癪な。私は恨めしそうに伊織を睨みつける。
「あはは、透子ってば、あぶないよー」
「なんでサークルなんか作ったのよ」
「んー、だってほら、楽しそうじゃん」
伊織は笑いながら私の問いかけに答えた。そうだった、伊織はこういう奴だった。質問をした私がバカだったわ。私は半ば諦めながらため息を漏らした。それにここで伊織から書類を奪っても、あれには控えと書かれていたから大して意味はない。
「えっと、神薙さんはともかく、どうして僕の名前も書かれているのかな?」
「え、数合わせだよ」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げる礼一を尻目に伊織は楽しそうしている。哀れ礼一。
「最初はね、あたしと透子の二人でサークル作ろうと思ってたんだけど、最低でも三人いないとできないっていうんだもん。ほら、霊能力に目覚めたんでしょ。ちょうどいいじゃん」
「ちょっと待ってよ、そんなふざけた理由で――」
「――高校一年のバレンタイン」
暴虐極まりない理論に抗議する礼一の声に被せるように伊織が口を開いた。礼一の動きがピタリと止まる。
「獲得チョコレート数ゼロで友達から馬鹿にされるのを恐れた少年Rは、自作自演で自分の下駄箱にチョコレートを入れた」
「ちょっと待って、何を――」
「作戦は大成功。でも少年Rが本命チョコを受け取ったと勘違いしたとある少女は、丹精込めて作った本命チョコを渡すことができずにゴミ箱に捨てた」
「えっ?」
「女子の間では有名みたいよ」
礼一の顔からサーッと血の気が引いていき、みるみるうちに青くなっていく。リア充の機会を自らの手で逃してしまうとは。……憐れ礼一。
伊織はわざとらしいジェスチャーを加えながら楽しそうに話していく。
「あたしはねー、礼一の恋愛事情ならなんでも知ってるよ。他にはね、高校二年の修学旅行のときに――」
「待って! わかった! わかったから!」
礼一は情けない声を出しながら伊織に懇願する。伊織は満足そうに礼一を見ているが、一瞬だけ流し目で笑いながら私を見た。私、何かそう言った方面での弱みってあったかしら……。大丈夫よね。ない、わよね……。
どうにか自分を落ち着かせようとするけれど、伊織の情報網は色恋沙汰だけに限らない。普通に恥ずかしい話だって色々知っている。ぐう、卑怯者め……。
私は小さくため息を吐きだした。
「わかったわよ。それで、なんてサークルなのよ」
「あれ、さっき見なかった?」
「あんたの指が邪魔で見えなかったの」
「あぁ、そうだったんだ」
伊織は私たちにサークル名が見えるように再び書類を突き出した。
――幽霊サークル。
サークル名のところにはそう書かれていた。二人で活動目的や活動場所についていろいら問いただしてみたけれど、全て不定。これから決めていくと、本当に何の為に作ったのか分からないサークルだった。よく事務室の許可下りたわね……。
兎にも角にも、面倒なことになったわね。
私は苦笑を漏らしながら炒飯を掬って口に運んだ。
一通りの尋問を終えた伊織が思い出したかのように「そういえば」と口にした。
「そうそう、さっき言ったバレンタインの話だけどね」
「はい……」
「礼一に本命の女子がいたって話は嘘だから。よかったね、自分の知らない間に女の子を傷つけなくて」
伊織の言葉を理解した礼一は、その顔をどんどん真っ赤に染めていき、わなわなと肩を震わせる。うん、これは怒っていいと思うわよ、礼一。
「ふっざけんなぁー!」
礼一の叫び声がオープンテラスの二階に響き渡った。
幽霊サークルの怪異譚 さざなみ ゆうひ @yuhi73
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