月と太陽
シャーデンフロイデ
月と太陽
私は教室の扉を開け、窓際で固まって喋っている
「おはよう」
声をかけられた彼女たちは一瞬こちらを見て、それから何事も無かったかのようにまたお喋りを始めた。
また無視か。
こうなる事を知っていたはずなのに心が痛むのが悔しい。
私は彼女たちに背を向けて、自分の席へ行く。
背を向けた私の背中にクスクスと笑い声が降りかかる。
きついなぁ。
そう思いながら1番後ろの窓際の自分の席に座る。
私の隣の席は空席で誰もいない。
この席だけが私の唯一の居場所なのかもしれない、とぼんやりと思う。
私が明奈にハブられるようになったのは至極単純なことで、「私の付き合いが悪かったから」らしい。
明奈は3年生になって初めて出来た友達で、私たちは親友だった。
ほんの数週間前までは。
明奈にハブられるようになると、他の子達もだんだんと私を避けていくようになり、私はひとりぼっちになった。
まあしょうがないよね。私を庇って同じような目に合いたくないだろうし。
達観したような口ぶりで自分に言い聞かせる。
どうしてこうなってしまったんだろう。
高校生って学校が全てだ。大人達は学校がすべてじゃない、居場所は自分で作り出せ。
なんて言うけど、18歳の私達には、学校は社会で世界だ。
自分の価値なんて相対的な評価じゃなきゃ見いだせない。
誰かがいないと自分の存在さえも主張できない。
そうしてぼんやりとしていると、いつの間にかHRが終わり授業が始まった。
こんなんじゃ授業にも集中できないな、と私は自分に言い訳して手を上げる。
手を上げている私に気づいた先生に、
「体調が悪いので保健室に行ってきます」
と伝え、教室から出る。
教室か出ると張り詰めていたものが切れて、どっと疲れが押し寄せてきた。
教室はまるで鳥籠だ。
みんな狭い鳥籠に無造作に詰められて、生活している。
私は階段のそばにあるトイレに行って、鏡で自分の顔を見る。
無表情な私がこちらを見ている。
目は濁っていてまるで底なし沼のようだ。
私は思う。
こんな闇の中に吸い込まれて何も考えることなく死にたいな、と。
トイレから出て階段を降り、1階まで降りると保健室が見えてきた。
保健室に入りだるそうな顔を作って、体調が悪いです、と伝えると、
保健の先生は優しい顔をして、
「じゃあ、少し休もっか」
と言ってくれた。
嘘をついたことを少し申し訳なく感じながら、用意してもらったベットに横になる。
布団を頭まで被ると、温かな暗闇が出来上がって、私は暗闇の中で胎児のように丸まる。
こんな所で眠るように死ねたらどれだけ幸せなんだろうなんてことを考えていると、だんだん微睡んできて、意識が遠のいていく。
* * * * * * * *
――さん、――さん
誰かに呼ばれているのが聞こえてぼんやりと目を開けると、保健の先生だった。
どうやら、1限の授業が終わったらしい。
眠い目をこすっている私に先生が声を掛けてくる。
「おはよう、
体調はどう? 」
私はまた少し申し訳なさを覚えながら、体調の悪そうな顔をつくる。
「体調が戻らないので、早退したいです。」
私の返事を聞き、先生はまた軽く微笑んで言う。
「そっか、じゃあ今日はそうしよっか」
先生にお礼を言い、保健室から出て帰るためにかばんを取りにいった。
教室に戻ると、今は丁度休み時間でクラスは騒がしい。
そんな騒々しい中、私の席はポツンともの寂しげに存在していて、まるで今の私の状況じゃないか、と苦笑する。
かばんに荷物を詰めて校舎を出ると、ちょうど2限が始まったようで、チャイムが鳴る。
学校は鳥籠だ。みんな学校に縛り付けられていて、
小さな世界で生きている。
そんなことを思いながら、私もそうじゃないか、と自嘲気味に自分を笑う。
校門を出て、駅まで歩いて自動改札にタッチすると、ピッと心地よい音がして、道が開く。
私は自動改札が結構好きだ。
改札だけは私をいるものとして扱ってくれているような気がする。
改札を抜けて、ホームに降りると、電車を待つ。
平日のこの時間は人も少なく、ホームで同じ様に電車を待っている人は見当たらない。
しばらく待っていると、やけに大きな音とともに電光掲示板が光り、アナウンスが流れ、
向こうから電車がやってくる。
ふと、私は今飛び込んだら楽に死ねるのかな、と考える。
痛いのは嫌だけど楽に死ねるのならそれもありかもしれない。
自然と足が一歩前に出る。
黄色い点字ブロックを私のローファーが越える。
電車はヘッドライトを着けて、轟音とともにこちらへ近づいてくる。
私は体を前へ傾ける。
ホームから大空へ飛び立ちたいと私の中の私が言う。
私は保健室のベットのあの温かな暗闇を想像する。
* * * * * * * *
――突然、服を引っ張られて私は後ろへ倒れる。
電車が凄いスピードで私の前を通り過ぎてホームへ止まる。
打ち付けて痛む腰を撫でながら、後ろを振り返ると、見知った顔があった。
「雪月さん、危ないですよー」
彼女は笑いながらそう言った。
私と反対の長くて、どんな光も吸い込んでしまいそうな漆黒で綺麗な髪、やけに大きな伊達メガネ、いつもどこか楽しそうに上がっている口元。
彼女は同じクラスの
日下は有名人だ。悪い意味で。
簡単に言えばズレている。
彼女は自分の好き勝手に行動して、周りを困惑させる。
ついこの間も授業中に突然立ち上がり、教室から出ていって叱られていた。
そんな彼女に友達はいない。
だが彼女はそれを気に掛ることも無く、いつもヘラヘラして楽しそうに生きている。
私はそんな彼女が嫌いだ。
「別に危なくないんだけど」
助けてもらったのに、つい声が尖ってしまう。
すると、彼女はまたヘラヘラと笑って言う。
「いやいや、危なかったすよー。
もしかして自殺とかしようとしてました? 」
「そんなわけ無いでしょ! 」
私が図星を突かれてつい大きな声を出すと、彼女はニヤついた顔で言った。
「ならいいんすけどね」
彼女とそんなやり取りをしていると、
私たちの前で電車の扉は締まり、行ってしまった。
服についた汚れを払いながら立ち上がり、日下に尋ねる。
「あんた、学校は? 」
彼女はおどけたように言う。
「いやー、さぼっちゃいました。
2限目が数学だったんで」
私はため息をつく。
彼女のこういうところが嫌いだ。
自由奔放に生きて、何にも縛られていない所が。
次の電車まではかなり時間があるので仕方なく歩いて帰ろうすると、日下も後ろからついてくる。
「なんであんたついてくるのよ」
彼女はまたヘラヘラしている。
「いやー、せっかくだし一緒に帰りましょうよ」
本当は一人で帰りたかったが仕方なく二人で改札を出る。
ここから家までは一駅分なので、歩いてもそんなに遠くはない。
横に並んで、お互い無言でしばらく歩いていると、彼女がポツンと言った。
「死んじゃだめっすよ。雪月さん」
私はまたからかわれているのかと思い、イラッとして彼女の方を向く。
だが彼女はいつものヘラヘラした笑みは浮かべていなかった。
真剣な顔で私の方をまっすぐに向いて、口を開く。
「私は雪月さんが死んだら悲しいよ」
突然の言葉にびっくりして、私は立ち止まって目の前の彼女を見つめる。
何か言わなきゃと言葉を探すも口が開かない。
やっと私の口から出た言葉はひどく素っ気ないものだった。
「死ぬわけないでしょ。あんたに心配される筋合いなんてない」
彼女はそれを聞いてまたいつもの人を馬鹿にしたようなヘラヘラした顔に戻る。
「そっすか。ならいいんすけどね」
そして信号の前の横断歩道を左に曲がって言う。
「私の家、こっちなんで。
じゃあさよならっす雪月さん」
「……ばいばい」
私がつぶやくと、日下響子はヘラヘラしながら手を振って私に背を向けて進んでいく。
結局彼女にお礼が言えずじまいだったことを少し後悔する。
明日学校で話しかけてみよう。
いつの間にか空はだいぶ暗くなってきていた。
今日の朝見たニュースでお馴染みのキャスターが11時くらいから雨だと言っていたことを思い出す。
彼女の進んでいった先の空を見ると厚い雲が空を覆っていた。
* * * * * * *
間もなくして雨が振り始めて、私はびしょ濡れになりながら家へ帰った。
家へ帰ってシャワーを浴びて、自室のベットに寝転ぶと、疲れていたようでいつの間にか眠ってしまった。
――私は夢を見た。
夢の中で私は鳥になっていて、立派な羽があるのに鳥籠から出られない。
鳥籠から見上げた空はなんだか窮屈で、色褪せて見えた。
すると1羽の鳥が、私の鳥籠の横をすり抜けていった。
その綺麗な鳥はよく見ると日下響子で、
彼女は鳥籠の外で楽しそうに空を飛んでいた。
やっぱり私は彼女が嫌いだと思った。
* * * * * * *
鳥の鳴き声で、目が覚める。
どうやら昨日はあのまま眠ってしまったようだ。
昨日から何も食べていないので、お腹が空腹感でいっぱいだ。
自室から出て階段を降り、リビングへ行くと、食卓に千円札が置いてあった。
いつもの昼ごはん代だ。もう慣れた。
私はキッチンへ行くと冷蔵庫を開け、冷凍食品を取り出し、レンジへかける。
レンジが温め終わったことをチーンと告げ、
そんな音でもこの静かな家にはやけに響いた。
* * * * * * *
学校へ着くと、明奈たちに声をかける。
「おはよう」
彼女たちはもうこっちも見ずに話を続ける。
今日も変わらない一日だ。
この状況に慣れていく自分が哀しい。
まるで、飛び立つのを諦めた鳥のようで。
私は昨日のお礼を言おうと、日下を探す。
だが教室を見渡しても彼女はいない。
またサボりか。あいつは。
私はそんな彼女にまたイライラする。
結局彼女が現れないまま、朝のHRを告げるチャイムが鳴る。
いつもは5分前には教室にいる担任も今日は何故かいない。
クラスのみんなはラッキーとばかりにお喋りを続ける。
10分ほど経ってやっと担任がやってきた。
彼はいつも規律に厳しくて、こういう状況の時も怒鳴って生徒を座らせるのに、今日はやけに静かな声を出した。
「おい、席に着け。もうHRの時間だろう」
みんなはそんな担任のおかしな様子を感じ取ったようで、おとなしく席に着いた。
担任が口を開く。
「昨日、うちのクラスの日下響子が亡くなった……。
詳しい事は俺もまだ分からないが自殺らしい……」
一瞬の静けさの後、教室がどよめく。
みんな口々になんで?嘘だろ?あいつが?と目を丸くして喋っている。
私は担任が何を言ってるいるのか理解できなかった。
え?あいつが?日下響子が?あの変人で、いつも人を馬鹿にしたようなヘラヘラした笑みを浮かべて、何も考えてなさそうな脳天気な彼女が、?意味わかんないんだけど。嘘でしょ。またあいつ私をからかってるの?ほんとにイライラする。死ぬわけないでしょ。あんなやつが。世界が滅亡しても一人だけヘラヘラしながら生きてそうなあいつが。
担任がどよめいている教室を落ち着かせる。
「おい!静かにしろ!話を聞け。
今日は自習だ。
午後から彼女の葬儀があるからクラス全員で行くぞ」
担任はそれだけ言うと、教室を出ていく。
みんなはお互いに顔を見合わせて、口々と喋り始める。
私は担任が何を言ってるいるのかまだ理解できていない。
胸がムカムカして気持ちが悪い。頭がクラクラする。
* * * * * * *
しばらくして担任が戻ってきて、自習が始まった。
教室は落ち着かない空気が漂っている。
担任もどうにかして平静を保とうとしている。
当たり前だ。クラスメイトが死んだんだから。
本当に死んだの?
私はまだ理解できていない。わからない、わからない、意味がわからない。
突然、私はその場に立ち上がる。
椅子が大きな音を立てて後ろへ倒れる。
教室中の視線が一斉に私へ向く。
担任が驚いて私に言う。
「雪月、なんだお前。座れ」
私はヘラヘラした笑みを浮かべて口を開く。
「いやでーす。私葬式なんて行きたくないんです帰るっす」
担任が一瞬引きつった顔を浮かべて、眉毛を釣り上げ怒鳴る。
「雪月! ふざけてんのかお前! 」
私は人を馬鹿にしたようなヘラヘラした笑みを浮かべながら、ダッシュで教室から出る。
後ろで担任の怒鳴り声が聞こえる。
とんでもないことをしてしまったのに何故か心はスッキリしていて気分は爽快だ。
そのまま階段を一段飛ばしで駆け下りて、校舎から飛び出すと、空は白い画用紙にチューブの絵の具を塗ったように真っ青で綺麗だった。
私は彼女の気持ちが少しだけ分かったような気がした。
* * * * * * *
そのまま、ダッシュで駅まで行き改札へと向かう。
定期をかざすとピッという音がして改札が開いた。
改札は今日も心地よい音で、私を受け入れてくれた。
階段を降りて、ホームへ向かう。
今日もホームに人はほとんどいない。
私はいつもとは反対側のホームへと行く。
反対側のホームで最寄り駅とは反対方向へ行く列車を待つ。
しばらく待つと列車がホームへと入ってくるのが見える。
列車はヘッドライトを点けながら轟音と共にこちらへ向かってくる。
もう私の足は前へ出ない。
もう私のローファーは黄色い点字ブロックを越えない。
* * * * * * *
ドアが開いて、私は列車へ乗り込む。
時間が時間なのか、私の乗り込んだ車両は誰もいない。
田舎の駅に始めて少し感謝する。
私は迷わず1番好きな窓際の席へ座る。
電車が動き出す。
電車に揺られながら、彼女はどこに座るのが好きだったんだろうと考える。
今なら空いている隣の席には彼女が座ってほしいと思う。
* * * * * * *
電車が目的地へ着いた。
列車から降りるのは私一人だけだ。
そりゃそうだ、と納得する。
こんな2時間に1本しか電車がこない駅に進んで降りたい人間はいないだろう。
列車から降りると波の音が聞こえる。
向こうには海が見える。
この駅は無人駅で小さなホームしかない。
ホームを降りると私は海へと歩き出す。
空は相変わらず綺麗で海は日の光を受けてキラキラと輝いている。
砂浜まで着くと、私は靴下とローファーを脱ぎ、波打ち際まで走る。
砂浜はサラサラしていて優しく、水はひんやりと冷たくてとても気持ちがいい。
誰かと一緒に来たらもっと楽しいだろうな、とふと思う。
不意に涙が溢れて、景色が滲む。
私はローファーを脱いだ場所まで戻り、そこからまた海へ向かって走る。
風が私の背中を押してくれて、私はぼやけた視界のまま青い海へ向かって駆ける。
波打ち際で走り幅跳びの踏切のように、海へ向かって思い切りジャンプする。
足が地面から離れる。
体が宙へと浮く。
今なら私は空も飛べる気がした。
* * * * * * *
制服のまま飛び込んだからびしょ濡れで、タオルも持っていないから拭くこともできない。
濡れた制服が張り付いて気持ち悪い。嫌いだ。
でもそれでいい。この気持ち悪さもどこか心地良い。
時計を見ると、彼女の葬儀が始まっている頃だった。
私はもちろん行かない。
彼女があんな狭い箱の中にいるわけがない。
ううん、この世界も彼女を閉じ込めておくにはきっと狭すぎたんだ。
私は、彼女が広い広い空を自分の羽で飛んでいる所を想像する。
羽を広げて大空を飛ぶ彼女はきっと美しい。
ずっと彼女が嫌いだった。
それ以上に自分自身が嫌いだった。
次の電車が来るまで、まだまだ時間がある。
その間にこの濡れた制服と私の頬を伝っている涙も乾くだろう。
私は勢いよく立ち上がり、あの空へ向かって叫ぶ。
「あなたは私にとっての太陽だった!
——大嫌いだった……、憧れだった!
私を照らしてくれてありがとう……! 」
暖かな太陽が私を照らす。
私はあの青い空の向こうに彼女のヘラヘラした笑顔が見えたような気がした。
了
月と太陽 シャーデンフロイデ @donutsoisii
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