【七】友達のままで終わりたくない

「秋葉!」


 目の前で、秋葉がいなくなる。この夢をもう何度見たことか。今日のシミュレーションも失敗か。交通事故も防いだ、水の事故だって防いだ。他にも、秋葉が小さな怪我すらしないように気を配ってきたのに。


 それなのに、どうしてこの日だけは防げないんだろう。神様に縋りたくても、僕がそれをするのはとんだお門違いだ。


 もうすぐ夏休みが終わる。それと同時に、来たる日にも着実に近づいている。残り数日をどう過ごしたとしても、この結末だけはきっと変えられない。


 だから、もう君に代わりに犠牲になってもらって無理矢理運命を変えるしかない。最後のデートの段取りはもう組んである。あとは、秋葉を外出させないように計らうだけか。


 しかしそれが一番難題かもしれない。ここ数日は、既読無視は元より未読無視もされてしまっている。秋葉を明らかに避けた僕が悪いのだけれど、正直言って辛い。


 本来ならば夢のように僕は秋葉と付き合っているはずだった。それが分かっているだけ辛いものがある。秋葉の為にした事なのに、今、秋葉も僕も傷ついているから、僕の行動が間違っていたのかもしれないと思ってしまう。


 そう思えば思うほど、決心が揺らぐ。秋葉にメッセージを打とうとして、止めた。気分転換にコンビニへ買い物に行こう。僕はラフな格好のまま財布だけを手に取り、外へ出た。


『ウィーン』


 コンビニの自動ドアが僕を受け入れ、同時に耳に馴染む音楽が流れ出した。家から一番近くのコンビニまでは徒歩四分。


 そのたった四分間で汗だらけになった体を、冷えた店内が包み込んでくれる。お菓子とジュースを買う予定だったのにも関わらず、僕が真っ先に向かったのはアイスクリームのコーナーだった。


 ……こんな事って、本当にあるんだな。


 僕よりも先にケースの前で値段と味とにらめっこをしながらアイスを選んでいた人は、他でもない秋葉だった。僕は心の底から湧き出る嬉しさをひた隠しにして、ぬっと秋葉の横に立った。


「夏彦」


 僕が近づいたことに気づいて、驚く秋葉。折角会えたというのに、そんな風にあからさまに気まずいという顔をしないで欲しかったな。既読無視も未読無視も、僕が悪いとはいえ、したのは秋葉の方じゃないか。


「どれを買うつもりなんだ?」

「え……、これ」

「じゃあ僕も」


 僕はそんな秋葉の気持ちに鈍感な振りをして普通に話しかけた。僕にとってかけがえのないは少しずつ消えてゆくのだろう。


 秋葉の答えを聞いて、秋葉が選んだチョコアイスを僕も手に取った。以前、人間は同じ趣味を持つ人のことを好きになりやすいという話を聞いたことがあったからね。


 ここまできても尚、僕は皮肉にも、少しでも秋葉に好かれる努力をしてしまう。秋葉を半ば強引にレジへ連れて行って、秋葉の手からアイスを奪った。


「ちょっと」


 秋葉の方には目もくれず、さっさと二人分の会計を済ませてコンビニを出た。外に出ると一気にモワッとした気持ちの悪い空気に包まれる。


 アイスは今にも溶けてしまいそうだった。さすがに、午後三時台に家を出たのは失敗だったな。上からの日差しと、地面からの照り返しで焼けるように暑い。


「私の分、払うよ」


 慌ててコンビニから出てきた秋葉に僕がビニール袋からアイスを一本渡すと当然、秋葉はお金を払おうとしてきた。


「レシートは捨てたし、たまには奢られればいいよ」


 こういう行動って、彼氏っぽいじゃないか。だから、最後くらいは奢らせて欲しい。


「のど…、まあいいや」


 秋葉は何かを言いかけようとして、止めた。僕の手から秋葉の手にアイスが渡った時の秋葉の表情は、あの日のように複雑に、様々な感情が混じりあっていた。


「公園で食べない?」


 この気温じゃあ帰る前には溶けてしまっているだろう、というもっともな理由を付けて、秋葉を誘った。秋葉は数秒考えてから、


「うん」


 と、先に歩き出した。前にいる秋葉は爛々と輝く太陽の光に照らされて、光っていた。この世界の何もかもが遠くに思えて、皆が輝いているように見える僕だが、秋葉の輝きだけは別格だった。


 汗ばむ首元も、透けるように白い肌も、揺れるポニーテールも、全てが秋葉全体を輝かせて、眩しいものにしていた。


 そんな今日の秋葉と並んで歩くのは僕にはハードルが高かった。だから、照れ隠しにまた愛想のない顔をして、いつでもこの光景を鮮明に思い出せるようにとにかく秋葉の姿を目に焼き付けていた。


 もう夢で見た日が明日に迫ってきているのだと思うと当たり前だが、やはり僕らは成長したんだなと感じる。


 身長は僕の方が六センチ程高い為、隣に並ぶと僕は秋葉を見下げられる。僕達の歩幅も大きくなっていて、昔なら五分もかかった公園までの道のりが、今なら二分ほどで辿り着いた。


 公園に入ると、木の陰になっているベンチに横に並んで座った。すぐそばに秋葉を感じて、暑さのせいでなく、体中が火照って心拍数が上昇するのを感じた。


 僕達はどちらかともなく封を開けると、アイスを口の中へ入れた。バニラアイスをコーティングしたチョコレートは、舌の熱で直ぐに溶けた。


 甘い。そう言いそうになって隣を見ると、秋葉はなんとも美味しそうに食べていた。至福の時、今の秋葉にはその言葉がぴったりだった。その姿に思わず見惚れていると、僕の視線を感じた秋葉と目が合った。


「何?」


 秋葉らしからぬぶっきらぼうな声色さえ、愛おしいと感じる。秋葉と別れた後で、僕は今日、必ず泣いてしまうだろう。


「美味しそうに食べるね」


 もっともっと、話したいことは沢山ある筈なのに、いつもの僕が邪魔をして本当に言いたいことが言えない。


「うん、美味しい」


 秋葉は食べながら笑った。その天使のような微笑みを間近で見せられて、僕は表情を取り繕うのに必死だった。


「夏彦が払ってくれるのなら、もっと高いアイスを選べばよかった」


 ふふ、と、秋葉はいたずらっ子のように微笑んだ。かわいいな、とポロッと口から飛び出でてしまいそうになって慌てて口をつぐみ、他の言葉を探した。


「いいよ。一番高いのでも、業務用の大きいのでも、なんでも」


 今の僕にはお金を惜しむ必要はない。それが秋葉のためなら尚更だ。


「ほんとになんでもって言ったね。じゃあ次は覚悟しておいてね」

「うん、分…「あ、もしかして嘘?」


 僕の言葉を遮って、秋葉は気づいたよ、とでも言いたそうに僕の目をまっすぐ見て、僕を疑っていた。


 確かに今日は嘘をついていなかったな。朝からメッセージを送ろうとしては送信ボタンをタップできずに、そんなことを何回も繰り返していた。


 秋葉に会えた喜びで、初めて嘘のことを忘れていた。今日の僕は全て本心から言っているのだけど、そうだ、僕は有名な童話のほら吹きと同じだ。毎日嘘をついていたら、誰からも信用してもらえなくなる。


 それなのに、秋葉には信じてもらいたいと、どうして僕が言えるだろうか。それに、次なんてものは存在しないのだから、嘘といえば嘘になるのか。それならこの本心を偽りのように見立てて、今日のノルマを終わらせよう。


「どうだろうね」


 きっと秋葉にはこれだけで感じ取ってもらえる筈だ。僕の予想通り、秋葉は少し考えた後ため息をついた。


 そのうち手に持っていたアイスが少しずつ溶け始めて、僕たちは急いで舐めた。また甘い味が口いっぱいに広がる中でほんのりと苦みを感じるのは、僕の気のせいだろうか。


 アイスを食べ終えるまでだ。残された時間はあと少しだけ。それなのに、太陽が、地面からの照り返しが、アイスと僕たちを攻撃してゆっくり食べさせてもらえなかった。そしてその時間は一瞬にして終わってしまった。


「食べ終わったし、帰ろっか」


 その言葉の意味を知らない秋葉は、僕に残酷に告げると、普通に立ち上がって帰ろうとした。しかし、僕はズボンが接着剤でベンチに付けられたように、動き出す為には相当な力が必要だった。


 ……あと数秒だけでもいいんだ、まだ秋葉と別れたくない。


 名残惜しさに、僕はようやく取り繕うのを止めた。


「……秋葉は、僕と友達になれて良かった?」


 それだけが聞きたかった。泣きかけているのだけは我慢して、これまでにないほど強く秋葉の目を真っ直ぐに見つめた。


「………友達のままで終わりたくない」


 声を発したかどうかも分からない位の小さな声。けれど秋葉の唇は僅かに動いていて、僕の耳にはその言葉が確かに聞こえた。秋葉は僕につられるように涙目になっていた。


「え?」


 僕は結局自分に正直になれずに、聞こえているのに秋葉に聞き返した。秋葉は、僕が聞こえない振りをしたことに気づいていたのだろうか。


「何でもない」


 秋葉はそう言うと、黙り込んでしまった。帰ろうとはもうどちらも言わずとも、道に出て歩き出した。


「バイバイ、秋葉」


 秋葉は僕の別れの言葉にも小さく手を振るだけで、喋ろうとはしなかった。それどころか、僕を見ることはなく、ずっと俯いていた。帰り道は不思議なほどに静かで、遠ざかっていく秋葉の息遣いさえ感じられそうだった。


 僕は、夢のおかげで秋葉が僕に好意を寄せてくれていたことは知っていた。しかし、それは僕が何も知らずに行動したときの結果であって、散々秋葉を遠ざけて傷つけた現実の僕が、好かれているとは思わなかった。


 僕は最後に秋葉の気持ちを現実に、この耳に聞くことができて、天にも昇る気持ちだった。嫌われていなければいい位の気持ちで聞いたのに、そんな言葉を返されたら、どうしていいか分からなくなるじゃないか。


 けれど、僕は素直にそれを嬉しいと言える立場じゃない。ここで感情のままに動いたら、これまでの苦労が水の泡になってしまう。だから、最後まで突き放さなければいけないんだ。


 ……けれどもし、秋葉の気持ちに応えられたなら、僕がこの気持ちを伝えられたなら、どれほど良かっただろう。


 あり得るはずがないそのルートを考えずにはいられなかった。僕は秋葉と過ごした時間を振り返っては、枯れ尽くすほどに涙を流していた。


✴︎


 その日の夜は、満月だった。確か、満月に財布を振って願い事をすると叶うらしいな。僕は町全体をうっすらと明るく照らす満月を見つけて、ふと思い出した。急いで鞄から財布を取り出すと、


「秋葉が秋を迎えられますように」


 と祈ったのだった。僕が神様に祈るのは違っても、月に願うのくらいはいいと思う。


 なぜなら太陽の力を借りないと輝けない月は、僕そのものだと思うから。秋葉がいるから存在を認められている僕は、その太陽のために全てを捧げるよ。


 この同じ月を、秋葉も自分の部屋のあの小窓から眺めているような気がして、それだけで嬉しくなった。


 ……僕はそのとき、不謹慎にも明日が楽しみだと思ったのだった。

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