【五】好きだよ

 夏彦と和花が連絡先を交換してから数週間。二人の仲は確かに近くなっていた。夏彦が私に話しかけてくるのは必ず和花が隣にいる時だとわかり、その事を感じる度に心がチクリと痛むのに、同時に夏彦への気持ちも大きくなっていく。


 それとなく聞くと、夏彦は和花ともほぼ毎日会話をしているようなのに、私へも必ず毎日嘘をつき続けている。今日はまたいつになく雑な嘘で。


「僕が今年死ぬっていったらどうする?」


 夏彦が持病を持っている話は耳にしたことがないし、そんな縁起でもない事を言わないといけないくらいに、ネタが尽きてきているのだろうか。例えそうだとしても、もう連絡してこないで欲しいとは思えない。


 これだけ雑な文章でさえも、夏彦からだと嬉しくなってしまう。毎日欠かさず送られてくるメッセージに少し期待してしまうこの気持ちは、どうにもならない。


「嘘でしょ」


 それでも、その気持ちには蓋をしなければならない。日に日に距離を詰めていく二人を見ても悲しくならないように、心を強くしておかないと。


 そう思うと、返信をするのさえ億劫になる。もっと話したくても、和花の事を考えると世間話さえ出来そうもない。本当はどうしていいのかもわからない。私の返信には既読無視をしたのに、和花への返信はきっとスタンプでも使っているんだろう。


 もう、こんな悶々とした想いは嫌だ。明日は日曜日で、和花にも夏彦にも会わない。だから、今日こそ思い切って聞いてみよう。


「夏彦、和花のことどう思ってるの?」


 送信ボタンをタップしてから十数秒。ほぼ確定している答えが返って来ない確率は、何パーセントだったんだろう。夏彦の返信は、いつになく早かった。


「好きだよ」


 私の質問さえなければ、まるで私への告白であるかのようだったのに。想定していた答えが返ってくるものだから、私の期待は儚く崩れていった。


 今日は先に嘘をついているから、この言葉は本当なのだと認識させられる。この気持ちを捨てられたらよかったのに。明日の朝起きたときに、夏彦に対する感情が全部消し飛んでいてくれたらいいのに。


 和花も最近夏彦が気になると言っていたし、二人がくっつくのは時間の問題だろう。本当は、立場的に私が二人を取り持った方がいいはずだ。けれど、もちろんそんなことはしたくなかった。


 今夏彦に告白したら、何かが変わるだろうか。二人の両思いの間に体を滑り込ませられるだろうか。いや、こんな時に告白できるのなら、もうとっくにしているか。


 二人の間はきっと、私の小指一本すら挟める隙間もないくらいにぴっちりと閉じているのだろう。夏彦を意識し始めてから、一日ずつ過ぎる度に気持ちが膨れていく私とは反対に、夏彦は一つずつ嘘をつく度に私から離れていっていた。そのことは私が一番、痛いくらいにわかっていた。


「そう」


 それだけ送ってスマホの画面を消した。泣きたくもないのに涙は溢れてくる。反射だ、反射。そういう事にして、何もやる気力が湧かなくなった私はベッドに横になった。


 紫色のクッションを抱いて涙を吸い取ってもらっていたら、私はいつの間にか眠ってしまっていた。


✴︎


 来て欲しくなかった月曜日は、二回も寝れば嫌でも訪れた。夏彦の気持ちを聞いた手前、和花と一緒にいるのは気まずいだけだったが、何も知らない和花をいきなり避けることもできない。


 先生の話を聞いているようで、私の頭には入ってこない。グラフの最大値がなに、ナリ活用がなに、アボガドロ定数がなに? 七限の授業が、今日はいつになく急ぎ足で過ぎていった。


 放課後、生徒会に行くという和花と別れて駐輪場に向かった。今日も生徒会で、夏彦との仲を深めているのだろうか。


 そう考えていると、私が自転車を取り出している間にまるで私の気持ちと呼応するように、雲に覆われていた空からポツポツと雨が降り始めた。天気予報は大当たりで、停滞前線の影響か降ってきた雫を眺めているうちに雨はすぐに強まった。


 今日は朝から暗かったし、カッパはバッチリ持ってきている。私の気持ち的にはこの雨でずぶ濡れになりたかったのだが、もうすぐ期末考査があるのに風邪は引いていられない。中学校から使っているクリーム色のポンチョ型のカッパを身に付けて、自転車を押し始めた。


 雨が斜めに降っていて視界が狭まっているので、校門を出て慎重にペダルをこぎ出した。安全第一のスロースピードでいると、後ろから自転車が近づいてくる音が聞こえた。


「そんなによろよろだと逆に危ないと思うよ」

「うわっ」


 まさか夏彦だとは思いもよらず、急に話しかけられてよろけてしまった。後ろから追い越そうとしていた夏彦の自転車とぶつかりそうになって、危うく事故が起こるところだった。幸い、私達しかいなくて良かった。


「言わんこっちゃない」

「夏彦が喋りかけるからでしょ」


 夏彦は、はぁ、と溜息をつくと私の隣に並んで自転車をこぎ出した。


 これは、一緒に帰ってくれるチャンスだろうか。ロードバイクなのに私のノロノロスピードに合わせてくれているし、もちろん帰る方向は同じだ。


 けれど、私の頭でチラつくのは当然和花の事だった。一昨日の今日で、夏彦と普通に話せる気がしない。けれどこれを逃してしまったら、夏彦と一緒に帰る機会は無いかもしれない。


 夏彦は前だけを向いていて、何も話さない。カッパのフードのせいで全く見えない表情。雨がコンクリートに跳ねる音だけが頻りに聞こえる中で、大通りの信号待ちに差し掛かった。


「今日階段ですれ違ったときに見たけど、ハンカチ、まだ使ってくれていてありがとう」


 ボソリと呟いた夏彦。びちびちと煩い雨音のせいで、聞こえ損ねるところだった。ハンカチというのは今私のスカートのポケットに入っている、随分前に夏彦からもらったもののことだろう。


「気に入ってるから」


 気に入っているし、夏彦から貰ったものは捨てられずに全て保管してある。夏彦から貰ったものだからと言ったら、夏彦はどういう反応をするのだろう。まあ、無表情なままだろうけど。


 信号が青に変わって横断歩道を渡り始めても、夏彦はスピードを上げることなく私の横にいてくれた。


「夏彦は、私があげたキーホルダーとかはどうしてるの?」

「机の左の箱の中に入れてる。大事な物は全部」


 今さらっと、大事な物って言ってくれた。まだ持っていてくれることへの喜びで見逃しそうになったが、私は何かが引っかかった。


「それ、嘘?」


 殆ど勘だった。夏彦が答えた時の雰囲気が、嘘をつく時と同じだった気がした。面と向かって言われた嘘は久しぶりで、もしかしたら違うかもしれないが。


「どうしてばれたんだ」


 フードで見えない表情が、動いたのが分かった。夏彦の今の顔は、驚きと感心が入り混じっているだろう。


「本当は机の引き出しの奥に入れているよ」


 なんだそっちか。嘘だと言うから、お土産のキーホルダーも、こっそりお揃いにしたボールペンも何も、持っていてくれていないのかと思った。


「ラブレターとかも入ってたりして」


 これは夏彦のポーカーフェイスが崩れたから少し揶揄おうと、ただの冗談のつもりで言ったのに明らかに夏彦がうろたえた事に気付いて、一気にテンションが下がってしまった。


「うん」


 今時、手紙で告白する人なんているんだ。ダサいけれど、夏彦らしくて笑えてくる。そして、笑わないとやっていけない。だってそのダサい手紙すら、私には貰える資格がないのだから。


 雨足は更に強くなってきた。カッパを打ち付ける大量の雨粒を感じて、私も夏彦の方を見られなくなった。隣の自転車との距離は物理的には近くても心の距離は、万里の長城の長さで足りるだろうか。折角の機会だしと話しかけた気がするけど、もう何を話したのかは覚えていなかった。


✴︎


 ……そしてその二日後、二人は付き合い始めた。


 その報告を聞いたのは和花からで、私は何もしていないのにありがとうと感謝されてしまった。おめでとうという私の言葉を聞いて私の何十倍も可愛く笑う和花に、また嫉妬の心が強くなった。


 私の立場的に、祝福の言葉は半ば自分で自分に言わせていただけなのに。その言葉の裏を考えずに素直に受け取れる和花が羨ましい。


 私は毎日毎日夏彦の雑な言葉やピクリとも動かない表情の裏を考えてばかりだというのに。いや、違う。そういう素直な性格の和花だから、夏彦は選んだんだ。


 日を追うごとに段々と学校が居心地の悪い場所になりつつある。私は夏彦を避けるようになり、そうなれば当然、全く会うことはなかった。


 しかし、和花と付き合い出しても尚、私に毎日嘘を送る夏彦の気が知れず、私の返信は適当になっていくのだった。

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