第3話 ネリネ
翌朝、例のごとく村内放送の音楽で目が覚めた。僕は昨日見せてもらった写真の花について調べようと思い、近くの図書館に出向いた。
まあ近くって言っても田舎だから結構遠いのだが。僕は坂道を自転車を押しながら登った。中学の頃もこうやって登校してたなぁ。
「おっ、シオンじゃんまたあったな。」
ああ、畑中か。
「なんだその反応、つれないなぁ。図書館に用があるのか?」
「ちょっと調べたいことがあってね。」
図書館中の植物図鑑を探せば見つかるだろう。
「なあシオン、携帯持ってるならメアド教えてくれよ。」
畑中は僕の胸ポケットを見て言った。
「いいよ。」
メアドを見せようと携帯を開くとバッテリーが20%も残っていなかったので口頭で言った。
「あ、そういえば未花覚えてる?」
「あー未花ね、覚えてるよ。シオン家近かったっけ。」
「うん、この前未花の姪とも話したんだよ。人見知りみたいだけど、畑中だったらすぐに仲良くなれそうだなって思って。」
別に話のオチは無い。
「お前は俺のことコミュ力お化けとでも思ってるのか?」
畑中は苦笑いしながら言った。
「実際そうでしょ?中学入学してすぐにたくさん友達作ってたじゃん。」
「まあ、そうだけど…俺の友好関係は広く浅いからな。特段仲いいやつは少ないぞ。」
へぇ、そういうものなのか。
「お前は狭く深くだもんな。」
「確かに、友達はあんまり多くないけど。」
「それくらいが丁度いいと思うぞ。あ、俺そろそろ行かなきゃだ。」
畑中は腕に巻かれた腕時計を見て言った。
「それやるよ。熱中症には気をつけろよ!」
塩分タブレットと袋に書かれている。コンビニでよく見るやつだ。流石運動人だな、と感心する。
「おう、そっちもな。」
畑中は颯爽と走っていった。服装からしてジョギング中だったのだろうか、呼び止めたのに少し申し訳なさを感じた。
もうちょっと登ったら下り坂だ、頑張ろう。
汗をかいた体に鞭を打って、自転車を押した。
「未花の姪ともってさっきあいつ言ってたよな。でも、未花は…。いや、たぶん俺と姪って意味だよな、きっとそうだ。」
違和感と汗をスポーツタオルで拭ってまた走り出した。
はぁ~、生き返る~。
流石図書館、クーラーがガンガンにかかっている。冷風で汗を乾かしながら生物ブースに移動した。植物図鑑、植物図鑑…あった。見覚えのあるハードカバーを机に置いた。
なんとなく小説スペースにも寄った。その中から『蜃気楼』という本を見つける。僕が学生時代好きで借りていた本だ。今もあって、ちょっと嬉しい。
「さ、探すか。」
席に座る。名前もわからないので写真から探すしかない。一からページをめくっていく。
携帯のバイブが鳴った。マナーモードにするのを忘れていたが、周りには誰もいないから良いだろう。充電するのを忘れたせいでバッテリー切れになるのが怖い。後で返信すればいいと思い、放置した。
「秋の花」という項目まで到達したときに、ようやく目当ての花を見つけることができが、14時を過ぎている。どうやら完全に没頭していたようだ。どうりでお腹が空いた。
「ネリネ、っていうのか」
どこかで聞いたことがある。もしかしてこのページ前に見たことがあったかもしれない。
紙を指でなぞる。十月に咲く花、ヒガンバナ科、ヒガンバナ属、別名ダイヤモンドリリー、花言葉は…
次の言葉を読もうとした瞬間、ガラケーがうるさく鳴った。夏鈴ちゃんからだ。
「もしもし、どうかした?」
何も言わない。
「…もしもし?」
間違えたのだろうかと思い、切ってしまった。そしてなんとなしに受信メールを開いた。その瞬間、僕は強く自責することになる。
『from:母 題名:無し
夏鈴ちゃんが一人で出かけて、朝から姿が見えないそうです。昨日の夜、シオンのことを話してたそうですが、何か知ってますか?』
下までスクロールさせた瞬間に充電が底をつきて、画面が真っ黒になった。
僕は考える前に走り出していた。図書館を出て、ひたすら自転車をこぐ。
あそこだ、昨日行っていた石階段の登った先にいるはずだ。確か、あの上には開けた芝生の広場があって、それで…いや、そんなことはどうでもいいんだ。
上り坂と照り付ける太陽が僕の体力を削る。夏鈴ちゃんはあんなに夢中になってあの花を探していたような子だ。もし、間違えて森に入って何かあったら…水も飲まずずっと動き続けていたら…足を踏み外していたら…
僕は自分を殴りたかった。あの時携帯を開くべきだった。母の忠告を聞いて充電するべきだった。
「頼むから、無事でいてくれ…!」
一つの上り坂をようやく登り終えたころには、僕はもう汗だくだった。もう上り坂はないが、しばらく平地を走る必要がある。
とにかく、一心不乱に自転車をこいだ。そしてようやく、石階段の下までたどり着くことができた。
「あとは、上まで階段を登るだけだ…。」
その時すでに、普段運動しない僕の体は限界を迎えていた。半分登ったところで、足が動かなくなった。
僕は、行かなきゃいけないのに…。
気持ちとは裏腹に、体は動いてくれない。僕は階段に腰をついた。
「シオン君」
口角を下げた未花が目の前にいた。いつも笑顔な分、少し怖い。おかしい、後ろには誰もいなかった。いたら気づいてるはずだ。
「未花、どこから、あと、夏鈴ちゃんが、」
僕は息絶え絶えな状態で答える。酸素が入ってこない。苦しい。
「知ってる。ほら、これ飲んで。」
未花はスポーツドリンクを差し出した。受け取るときに触れた手は冷たかった。何も考えずに喉に流し込んだ。
「ありがとう、助かった。じゃあ、行こう。」
「行けない。」
「え?」
「私は、この先には、行けない。」
どうして…。
「何故かは言わないけど、行けないの。」
氷のように冷たい声だった。
僕は恐る恐る聞いた。
「未花、昨日飲み物階に行った後、どうして帰ってこなかったの?」
未花は下を向いて答えない。
僕は自分の憶測が当たりそうで、もう何も考えたくなかった。頭を垂れて階段を登る。
「シオン君、」
未花は僕に向き直った。僕と未花との数段の差が、ものすごく大きく感じる。
「夏鈴ちゃんをよろしくね、あの子たまに危ない時があるから。シオン君ならきっと仲良くなれる。あともう一つ、ずっと言いたかったんだけど、」
耳を塞ぎたい。もうこれ以上聞きたくなかった。だって、未花はこれ以上言うときっと…。
「今まで、ありがとう。っていっても、小・中学校までしか話さなかったけど…」
彼女は苦笑いを浮かべる。
「私にとってはすごい楽しい日々だったの。だから、ほんとにありがとうね。」
秋のように涼しい風吹いた。顔に浴び、思わず目を閉じた。
目を開けると、そこには誰もいなかった。
空を仰ぐ。元々そこには誰もいなかったかのように、世界は動いている。雲の白色がきれいだ。
僕は畑中にもらった塩分タブレットを口に入れ、奥歯で砕きながら階段を登った。
そうだ、今思えばおかしいところがたくさんあったんだ。
夏鈴ちゃんは写真の中の未花を「女の子」と言った。未花に見せてもらったのなら、未花はその子が小さい頃の自分だと言ったはずだ。だけど、夏鈴ちゃんは「女の子」と言った。
僕は『蜃気楼』という本が好きだった。あの本は、亡くなった主人公が生前の気持ちに区切りをつけるために、幽霊となって現世をたどるという内容だ。そうだ、彼女は―――
階段を登り切った。道なりに進むと、墓地があった。
僕は何かに導かれたように、一つの墓石の前に立つ。
『日比谷家之墓』
横にある、墓標を見る。
『日比谷 未花』
そうだ、未花は数年前に死んでいた。僕に、感謝を言いたくて現世に帰ってきたのだろうか。
後ろに人の気配がして、振り返った。
「あ、お兄ちゃん。」
そこにはネリネを両腕から零れ落ちるほど持った、夏鈴がいた。
「夏鈴ちゃん、今までどこに、」
「これ」
言い終わらないうちに、夏鈴ちゃんは腕の中の花を墓石に供えた。
「未花お姉ちゃんは、夏鈴が覚えてないくらい小さい頃に遊んでくれてたんだってママが言ってた。」
墓石の前に夏鈴ちゃんが立つ。背はとても小さいのに、その姿はまるで勇者のように勇敢だった。
「だから、このきれいな花、お姉ちゃんにあげようと思って探してたの。」
「この花、未花が好きって言ってたんだ。名前は今まで思い出せなかったけど…だからきっと、喜んでると思う。」
「そっか。」
夏鈴ちゃんが手を合わせた。僕も同じようにした。
未花へ語りかける。
夏鈴ちゃんはすごくしっかりしてて、思いやりのあるいい子みたい。きっと大丈夫だよ。頼りない僕よりよっぽど大丈夫だ。
あと、もう一つ。こちらこそありがとう。僕はこの夏、ものすごく大切なことを見つけられた気がするんだ。だから、ありがとう。
「シオンお兄ちゃん」
目を開ける。
「こっち」
隣にいる夏鈴ちゃんが歩き出した。後を追いかけた。たくさんの墓石の群れを通り抜け、開けた場所にたどり着いた瞬間、桃色が目に飛び込んできた。ネリネが一面に咲いていた。風が吹くたびにキラキラと輝いている。
「うそ、ネリネがこんなにたくさん…夏、なのに。」
図鑑では、この花は秋に咲くと言われていたはずだ。
「はい、お兄ちゃんも」
目の前に花が差し出された。
―――私、これの花言葉好きなんだ。
過去の記憶が蘇る。ネリネの花言葉は―――
「また会う日を楽しみに、か。」
少し気の早い秋の風に、思わず目を閉じた。
「かりーん、そろそろ起きなよ!」
「はいはーい」
半分寝ながら階段を降りる。夏の夜は相変わらず寝心地が悪い。
「今日シオン君帰ってくるんじゃないの?」
「え、今日って何日?」
「十一日。夏休みだからって寝てばっかりいるから日付感覚無くなったんじゃないの?」
笑いながら母は言う。
「やばっ、お花買いに行かないと。」
朝の支度も早々に済ませて、玄関に急いだ。あっ、スマホ忘れてた。机の上にあるスマホを、強引にカバンに入れる。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。」
「いってらっしゃーい」
勢いよくドアを開けて、真夏の空に飛び込んだ。
正直夏は嫌いではない。勿論暑いし、エネルギーを取られる。でもいい季節だと思う、とても。そうだ、僕は夏が好きだ。
これでもかというほど長い石階段を登ったら、君に会える。今年は何を話そうか。思わず僕は、まるで子供のように階段を駆け上った。
ネリネ @Flug_202020
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