あいつと星空と私
山後武史
あいつと星空と私
「結局、パンクロックが最高なんだ。何がいいってシンプルさと凶暴さと少しの寂しさがあるところ」
唾が飛んできた。最悪だ。
私は頬を掻くフリをして指先で拭い、隣の座る男のシャツにこすりつけた。私の隣でパンクロックがどうとか講釈を垂れているこいつは川島。私の指がこすりつけられた袖と私を見比べ一瞬黙ったが、再び話し始める。
「で、ラモーンズのスタイルにはしびれた。何でかって……」
私は、天文部の部長特権で鍵を開け、放課後に東校舎の屋上にいる。といっても、今日は活動が休みの日だ。空き教室の椅子を持ち込み、ぼーっとしていた。冬の空はあっという間に暮れてゆく。幼いころから私は、劣勢だった黒が逆転してオセロ盤を占領していくような、色が夜に変化していく時間帯の空が好きだった。あそこに輝いている星はきっとシリウスだろう。
私は高校2年生の女子、2月の放課後、男子と屋上で二人きりというシチュエーションの真っ只中だ。にもかかわらず、ちっとも良い雰囲気にはならない。私に問題がある? それとも川島? 何にせよ、私は川島とそんな雰囲気になるなんて、想像できなかった。興味などノミの心臓ほども無い私に構わず、川島は一生懸命話し続ける。
「俺にとってラモーンズのジーンズはパンクロックのシンボルなんだ。憧れてリーバイスのダメージジーンズも買ったんだ。それに……」
川島の話は続きそうだ。私は適当に相槌を打つ。
2年生の天文部部員は私と川島、この2人だけだ。先輩らが引退した時、自動的に私が部長、川島が副部長の座に就くこととなった。部長は男子にやらせたかったが、川島が部長では巡り巡って私に負担がかかりそうな気がしたので、それなら最初から私がやる、というわけで、部長に立候補したのだった。
この天文部は、顧問にギリギリ怒られないぐらいで活動することをモットーに日々真面目に取り組む私達だが、星空の話をこの2人だけでしたことはない気がする。1年生の前では先輩風を吹かせた話はするけど、星に興味がある子達は私達なんてすぐ置き去りにしてしまう。すでにそんな子達がいるから、引退していく身としては天文部の行く末は案じていない。川島と私の間で交わされる会話なんて、英語の教師がどうとか、あの課題はやってられないとか、他愛もない話か、今みたいに一方的に川島の趣味の話、つまりロックの話を聞かされるくらいだ。1年生の冬まではもう少し真面目に聞いてやっていたが、既に聞き飽きてしまった。私は安全ピンで留めたボロボロの服を着た、つんつん頭の男が歌っている姿より、イケメン達が踊って歌っている音楽が好きなのだ。
いつか川島が天文部を選んだ理由を聞いたことがある。とあるバンド(名前は忘れた)の誰それ(もちろん忘れた)が天文学者だから、俺も星に詳しくなりたい、などと言っていて、私には理解できない理由で部活を選ぶ人もいるのかと衝撃を受けたものだ。
「……と、そんなわけで俺のパンクロック愛を久しぶりに伝えることが出来たな。まずはラモーンズから聞くといい。おすすめだ」
どうやら話は一段落付いたようなので、私の意見を言っておく。
「ラモズーンは聞いてもピンと来なかったって前も言ったじゃん。そもそも洋楽ロックに興味ないって」
「ラモーンズ、な。絶対わざとだろ。ま、いつか、がつんとやられて良さがわかる時が来るからまた聞いてみろって。な?」
出会った時から押し付けがましく、ロックに関しては人の話を聞かないやつなのだ。
それでも私はなぜ今日みたいに部活のない日の放課後にも一緒にいることを良しとしているのか。私にもよくわかっていない。ちょっと顔は好みだが。
私は、椅子から立ち上がって背中を伸ばした。ポキポキッと小気味良い音が鳴って、とても気持ちいい。東を向くと、屋上に設けられた柵から木々が見える。森がすぐそばにあり、その向こうには1000m級の山が私達を見下ろしている。森のある方へ近づいて山を見ていると下から声が届いた。校舎は4階建て。地面まで10mちょっとくらいだろうか。日も暮れて森が迫った位置にあるため薄暗いが目を凝らすと、校舎の外で男子達がふざけ合っている、ということが辛うじてわかった。
「そういえばお前は進路はどうすんの?」
下をじっと見つめていた私は振り返って柵にもたれかかった。
「無難に進学。やりたいことって特にないけど、親は行けって。行っとくべきじゃないの? 今の時代」
「まあ、そうだよな」
「川島は違うの?」
「きっと進学するんだと思う」
「なんだか他人事みたいに言うね。自分のことなのに」
私はさっきまで溌溂と喋りに喋っていた時との落差に少し笑ってしまう。
「他人事って、わけじゃないけど」
「歯切れが悪い」
ますます変な感じだ。しかし私の周りもそろそろ進路を意識し始めている人達が多い。私達の学年に漂い始めた微妙な空気に、この男も影響を受けたのだろうか。意外と真面目なところがある。
「就職か進学か、迷ってる」
「就職って、やりたい仕事でもあるの?」
「そういうわけでもないけど、親にたくさん金出してもらってまで大学に行きたいとは思えないんだよな……」
「なるほどね」
私はそっと唇を噛んだ。
会話は途切れて、運動部の掛け声や放課後にはしゃぐ生徒の声がかすかに聞こえてくる。
あと半年も経たない間に私達はこの部活を引退し、受験するとか就職するとか、とりあえず進んでいく道を社会に表明しないといけない時期に差し掛かる。忙しくなるのだろうか。その時、屋上で過ごしたこの時間を懐かしく思い出すのだろうか。私はさっきまで座っていた椅子に戻って、川島に質問をすることにした。
「ずっと気になっていたんだけど」
「何を?」
川島はじっと奥二重の瞳で見返してくる。
「何で私にずっとロックの話をするの?」
「いまさらだな」
川島はそう言って笑い、私もそれにつられるように吹き出した。
「私も何で今まで聞いてこなかったのか不思議に思ってる。きっと今がその時だったんでしょ」
「理由はちゃんとある」
「私ぐらいしか聞いてくれる人がいないから?」
「違う」
川島はむすっとした返事をした。この返答は私には意外だった。それ以外の理由なんてないと思い込んでいたところがあったからだった。
「えっ、違うの? じゃあ何」
私は驚いた声で聞き返した。
「失礼なやつだな。前から知ってたけど」
そう言って川島はポケットに手を入れて足元に目を落とした。拗ねた感じの時はいつもこうだ。
「あー、ごめんってば。で、理由は何なの?」
のろのろと顔を上げた川島は、ため息を一つ。
「わかったわかった言うよ。でも聞いて怒るなよ?」
「わかってるって、さあ早く早く」
私はちょっとわくわくしてきている自分に気付いた。よっぽど聞きたかったのかもしれない。私の無意識な部分で静かにくすぶり続けていたんだ、きっと。
「それじゃあ言うけど……。お前はそんなに人と群れるタイプじゃないだろ? 俺もどっちかというとそうなんだけど」
後半は消え入るような感じで川島はぼそぼそと言った。私は、言われた通りなので肯定する。
「まぁそうね。友達が少ないとも言うけど」
「だろ? そういうやつって、それで構わない、平気だ、自分はそんなものだと自分に言い聞かせるけど、どっかで寂しい気持ちが必ずあると思うんだ」
川島は私に恥ずかしさの入り混じった笑顔を見せた。
「少なくとも俺はそうなんだ。で、同じ部活に同じように見えるやつがいた。だったら友達になれるかなと思って」
「え、想像してたパターンにない。意外だ、それは」
「基本、お前は無口だしさ、俺が話すしかないじゃん。でも、女子と共通の話題とか興味のある話題なんて俺が持ってるわけないだろ」
「うん、それは間違いない。あと私が無口なのも認める」
「だから、無理に話題を考えるくらいなら大好きなロックを知ってほしいと思ってな」
川島の話を聞いた私は、でも、もっと上手いやり方なかったの、とは思っても、もちろん口にはしない。
川島の気持ちが素直に嬉しかったからだ。
「今さら迷惑とか言われてもやめねえからな、多分」
目を逸らしながら、ぼそっと川島は言った。
「あ、照れてる」
「ばーか、照れてねーよ、ばーか」
川島の今の話で私は何だか力が湧いてきた気がする。やろうかやるまいか、いや、できるかできないか、か。川島と話しながら迷っていたことがあった。でも、偶然にもこれで決心が付いた。これからやることが失敗しても、私には川島という友達がいてくれる。
「ねえ、川島」
照れ隠しなのか、椅子の上でぼけっと空を見上げて平気なフリをしている川島に声をかける。川島はさっとこちらを見た。
「あんたが散々話してくれたおかげでパンクロックがどういうものか、わかった気がしたよ」
「それは良いじゃん、どういうのか聞かせてくれよ」
その問いかけに答えず、私は椅子から立ち上がって、屋上の柵へ足早に近づいた。川島の方を振り返ると、私が何を始めるのか理解できないようで、不可解そうな面持ちで私を見ていた。
私は川島にこちらへ来るように手招きした後、校舎の下を覗きこんだ。
まだやってるな、あいつら。
息を精一杯吸い込んで、私は校舎の外でふざけ合っている男子達に叫んだ。
「そこのあんた達、つまらないことばっかりやって、だっさいんだよ!」
私が目を凝らす先では、3人で1人を相手にして小突いたり蹴ったりしている姿があった。ふざけ合っているだけだと思ったが、やめて、という悲鳴が聞こえてきたのだった。聞こえていたのに、さっきはすぐに何も出来なかった。
3人組は急な声に驚いて動きを止めた。それぞれ辺りを見回して声の主を探し、やがてその内の1人が屋上にいる私を指さして、仲間に告げる。
その隙にターゲットにされていた男子は逃げ去った。
私は真下で固まっている3人を睨んでみたが、やはり顔までは判別できない。幸い、向こうも私の顔はわからないのだろう。
焦ったように怒鳴り、相談する3人組の声が届く。
誰だ、あいつ。知るかよ。ふざけんなよ、どうする? 屋上だろ、行くか?とかなんとか言っている。
「ああ、そういうこと」
いつの間にか私の隣に来ていた川島はそう呟いた。大体の事情は察したみたいだ。
ぐずぐずしていた3人組は一斉に走り出した。走っていく方向から考えると、この校舎に駆け込んできそうだ。
私は笑って川島に言った。
「これが、パンクロックでしょ?」
「最高」
川島はにやにやしながら、一言返してきた。
「ここでボサボサしてたら、あいつらが来るかもしれんし、行くぞ」
「うん、さっさと逃げよう」
私達は走り出した。
シリウスの下、私達のぱっとしない青春も、この瞬間は少しだけ輝いていた。
あいつと星空と私 山後武史 @sangotakeshi
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