弐、七つになった
秋の雨は容赦なく降り続け、屋根の上では小さな洪水が出来ていた。
灰色の空から雨が降ると、いつも、お天道様が寂しくて泣いているのだと思っていた。
雲がお天道様を隠すと、その日は大雨で外へ遊ぶことも出来ずに、家でお手玉をしていた。
母は長い紐の端を口にくわえ、袖を捲くると、垂れ流した紐で袖を巻き込みながら肩に巻いて背中に通し、反対の袖も紐に巻き込み肩に巻きつける。
また背中に紐を通して、後ろでバッテンを作ると、口にくわえた端と背中を一周させた紐の端を、肩の前で結び掃除への心構えを作った。
じとじとした雨に気持ちで負けないよう、身を引き締めた母は、袖が垂れ下がらないとわかると、うえすを水の入った
「ほら、オミヨちゃん。お母ちゃんお掃除するから、あっちで遊んでなさい」
柱に背をつけて座り、お手玉していた私は、母に追い払われて、縁側で続きを遊ぶ。
私は縁側へ移ると、戸を少しだけ開けて、お天道様の顔色を伺う。
屋根から落ちる雫が風にあおられて、戸の中へ入ってくると、母は「雨水が入るから閉めなさい」と、一喝した。
泣く泣く戸を閉めようとした時、わずかな隙間から、こちらを見つめる人影が目についた。
カエルの鳴き声もかき消してしまうほど、ザンザン降りの中、微動だにせず静かに凝視する人影。
背丈は大人とそう変わらず、黒い頭巾をかぶって顔を隠し、墨で染めたような風呂敷をまとっていた。
私はその異様さに、恐怖を覚えて母に声をかける。
「お母ちゃん、お外に誰かいるよ」
「ちょっと! 裏から入るなんて、物取りじゃないだろうね?」
母は怪訝な顔で縁側に歩み寄り、戸の隙間から恐る恐る覗いて、ため息を混じえて言う。
「誰もいないじゃないさ?」
「お外にいるよ? あの人、私のこと見てる」
母は食い下がる私を叱る。
「だから、誰もいないでしょ?」
「でも、いるの……」
「い・な・い」
「いるの!」
「もうヤダよ、この子は? 昼間っから寝ぼけたこと言って」
母は取り合わず、戸を閉めると、柱の掃除を続ける。
私も負けじとムクれて、一人お手玉に
夜になり、お天道様の機嫌が良くなったのか、雨は嘘のように止み、鈴虫の鳴き声が歌を奏でる。
はっきり覚えていないけど、
寝苦しいわけでもないのに、胸が苦しく、身体は日に照らされ焼かれたように火照っていた。
まぶたを閉じているのに、
たまらず呻き声を上げていると、母が起きて、私に声を投げかける。
「オミヨちゃん? どうしたのオミヨちゃん?」
声音が変わり母は、父を揺さぶり起こす。
「アンタ! 起きて? オミヨが凄い熱なのよ」
起こされた父は、不機嫌そうに私の顔を撫でると、目が冴えたようだ。
「こりゃ、まずいぞ? 医者に見てもらわねぇと」
「でも、夜じゃ診察所は閉まってるよ」
「だが、オミヨをこのままにはしておけねぇだろ?」
二年前に亡くなった姉は、夜中に呻き声を上げてから、数日後に息を引き取った。
二人からすれば、気が気でない。
母は重い口を開き、言葉を返す。
「だったら……
「
私の住む長屋の近くにも、町のお医者様はいるけど、お金の無い人には、あまり取り合ってくれない。
貧乏人の静養、食、寝床の面倒まで、無償で見てくれる場所は、小石川養生所ぐらいしかなかった。
でも、この時は養生所は、知らない人達からすると、病人にいかがわしい薬を試したり監禁したりと、思い込みから悪い噂がチラホラ聞こえていた。
母は父を説得する。
「貧乏人の面倒見てくれる、お医者様なんて、あそこしかないよ? このままだと、この子が死ぬかもしれないでしょ! 私達には、この子しかいないんだよ?」
きっと父の頭には、二年前に死んじゃった、姉の顔が浮かんだんだと思う。
父は渋面で返す。
「わかった。連れて行こう」
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