僕の叔父

村田天

僕の叔父


 久しぶり。君に手紙を書くのは初めてだと思う。君と最後に会ってから特に変わりはないよ。伝えたいことがあって、今これを書いている。

 ついでに僕を構成しているいくつかのものについて、今日ここに記そうと思う。


 僕には親がいない。これがひとつだ。

 いないのに『構成している』物質であることについて少しは不満が残るだろうけど、そこはまあ君と僕との仲だ。少し多めに見て欲しい。


 四歳の時に火災が起こったらしい。らしいというのは僕にまったくもってその辺の記憶がないからだ。

 といっても俗にいうPTSDだとか、その他具体的身体的な障害だとかではなく、ただ、覚えていないだけなんだ。君だって四歳の記憶なんてキッカリないはずだし、キッカリあったらそっちのほうがよっぽど『心理的後遺症』なんじゃないかと思うよ。


 そんなわけで僕は、さして悲しい記憶に打ちのめされることもなく、母方の祖父母の元でスクスクと成長した。


 祖父母には、亡くなった僕の母の他に、息子がひとりいた。

 僕の叔父にあたるこのヒトは、頭が良く、手先が器用でなかなかに要領が良かった。

 当たり前のように名門高に行き、一流の大学にストレートで入ったその頃は、いずれ大企業のトップエリートにでもなるのではないかと、親だけではなく親戚中を期待させていた。

 けれどこの叔父は少しばかり変わっていて、大学卒業後も定職につかず、部屋にひと月半もズウっと篭っていたかと思うと、今度はサンダル履きで家を出たきり三ヶ月も戻らないというような生活をしていた。

 呆れた祖父が小言をチョイと言った時には煩いなとごちて実家の畑の側にほったて小屋を建て、そこで悠々自適な一人暮らしを始めてしまい、今度は親戚中を呆れさせた。


 それでも叔父は甥である僕を結構可愛がってくれたし、僕としてみても、親と言うには大きく歳の離れた祖父母には言いにくいような事をわりあいフランクに相談できるいい兄貴分だった。


 この叔父が、まず、僕という人物の人格構成に一役も二役も買っている。

 子供の頃から何かあった時には真っ先に相談に行くのは叔父のところだったし、勉強や人間関係の悩みも彼にだけは打ち明けていた。


 そうそう、動物園に連れて行ってもらった時のことをよく覚えているんだ。

 僕はたくさんの動物のなかでもアライグマが気に入って、ずっと見入った。

 当時の僕は学校が嫌で、なかなか馴染めなかった。嫌いな奴はいっぱいいたし、仲良くなれない奴のほうがむしろ多かった。

 叔父は嫌いな奴はみんなアライグマだと思えばいいと言った。いばってるやつも、馬鹿にしてくる奴もみんなアライグマ。

 そんな風に思えば少し楽にならないかと言って笑った。僕は叔父のその思いつきが気に入ってしまって、その日は帰りの電車もみんなアライグマだと思って楽しくなった。すれ違う夫婦連れも、駅の車掌さんも、新聞を読んでる知らないおじさんもみんなアライグマ。

 くだらないことだけれどそんなで僕は人間関係をだいぶ楽にした。それからは学校で何か気に入らないことを言われても、アライグマがモコモコと何か頑張っているように感じて、ほんの少しの余裕ができたんだ。


 叔父は破天荒な人間ではあったけれど優しい所もあったし、けして悪いヒトではなかった。

 公園に落ちている吸い殻を拾って帰ったり、落ち込んでいる祖母に好物を買っていってあげたり。場合によっては誰よりも他人を気遣えるヒトでもあった。

 ただ、善人かと言われると、そんなことはなくて、時に他人を傷つけるような言動を平気でとったりすることも多かった。

 彼は精神のアップダウンが激しい人間だったのだろう。他人を傷つけるような言動の後には彼自身がそれを言われたかのような傷ついた顔をしていた。


 稀に自傷ともいえる行動をすることもあって、自室のガラスに頭を突っ込んで倒れているところを発見されたことがある。

 血だらけで倒れている叔父は病院に搬送されたけれど、決して理由を言おうとはしなかった。もしかしたらそんなことに理由なんてなくて、彼にもわかってはいなかったのかもしれない。わからないけれど。


 叔父は酒癖も悪かった。酔っぱらってパチンコ屋の前の販促物を意味もなく持って帰ってきたり、器物を損壊したりしたこともある。ただ、あまり美味しそうには飲まない。むしろ酒が苦手なんじゃないかとすら思う。彼の飲んでる姿を見て、嫌いなら飲まなきゃいいのに、と言った人もいた。もしかしたらそれ自体が彼の自傷の一部だったのかもしれない。


 叔父は女性関係も奔放だった。彼は格別に器量良しでもしゃべり上手でもなかったけれど、どこかしら女好きのする色気のあるヒトだったので訪ねてくる女性も幾人かはいたのだ。ただ、彼は何人もの恋人がいながらなんだかわからない鬱積をいつも溜め込んでいて、いつも孤独に見えた。


 叔父の元に二週に一度程、訪ねてくる女性がいた。

 教子さんは当時十歳だった子供の僕から見ても清潔感のある綺麗なヒトだった。

 ただ美人と言うだけならば叔父の周りには化粧の匂いをプンとさせた女が他にも一人、二人くらいはいたし、顔の造作だけ見るならその女達だって決して平均より劣ってるという事はなかった。

 教子さんのどこが、どう他の女と違っていたのか子どもであった僕にはうまく言語化できないものであったし、むろん当時の叔父そのヒトがどう思っていたのかは知るよしもないが、少なくとも僕にとって教子さんはその他の女達とは確実に一線を画すものだった。

 ともすれば僕にはまるで商売女のようにも見える叔父の周りの奔放そうな女性達の中で、教子さんはひとり、まるで年齢違いの教師に初恋をしてしまった生徒のような初々しさと、高潔な感じを持っていた。


 教子さんは前述した通り、およそ二週に一回のペースで叔父の住む小屋に通ってきていた。

 少年のように短く切りそろえた髪に、人形のような頭部。気の弱そうな瞳はいつも潤んでいる印象で、反対に気の強そうな口元はいつも怒っているみたいだった。


 一度だけ、教子さんの後を付けたことがある。

 小屋を出たのを見計らって少し後を付けたけれどすぐに気づかれてしまった。田舎の細い一本道なのだ。気づかないほうがおかしい。角を曲がったところに彼女は立っていた。怒ってはいなかった。ただ、困った顔で優しく、どうしたの、と聞かれて僕は曖昧な返事をした。

 なんとなく、人間味の薄い彼女の人間の生活を垣間見たかったのかもしれない。彼女は僕を喫茶店に連れていってコーヒーを飲ませてくれた。それから、結局突っ込んだ話はせずに帰った。


 またある日教子さんは目に涙を浮かべて叔父の小屋から出てきたこともあった。

 僕は畑の向かいの道で学生鞄を握りしめながらその様子を見た。

 彼女は潤んだ目を手で隠そうともせずに何かと戦っているような顔でまっすぐに前を見て歩いていた。

 その日の彼女の姿は僕の心に写真のように焼き付いている。


 僕は子供心に痴話喧嘩か何かなのだろうと推測したのだけれど、叔父と教子さんが喧嘩をしている姿というのがうまく想像できず妙な違和感を覚えた。

 喧嘩するほど仲がよいとは言うけれど、僕の見る叔父と教子さんの間にはいつも恋人というには一定の距離が開いていて、叔父は教子さんに触れるのを遠慮しているようにすら見えたからだ。

 つくづく、叔父と教子さんの関係というのは、僕にとって違和感の薄布にくるまれていた。


 一度だけ教子さんについて当の叔父に言及してみた事があった。

 その時叔父は少し驚いた顔をして、自分は実のところ口べたで友人を作るのがひどく苦手なのだと言った。そして教子さんは友人の中では少しだけ特別なのだと教えてくれた。

 僕は叔父の具体性のない茫洋とした物言いにわかりかねるところがあったけれど。叔父の周りの教子さん以外の女性が実のところあまり好きではなかったので、その返答をなんだか嬉しく思った。


 ある時叔父は原付で自損事故を起こした。

 夜中に舗装された山道の途中のガードレールに突っ込んで、バイクは下の崖に引っかかって大騒ぎになった。叔父は病院に搬送されて一命をとりとめた。数日後見にいくと叔父が突っ込んだガードレールには少量だけど生々しい血の跡が残っていて、それを見た僕はなぜだか叔父がもう死んでしまったのだと思った。


 入院を境に叔父は変わってしまい、退院する頃にはがらりと雰囲気が一変していた。

 それなりに小綺麗にしていた小屋にも、そして叔父自身にもあまり手入れをしなくなり、彼は急速に老け込んでしまった。

 ぼさぼさの髪の間から胡乱な目がギラギラと覗くその様には以前のような女好きする色気もまったくなく、また叔父はそのあたりから驚くほどの速さで太っていった。


 叔父の元に訪れていた女達も退院と同時にピッタリと小屋に現れなくなった。以前からごくまれに姿を見る小太りの男をのぞくと叔父の元に訪れるのは一人だけ───教子さんだけになってしまった。


 僕は中学生になっていた。

 叔父の極端な変化を不思議に思ったけれど理由はわからなかった。

 周囲の大人達に聞くのもはばかられる雰囲気があったし、叔父を煙たがる周囲の親戚連中や近所の大人の口さがない話を僕は耳に不快なものに感じていたため、あえて聞かないようにもしていた。


 僕はきっと叔父に対して、ある種の宗教的な信頼を一部持っていた。

 叔父は親のいない僕にとっては祖父母同様に生まれたときからそこにあるひとつの宝のようなものであった。

 そしてなによりそれでも叔父は僕が小屋を訪れた時はコーヒーを出してくれて音楽の話などしてくれて、以前と変わらず僕の話も聞いてくれた。


 教子さんは相変わらず、二週に一度叔父の元を訪れ、一時間ほどで出ていく。


 この変化を少年の僕は、叔父が複数の女性関係を清算して、教子さんという本命と恋人の関係を結ぶ前触れじゃないかと思い、それを期待した。

 教子さんは叔父の周りの女達とはタイプが違っていて、僕にとって他の女達より何倍も奇麗で好ましい雰囲気を持っていたからそんなことを思ったのだろうと思う。僕は僕の好きなものを皆が同じように好きだと思えるくらいには子どもだった。


 けれどもふたりの関係には相変わらず恋人というには違和感の薄布があったし、いつまでたっても叔父が教子さんと結婚するのはおろか、件の二週に一回を除くとふたりが会っている気配すらなかった。


 その間も叔父の奇行はたえまなく続き、僕はなんだかわからない叔父の孤独と鬱積を痛ましく思った。


 僕は中学三年になり、くしくも受験勉強に忙しく叔父の小屋を訪れることも極端に少なくなった。その年が明けて、受験が終わり再び叔父の元を訪れるようになった頃には教子さんはもう姿を見せなくなっていた。


 僕が十の時から十五までの五年間、ほとんど休みなく叔父の元に通い続けた教子さんは、羽のように、当たり前にいなくなった。





 叔父の葬儀はひどく閑散としていた。

 僕は僕にとって魅力的だった変わり者の叔父が数年の間にいつのまにか酷く孤立してしまっていたことを知った。

 ごくまれに見た小太りの友人らしき男も姿を見せず、叔父の友人はひとりも来なかった。


 取り壊された小屋の近くで教子さんの姿を見つけた。

 僕が最後に教子さんを見たとき、あれから数年たっていたはずだけれど、彼女はほとんど変わっていないように見えた。

 僕は叔父と教子さんの関係はなんだったのか知りたくて、声をかけた。


 ほったて小屋があった所から少し歩いた場所にある小さな木製のベンチに腰掛けて、僕は教子さんに、最初で最後のインタビューをした。


 叔父は当時複数の女性と性的な関係を結んでいたが教子さんとはそうではなかった。

 教子さんは叔父に淡い恋心を持ってはいたが世間一般の女性のように性的な関係を結びたいとは思わなかったそうだ。

 このことに対して教子さんは酷く潔癖な人だった。

 厳格な家庭で育った彼女はそれまで恋愛もした事がなく、男性に興味を持ったこともなく性的なものに強い嫌悪を持っていたらしい。

 大学で初めて会った叔父に興味を持った彼女は彼の小屋を訪れ、そのことについて話した。

 今にして思えばあれはいわばカウンセリングのようなものだったのかもしれないと教子さんは小さく笑いながら言った。

 そうすると教子さんは叔父に二週に一度会いにきて、一時間ほど、純粋に話だけをして帰っていたことになる。当時の奔放な叔父を知る人間にはにわかには信じがたい話かもしれない。けれど僕は納得してしまった。深い部分であった違和感の正体がやっと見えたような気がしたのだ。


 そうこうしているうちに三年がたち、事故があり、叔父は入院した。

 そしてこれは僕の知らなかったことなのだけど、どうも叔父はくだんの事故によって性的に不能になってしまったらしい。


 事故によって不能になった叔父の周りから女性は一気にいなくなり、もともと性的な関係のなかった教子さんだけが変わらず残った。


 叔父は人並み以上に欲望に弱い人だったのだと思う。

 怪我を負って不能になってしまった彼はみるみる太っていった。


 あの人はきっと性欲の分を埋めるかのように食欲を発露させていったのだと、教子さんは言った。


 教子さんはというとその頃自分の感情を三年にもわたって測りかねていた。もっというとその頃彼女は彼女でとりまくものに対しての感情を持て余していた。


「つまりは自分のことでいっぱいだったのよ。よくそれで”好きなのかも”と思えたものだと思うけれど。あの人が何をどう考えていたのかなんて、きちんと知ろうとはしてなかったのだと思う」


 ここの部分に関してもう少し詳しくも聞いたのだけれどそこは割愛する。ここで伝えたいのは叔父と、ひいては僕の話であって、彼女の人生の話ではないから。


 そして性欲がない、絶対的に不能になってしまった叔父に対して初めて同性に似た友情を感じられるようになったのだという。


 叔父が性的に奔放だった頃、教子さんは、叔父との間に男女の距離感があった。

 教子さんが思うには恋人関係ではなく性的な関係を持った男女にはある種の友情のようなものが生まれるのだそうだ。一度性行為をしてしまえばきっと相手に持っているある種の警戒心や羞恥心はなくなるからだ。

 叔父は女性に対して人見知りも緊張も人並みにしていたようであったけれど、早い段階で男女の関係を持ってしまった相手には緊張もなく、打ち解けて話すようだった。


 思うに付き合い下手で寂しがりの叔父が人間関係を作る時に、相手が女の場合、関係を持ってしまって緊張やぎくしゃくした何かをなくしてしまうというのが叔父なりの手っ取り早い友人関係の作りかただったのではないだろうか。

 叔父はそこまでモテるタイプではなかったけれど「そういう関係になりやすい」種類の女性を見分けることはできた。だからきっと叔父の周りの女性は皆どこか似た空虚さを持っていた。

 教子さんがいくら通って、話し続けてもその部分の距離は縮まらなかった。けれども、彼が不能になって初めて、それは友情のような関係になった。そこには既に関係を持った男女と同じに緊張感がないからだ。


 そうしてみるとそれをしないままずっと通ってくる教子さんとの関係はそれまでは人並みに緊張感のある関係、もしかしたら人と話すのが苦手な叔父にとっては気まずい時間だったのかもしれない。けれどもそれでも通い続ける教子さんを嬉しく思う部分もあったのではないだろうか。


 僕が時折見た小太りの男のことを教子さんは知らなかった。

 叔父が太った理由について、教子さんは性的に不能になった反動ではないかと言ったけれど、僕はそこは違うと感じた。

 彼の肥満は大麻を使用した時にくる食欲過多じゃないだろうか。僕が見た小太りのあの男はそれを売りにきていたのだろう。当時の叔父の小屋にはたまに、独特な匂いが漂っていた。


 そして僕は二十歳になったとき、君と出会った。

 ここで改めて言うと僕は昔から不能だ。

 原因を考えたことはなかったけれど、もしかして四歳のときの火災が関係しているのかもしれない。


 僕は叔父のように口べたでも不器用でもなかった。むしろ年齢がいってからは人間関係を得意としてきたタイプだ。僕の周りにも人並みに女性はいた。だけど僕はそうモテてきたわけではない。


 恋愛慣れした女に限って僕のその匂い、逆に言えば「雄の匂いのなさに」気づいて、態度を変えた。僕の持つ雄らしくない違和感に気づいた彼女達の表情はどこか気安くて、気兼ねがないものになる。

 そしてそれは彼女達の性的な相手と比べると緊張感がなく、わずか媚がない。


 正確にいつからかはわからない。もともとボンヤリとした、性にうとい、さらに言えば淡白な子どもではあったけれどもしかしたら教子さんの後をつけたあの日に何か決定的な変化があったのかもしれない。わからないけれど。本当のことを言うとその日彼女と話したことを、僕はほとんど覚えていないから。


 君は僕を好きだといってくれたね。

 けれど、前述した通り、僕が君と性的な関係を持つことはない。

 思うにほとんどの女性は性的に交わる可能性がゼロの男性には魅力を感じないのではないだろうか。いくら好きでもいつまでたっても襲ってくる可能性がない男のことを正常な女は愛し続けることはできない。

 たとえつきあったとしても君はきっと、性欲のない男にはそのうちに友情しか抱けなくなるだろうと思う。一般的な男女の境目は、性的な行為をできなければ限りなくゼロに近づくことができる。


 そういえば君の顔はどこか教子さんに似ている気がする。

 だけど君を見ていて思い出すのはいつも変わり者の叔父の方だ。


 手紙をくれてありがとう。その中で僕を好きだと言ってくれたことも。だけどごめん。


 僕はきっと叔父を愛していたのだと思う。

 それは性愛ではなかった。だけど、家族に抱く親愛のように、他人に気軽に言える類のものではない後ろめたさがしっかりとあるものだった。

 ただ、僕は狂おしいほどに彼という存在を愛していたし、きっとこの先だって、それに変わる強いものなんて、きっと現れない。





 そこまで書いて手紙に封をしてくしゃりと丸めた。紙は手毬くらいの大きさのボールになった。はなから出すつもりなんてなかったし、どの道その手紙は字だって乱雑で、消しゴムだって使ってなくて、所々鉛筆でぐちゃぐちゃに消されている、僕以外に判別できるような代物じゃなかった。

 考えをまとめながら書いて、もし少しでもポジティブな方向にいくならば、あるいはそれを出してみようかなんて、ちょっとだけ思ったりもしたのだけど、書いてみるとやっぱりそれは僕同様、行き場のないものにしかならなかった。

 それに、僕にとって言葉にしがたい叔父への想いは心の奥底に隠してあった恥ずかしいもので、結局のところ簡単に人に言えない大切なものだ。

 わかってるけど直視したくないもの。認めたくないもの。そんなものを吐き出すのは思いのほか憂鬱で、苦しかった。だけど出してみれば以外に短くて、なんだかくだらなくて、ちっぽけで。手の中で簡単に丸めてしまえるくらいのボリュームしかない。


 僕は百円ショップで大きめの灰皿を買うために家を出た。

 僕は大学を卒業して東京で就職をしたけれど、一年前に地元に帰り、毎日ぼんやり暮らしていた。

 今日は日曜で、僕は大学で出会った僕のことを好きだと言ったあの子のことを考えていた。

 あの子は僕のことをまだ想ってくれているのだろうか。それとも、もう忘れてしまっただろうか。

 何故、返事をしなかったのか、僕は彼女をどう思っていたのか。僕は何故だかそんなものも見ないようにしていた。彼女に対して好意はあった。けれど同時に薄い嫌悪や、嫉妬に似たものも感じていた。ずっと何かの引っ掛かりを覚えていたのだ。今思うと、僕はきっと彼女の想いに、後ろめたさのない自由さに嫉妬を感じていたのだろう。


 小屋の前を通りかかった時に胸の中に抱えていたモヤモヤとした何かが噴き出した。

 何もないはずのその空間に叔父のいるあの小屋がくっきりと見えた気がして、鳥肌がたつ。

 再生した思い出の中の小屋は、今にも叔父がサンダル履きで扉を開けて出てきそうで、涙が出そうになった。


 家に戻った僕は灰皿をコンロの端に乗せて換気扇を回した。

 丸まった手紙を出して少しだけ広げて一枚ずつコンロで火をつけて、灰皿に乗せた。


 手紙の端が黒くなって燃えていく。


 死んだ人間の記憶は時に美化されがちだ。

 僕が書いた手紙だって、出しもしないのに多くのことが意図的に書かれなかった。

 例えば動物園に行った日の帰りに喫茶店に入って、狭い席に通されて気に入らなかった叔父が無断で席を移動して店員に露骨に嫌な顔をされたこと。それに対して叔父が文句を言って不愉快な気持ちで店を出たこと。


 叔父が怒って祖母にコーヒーカップを投げつけたこと。それは心の中でもとても擁護できなくて、僕はそれでも彼が自分のほうが傷ついているような顔をしていることに、憤りを覚えた。


 教子さんのことだってそうだ。

 彼女はあれから二年後に結婚をしたらしい。律儀にハガキで知らせてくれた。僕はなんだか勝手に裏切られたような気持ちになって、彼女を恨んだ。

 僕はきっと彼女に、僕同様、叔父をずっと愛し続けて欲しかったのだ。そうでないと、人生の終末に厭われ続けた叔父を愛す人が、誰もいなくなってしまうような気がしたから。


 叔父は死ぬ直前は特に酷かった。

 鬱積を親に当り散らして近所にも迷惑をかけていた。僕は本当のことを言えばその頃の彼は少し苦手で、関わらないようにしていた。良いことばかりではなかった。


 ただ、そういうことを思い出すことは、なんだか死者を冒涜するようで、悪いことのように思えてしまって、心にはあっても紙に書く気にはなれなかった。だけど、それを忘れたら本当に叔父が死んだ人になってしまうような悲しさもあった。

 駄目なところ、嫌なところ、忌まわしい思い出さえも、肉体にそのまま抱えて、時に厭われることが、生きてることみたいな。そんな感じがして。


 叔父は弱く、生きづらい人だったのだと思う。きっと、僕や、教子さんや、周りにいた他の女性達と同じように。そんな人はたぶんたくさんいるのだ。


 そうやって、僕は、僕と叔父の、僕にとっての叔父の、これまでの人生を纏めたものが燃えていく短い時間、これからの茫漠とした人生と、今までの自分のことを考え続けた。


 叔父の周りにいた寂しげな女達の横顔。

 動物園のアライグマ。

 山道のガードレールに引っかかったオートバイ。

 小屋に漂っていた緑の匂い。

 教子さんの、歩いてる時の顔。


 僕は手紙の全てが白い灰になっていくのを、最後まで見つめた。


 電気の点いていない部屋は、最後の欠片が燃え尽きると暗闇と静けさに満たされた。

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僕の叔父 村田天 @murataten

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