エピローグ
エピローグ
玄関の電子キーをロックした。靴を履くときにずり下がったショルダーバッグの位置を直しながら、通路に出る。
「和樹おにいちゃん!」
聞き慣れた元気な声に、和樹は足を止めた。幼稚園の制服に身を包んだ亮が、歓声を上げて駆けてくる。
「おはよう、亮」
「おはよー! 和樹おにいちゃんもいまからお出かけするの?」
「うん、お仕事に行ってくるんだ。亮は、これからどこに行くんだい」
亮の格好から一目瞭然なのだが、幼稚園に通い始めたばかりの亮は、どこへ行くのか教えたくてたまらないのだ。
「よーちえんに行くの!」
「そうなんだ。楽しみだね」
「うん」
満面の笑みで亮が頷く。和樹もつられて笑い、彼の小さな頭をなでてやった。
ドアの閉まる音が聞こえたので見やると、亮の家から彼の母親が出てきたところだった。
「あら、和樹君。おはよう」
「おはようございます」
「これからお仕事?」
「はい」
「今日は早く帰れそう? このごろいつも帰りが遅いでしょう。大変ね」
「まだまだひよっこですし、勉強しないといけないことが多くて。大変だけど、楽しいですよ」
「今度うちへいらっしゃい。一緒にご飯を食べましょう。亮も、和樹お兄ちゃんとご飯食べたいよね?」
「うん、食べたい! いっしょに食べよう。やくそくだよ」
「分かった、約束だ」
突き出された亮の小さな小指に、和樹は自分の小指を絡め、指切りをした。
「恭子さん、すみません」
亮の目線に合わせてしゃがんでいた和樹は、立ち上がって恭子に頭を下げる。
「いいのよ。遠慮しないで」
「ありがとうございます」
いつうちに来るのかと亮がせがむので、明後日の夜ということになった。日にちが決まって満足した亮は、今度は早く幼稚園に行こうと恭子をせかす。
「それじゃあ、頑張ってね。いってらっしゃい」
「和樹おにいちゃん、いってらっしゃい。またねー!」
「いってきます」
亮はしばらくは後ろを振り返ったまま手を振っていた。ようやくちゃんと前を向いて歩き始めたのを見て、和樹も改めて仕事へ――三四部の事務所へ向かう。
和樹が〈広咲〉に来てから、半年がたとうとしていた。〈無剣〉との戦いで負った傷はすっかり治り、新米整備士として忙しい毎日を送っている。
ここでの生活にもだいぶ慣れてきた。周囲の人たちの支えもあったから、一人でもなんとかやっていけている。
和樹の今の姿を見たら、秋香はきっと安心するだろう。
その顔を見たかった、と切実に思う。
重傷を負って〈広咲〉に運び込まれた秋香は、懸命な治療の甲斐があって、一時は意識を取り戻した。和樹と会話するのも可能だった。
だから、もう大丈夫だと安心した。頻繁に見舞いに来ていた大城も、高山も安堵の表情を浮かべていた。
だがその後、容態が急変して秋香は帰らぬ人となってしまった。
和樹は、「親」を三人も亡くすこととなったのだ。
意識を取り戻した秋香は、和樹の無事を確かめると、すぐさま和樹を養子にする手続きを進めた。
「そんなの、治ってからでいいじゃないですか」
「早い方がいいの、こういうのは。和樹の気が変わったら困るし」
「今更変わらないですよ」
病室でそんな会話をしたときは、これほど早く一人になるなんて考えもしなかった。〈無剣〉を倒し、秋香が意識を取り戻したことに安心して、不安はなかった。
いや、見ないようにしていたのかもしれない。秋香が手続きを急ぐ本当の理由を考えたくなかったから。
彼女は最悪の事態を想定していたのだ。自分が死んでしまった後のことを考えていたのだ。身一つで〈広咲〉に来て何も持っていない和樹に、秋香の持つものをすべてを相続させるために。
彼女の容態が急変したのは、手続きが済んで、和樹と秋香が正式に親子となった後だった。
秋香は、安心したから気が抜けてしまったのではないか。こんなことになるのなら、秋香が完治するまで手続きを進めるのを思いとどまらせればよかった、と一人になってしまった秋香の部屋で、何度も後悔した。
それでも、本当に短い間ではあったけれど、秋香と家族になれた。嬉しかった。秋香も嬉しいと言っていた。それが救いだった。
秋香のおかげで、和樹は〈広咲〉で――三区で生活していく基盤を得られたのだ。一度は何もかもを失ってしまったけれど、取り戻せた。
泣いてばかりはいられない。秋香の弔いはできたが、まだ〈青滝〉には行けていない。いつか〈青滝〉に戻って父や仲間たちの弔いをするためにも、前に進まなければならなかった。
もう一度ショルダーバッグの位置を直し、和樹は力強く踏み出した。
少年よ、塵の中で躍れ 永坂暖日 @nagasaka_danpi
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