05

 乾いた音がむなしく響く。

〈無剣〉はすべての弾丸を避け、地面を蹴った。マスクをむしり取り、右腕を大きく振ると、肘から先が鋭い刃に変わっていた。

「秋香さん、予備の弾をください!」

「いいから逃げろ!」

 秋香は後方へ突き飛ばすように和樹の体を押しやると、疾駆する〈無剣〉に向かって二発放った。一発は左の肩をかすめるが、〈無剣〉の動きは少しも止まらなかった。

 二人の目の前で、〈無剣〉が大きく飛び跳ねる。秋香は銃身で、上から襲いかかる〈無剣〉の右腕を殴りつけた。鋭利な刃物に見えていた腕は、銃身の衝撃で大きく曲がったように見えた。が、違った。湾曲させ、衝撃を分散させたのだ。いつの間にか左腕も刃に変わっていて、秋香の右脇を狙う。

 秋香は目の前にある〈無剣〉の胴に銃口を突きつけ、引き金を引いた。弾丸が〈無剣〉の背中から飛び出す。秋香は素早く銃を回転させると、その鳩尾に銃床を叩き込んだ。

〈無剣〉が地面で背中を打つ。秋香は工具類の入っているバッグから大きなドライバーを取り出して、〈無剣〉の喉仏に勢いよく突き刺した。そして、額に弾を撃ち込む。

 撃たれるたび、〈無剣〉の体は大きく跳ねた。しかし、悲鳴はいっさい上げず、血の一滴も流れない。

 秋香の動きはためらいがいっさいなかった。容赦もなかった。〈無剣〉と分かっていても、人の姿をしているあれに対して、自分が同じようによどみなく戦えるのか、和樹には自信がない。まして、父の顔をしていたら。

「和樹。今度こそ逃げるよ」

 秋香は〈無剣〉から飛びすさり、和樹の方へ駆けてくる。

「倒せたんじゃないんですか?」

 ドライバーで地面に縫いつけられた〈無剣〉は動かなかった。頭に何発も銃弾を食らっているのだから、さすがに機能が停止したのではないだろうか。

「〈無剣〉は焼かないとだめだ。分子機械の一部を壊したくらいじゃ止められない」

 秋香は動かない〈無剣〉を警戒しながら、和樹に先に逃げるように促す。

 秋香が逃げるようにと示したのは、吸気口から遠ざかる方角だった。ここからだと地面を駆け上ることになる。上った先には、古の建造物の残骸らしき巨大な瓦礫があった。その陰に隠れろというわけだ。

 斜面を登り始めてすぐ、拳銃の弾倉を取り出した。

「和樹、これを」

 受け取ろうと手を差し出したとき、秋香の肩越しに〈無剣〉がわずかに動いたのを見た。

「秋香さん!」

 和樹が叫ぶのと、〈無剣〉が仰向けの体勢のまま、ねじくれた両手足で地面を強く押して飛び上がるのはほとんど同時だった。

 秋香はすぐさま振り返る。弾かれたように飛び起きた〈無剣〉が斜面を駆け上ってくる。

〈無剣〉はじぐざぐに走り、秋香の繰り出す弾幕をかわしていく。秋香は毒づきながらも、撃つのをやめなかった。

 弾倉を受け取る直前に秋香が〈無剣〉に向き直ってしまい、弾倉は彼女の足下に落ちていた。和樹はそれを素早く拾い上げ、空になった弾倉を排出してリロードしようとする。だが焦っているせいなのか、排出はできたが新しい弾倉をすんなり入れられない。〈無剣〉の動きをちらちらと見ながらなので、なおさらうまくいかない。

 一度手元に集中した方がうまくリロードできるのではないか。そう思って手元に視線を落とす。そのおかげか、今度はうまくリロードできた。やったと思ったとき、

「和樹!」

 いきなり突き飛ばされた。〈無剣〉と向かい合っていたはずの秋香が、地面に倒れ込んだ和樹に覆いかぶさる。

 なぜそんなことをという疑問の答えは、秋香の向こう側に見えた。灰色の空を背負った〈無剣〉が刃に変えた両手を振りかざしていた。

 宙に飛び上がった〈無剣〉と、一瞬、目が合う。

 鈍い衝撃と同時に、秋香が苦しげに呻いた。〈無剣〉が振り下ろした腕を再び振り上げる。刃は赤く染まっていた。

「くそぉ!」

 拳銃を握る右腕は、自分と秋香の体の間に挟まっていた。覆いかぶさる秋香の体重は、防護服やいろいろと抱えている荷物のせいで結構な重さだった。

 無理矢理腕を引き抜き、刃を振り下ろそうとする〈無剣〉に銃口を向けた。

「撃たないでくれ、和樹」

 無表情だった〈無剣〉が――父の顔がゆがみ、懇願するように言った。

 あれは、父の顔をした化け物だ。腕を見れば人のものではないとすぐに分かる。刃を染めている血は秋香のものだ。

 目の前で見ていて分かっているはずなのに、和樹は引き金を引けなかった。

〈無剣〉がにたりと笑う。その顔に、秋香の銃床が叩き込まれた。和樹に覆いかぶさったままという体勢で、背中を斬りつけられたとは思えない力だった。

 秋香は勢いよく立ち上がると、銃身で〈無剣〉の胴をなぎ、バランスを崩した〈無剣〉の顔を再び銃床で殴りつける。

「秋香さん、血が!」

 血が流れているから分かってはいたが、秋香の背中は防護服ごとばっさりと切り裂かれていた。汚染大気に触れたからといってすぐに肌がただれるわけではないが、あの状態が長く続いていいわけがない。それよりも先に傷の手当てをしなければ。秋香は、なぜそんなに動けるのか不思議なほどの出血量だった。

「わたしはいいから逃げて!」

 秋香は振り返りもせず、〈無剣〉に体当たりを食らわせた。秋香と〈無剣〉がもつれ合うように地面に転がる。

 逃げ場所と定めた瓦礫まではすぐだ。しかし、そこに逃げ込んだとして、果たして応援が来るまで和樹は無事でいられるだろうか。それに秋香はどうなる。

〈無剣〉が乗ってきた装甲車まで五十メートルほど。〈青滝〉に向かった捜索隊が乗っていた装甲車だ。何かしら武器が積んであるかもしれない。

 秋香が先に立ち上がり、ありったけの弾を〈無剣〉に叩き込む。出発前、秋香は予備の弾倉を持ち出していたが、その数は二つほどだったと思う。

 迷っている暇はなかった。装甲車に向かって走る和樹を、秋香はちらりと見たが止めはしなかった。和樹の意図を察したのか、止める余裕がなかったのか。止められたとしても、止まるつもりもなかったが。

〈無剣〉は装甲車を降りてからドアを開けっ放しにしていた。そこから中に飛び込む。

 装甲車は操縦席の隣に二人座れる助手席があり、四人座れそうな後部座席があった。その後ろはトランクになっている。装甲車の内側には様々な収納があった。マスクや吸収缶が目に付くが、武器らしきものは見当たらない。後部座席を乗り越えてトランクに入るが、期待していたものはなかった。しかし、思いもかけないものがそこにはあった。

 トランクの床一面に血だまりがあった。人体とおぼしき肉片と、そこからのぞく白い骨、大量の髪の毛もあった。数人分あるのか、色々な長さのものがあった。

 マスクをしたまま嘔吐すれば悲惨なことになる。自分でも、よくぞ吐き気を堪えられたと思う。

 とても正視できない。すぐに離れたかったが、まだ武器を見つけていない。早く何か見つけて、秋香を助けにいかなければと自分を奮い立たせた。

 ふた付きの収納を片っ端から開けていった。床に広がる赤い色が時折目に入ってしまうが、それが何かは極力考えないようにした。

「やった……!」

 何もないのかと失望し始めたとき、手榴弾を見つけた。一つしかないが、拳銃よりは格段に威力がある。

 他にも何か残っていないだろうか。ざっと見回すが、収納はすべて開けた。見つかったのは手榴弾一つだけ。他に武器になりそうなものはなかっただろうか。

 目に飛び込んできたのは、トランクルームの一角に備え付けてあるマスクだった。空気ボンベを使うタイプだ。緊急用らしいボンベは小さく、五〇センチほどだった。しかし耐圧容器なので、重量はそれなりにある。これを武器として使うなら、〈無剣〉を殴打するとか、だろうか。

 ボンベに手をかけたとき、運転席側で大きな音がして車体が揺れた。

 驚いてそちらを見ると、〈無剣〉が装甲車に乗り込もうとしていた。

 父の顔は半分ほど崩れかかっていた。防護服はあちこちがぼろぼろだった。だが、血が一滴も流れていなかった。

「和樹、こんなところで何をしてるんだい」

 笑ったのだろうか。顔が崩れているから、不気味な表情にしか見えなかった。

 正体がとっくにばれているのに、それでもなお父のふりをする〈無剣〉に、改めて憤りを感じた。先ほど、和樹が撃つのをためらったから、またつけ込もうとしているのだ。

 もう惑わされるものか。

 握りしめていた拳銃を〈無剣〉に向ける。きっとまだ笑っているであろう顔に向かって、引き金を引いた。〈無剣〉は避けもせず、弾丸はこめかみのあたりをかすめた。

「この顔はもう効かないのか」

〈無剣〉はまだ形がちゃんと残っている口元をゆがめる。

「お前は化け物だ。どんな顔をしていようと――」

「この顔ならどうかな?」

 早送りした映像のように、〈無剣〉の崩れた顔が変化する。髪が伸び輪郭が細くなり、きれいに整った新しい顔で、挑発的な目を和樹に向ける。

 もう一度引き金を引こうとしていた和樹の指が、びくりと震えて止まる。

〈無剣〉が笑った。秋香の顔で、禍々しく笑った。

 和樹が見せた隙を〈無剣〉は逃さなかった。装甲車に完全に乗り込み、操縦席を乗り越えた。後部座席の背もたれに手をかけながら、もう一方の手を和樹に向かって伸ばす。人間であれば届く距離ではない。しかし〈無剣〉は、文字通りに腕を長く伸ばした。伸びる腕の先は指の形ではなく、鋭い刃だった。

 和樹はトランクの床に転がって、刺突のようなそれをかわした。

「和樹ぃ!」

 父の声と秋香の声が入り交じったような奇妙な声だった。

 和樹はぐっと歯を食いしばり、血塗れた床に手を突いて起き上がった。両膝を突き、目の前まで迫っていた〈無剣〉に三発撃ち込む。すべて額に命中した。後部座席を乗り越えようとしていた〈無剣〉の背中が、操縦席の背もたれにぶつかる。

 だが、それくらいは〈無剣〉にとってほとんどダメージにはならないらしい。すぐに体を起こす。

 和樹は空気ボンベを床に着いた両膝の間に置いて、ボンベの頭を〈無剣〉に向けた。

〈無剣〉は両手で後部座席の背もたれを掴み、乗り越えようとしていた。和樹は、再び迫り来る化け物にではなく、足の間に置いたボンベの底近くに、銃口を突きつける。

 一か八かだ。引き金を引いた。

 圧縮されていた空気が激しく吹き出す。支えていた和樹の手を離れ、不規則な軌道を描きながらも、トランクルームに半分身を乗り出していた〈無剣〉に直撃した。〈無剣〉の体が、先ほどより激しく操縦席の背もたれにぶつかる。

 和樹はすかさず手榴弾の安全ピンを引き抜いて、〈無剣〉を避けて装甲車の前方に向かって思い切り投げた。

 きびすを返し、装甲車の後方の扉に飛びつく。幸い鍵はかかっていなかった。観音開きの扉を開けて外に飛び出し、全力で走る。走り始めてすぐ、爆音と爆風が後方から襲ってきた。

 巨人に体を持ち上げられたように地面から足が離れ、前に吹き飛ぶ。受け身を取る余裕もなく地面にたたきつけられ、転がった。全身を重く激しい衝撃が駆け抜ける。

 息が詰まり、呼吸が止まる。何度も咳き込んで、ようやく呼吸ができるようになった。だが、いつの間にかマスクがなくなっている。

 マスクがなくてもすぐに死ぬことはない。それよりも――。

 自分がどこを向いて倒れているのかも分からなかった。痛む体を叱咤して上体を起こし、周囲を見回す。

 装甲車は黒煙を上げて燃えていた。ドアは爆発の勢いで吹き飛んでいた。和樹が開け放った後部のドアだけが、辛うじて車体にしがみついていた。

 和樹はじっとして、燃える装甲車を注意深く見ていた。体のあちこちが痛み、歯を食いしばる。

〈無剣〉が炎の中から飛び出してくる様子は、今のところない。

 じっとしていた時間はそれほど長くなかったかもしれない。だが、これ以上は待てなかった。

 足を踏ん張って立ち上がるだけで、足首に激痛が走る。胸や腕、肩も痛い。額も切っただろうか。手をやると、血が付いた。全身、痛くないところはないのではないかと思った。

 しかし、歩ける。痛みはあるが、走るのは無理そうだが、前には進める。

「秋香さん……」

 地面の凹凸のせいで、この位置から秋香の姿は見えなかった。足を引きずりながら、秋香がいるであろう場所に向かう。

 やがて、横たわる人影が見えてきた。体の右側を下にして倒れたまま動かない。足や腕にもべったりと血が付いていた。

「秋香さん……」

 ようやくたどり着いた和樹は、ぐったりとしている彼女を見下ろして言葉を失った。秋香のマスクは、彼女から少し離れたところに壊れて転がっていた。

「……」

 秋香の口が、かすかに動いた。

「秋香さん!」

 和樹は飛びつくように、彼女の傍らにしゃがんだ。秋香がうっすらと目を開ける。

 生きていた。汚染大気のせいではなく、視界がにじむ。

「むつ、るぎは……?」

 秋香の声は少しかすれ震えていたが、何を言っているかはちゃんと分かった。

「たぶん、倒せました」

「和樹……が?」

「はい。だからもう大丈夫ですよ」

「そ……か……よく、やった、な」

 弱々しいものの、秋香が笑った。和樹も、涙のにじむ目で笑う。

「きっともうすぐ応援の人たちが来ます」

「ああ……」

 秋香と高山が最後に話をしてから、どれくらいたっているだろう。一刻も早く来てくれ。燃えさかる装甲車から立ち上る黒煙を目印にして、早く。

「秋香さん。〈広咲〉に戻ったら、銃の使い方を教えてください。それに、戦い方も。秋香さん、すごく強くてびっくりしましたよ」

 秋香は目をしっかりと開けていられないのか、今にも閉じてしまいそうだった。ここで目を閉じたら彼女は二度と目を覚まさないのではないかと思い、和樹は力の抜けた秋香の手を握って必死にまくし立てた。

「他の吸気口や、〈広咲〉の中も案内してください。秋香さんの部屋から見える吹き抜けの下、広場がありますよね。俺、あそこに行ってみたいです。もっと下の層も見てみたい」

 秋香の返事は一つもなかった。口元が動くこともない。ただ、時々、視線がわずかに動いて和樹を見ているようだった。

「それから、俺の作ったご飯も食べてください。父さんは上手だってよくほめてくれたんですよ。これからは、秋香さんがほめてください。俺たち、家族になるんだから――」

 和樹が握りしめても、秋香は握り返してくれなかった。

 徐々に言葉が詰まり、涙で喉が塞がっていく。

「死なないで、秋香さん……」

 母を亡くし、父を亡くし、故郷の仲間も失った。秋香まで亡くしてしまうなんて、嫌だった。耐えられない。

 いつの間にかうつむいていた和樹の耳に、装甲車の駆動音が届く。顔を上げると、土煙を上げて近付いてくる装甲車が見えた。

 装甲車は和樹たちを発見したのか、進路を変えて向かってくる。操縦席が見えたが、全員マスクをしていて顔はよく分からない。

 立ち上がり、大きく手を振った。肩に激痛を感じたが、構わず降り続け、ここだ、と大声で繰り返した。

 和樹たちのそばまで来た装甲車が停止するや、防護服に身を包み武装した大人たちが飛び降りてきた。

「秋香!」

 真っ先に駆け寄ってきたのは大城だった。その大城に、和樹はしがみつく。

「早く、秋香さんの治療を。背中も切られてるんです! 早く!」

「もう大丈夫だから、落ち着いて」

 あとからやってきた知らない男が、和樹を大城から引き剥がす。肩を掴まれて、和樹は顔をしかめて呻いた。

「早く……お願いします、秋香さんを助けて」

「君も怪我をしている。それにマスクもしていない。砂上のことは我々に任せて、君は自分の心配をするんだ」

 救援がきた安堵からなのか、和樹は全身のあちこちが激しく痛み始め、まともに立っていられなくなった。声をかけてくれる男に支えられてようやく立っている有様だ。

 秋香は担架に乗せられるところだった。空気ボンベと繋がった新しいマスクをあてがわれている。

 和樹にも、新しいマスクがあてがわれた。こちらは吸収缶のタイプだった。自分で取り付ける力は残っておらず、支えてくれる男が着けてくれた。

「こっちにも担架を!」

 和樹をゆっくりと座らせながら、男が仲間に呼びかける。

 担架を持ってくる人たちと入れ替わりに、秋香が装甲車に運び込まれた。

 支えてくれる男や、担架を持ってきた人たちが何かを話しかけてくる。だが、和樹にはもうよく聞こえていなかった。耳に入る声は意味をなさず、ただの音として、和樹の中で鈍く響く。

 もう大丈夫なのだと思うと、その響きは心地よかった。

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