四十四

『げぇははははは! 腹がよじれるっ たかが娘風情が、面白い真似をしてくれるわ!』


 大音声。

 謁見の間を震わせる下卑た笑い声に、香流や弓鶴たちは耳を押さえた。

 声は、御簾の奥の闇から発せられていた。

 びりびりと肌を震わせる音波に、香流は御簾の奥へ目を凝らす。


「(なんだ? !)」


 何者だと警戒を身に宿した瞬間だ。



 御簾が、切り裂かれた。



「!?」


 の風圧にたじろぎ、香流は大きく後退る。

 同時に御簾は力を失ったように地に落ちて、かさついた音を立てた。

 吊り下げられていた上部が、鋭利なもので斜めに切りつけられていたのだ。

 覆いが失せたために、御簾の奥へ光が差す。

 明命の姿と、国主。

 二人の男の全容を視界が捉える。


 だが、それらを確かめる前に、


 息を飲む嚥下の音が、鼓膜を揺らす。

 は、人ではなかった。

 人にしては、あまりにも巨躯。

 いや、そもそも、造詣が異質すぎた。



 ガキンッ!



 硬質なものが、ぶつかり合う音が響く。



 ガキンッ!



 御簾の奥は開けており、石造りの床が広がっているようだった。

 そこに、硬質なものが爪を立てるようにして、



 ザンッ!



 近づいてくるものが、石の床を越えて、国主のいる畳の間へ爪を立てた。



 ザンッ!



 が、畳に突き刺さる。

 同時に、ずっと続いていたが、畳に至ったために音質を変えた。


 近づいていた。


 仄暗い闇の中、は、ゆっくりと香流の前へ姿を現した。


 闇を見据えていた黒の目が、驚愕に見開かれる。

 澄んだ水面のような瞳へ、闇はその姿を映した。

 香流ののどから、かすれた声がを呟いて、空に溶けた。




「き、じん?」




 声が微かに揺れたのは、動揺か、思考の拒絶か。

 切り裂いた御簾を越え、天蓋を押しのけながら現れた姿が、闇を抜けて仄明るさに正体をあららかにする。

 は、異形だった。

 この国にある者なら、幼子であろうと決して認識を違わぬ、人食いの異形。



 ――――飢神。


 それも、高位の思考能力を持つ、上位飢神・甲種。




「どういう、ことだ」


 揺れる声が、理由を求める。

 しかし、それへ即座に答える者はこの場にない。

 気を動転させる香流。

 その姿に、ただ現れた異形だけが、異質な全容を見せつけるように笑って言った。



『わしの気配を気取ったのは、お前が初めてだ。 娘』



 最初に轟いた笑いと同じ、ひどく割れた声が、香流の身の丈より二倍近いところから降ってくる。

 その飢神は、蟷螂とうろうによく似ていた。

 昆虫じみた複眼の目には、それぞれ瞳孔がある。

 三角の頭には触覚。

 首下の細い胸の先は肥大した腹へ続き、胸と腹の付け根からは、二の殻・爪であろう一対の鎌が生えていた。

 そして、腹の背中。

 淀んだ濃い緑の体表のからは、胴を喰い破って突き出たよな、禍々しい二本の角が、在った。

 本来なら、一本しかあるはずのない、三の殻・角が、――――二本。





……!!」





 息を飲んだ。

 香流は目の前の飢神を凝視したまま、唇を震わせる。

 どうして飢神がここに居るのか。

 その根本的な問いに、思考が答えを紡ぎだそうとしていた。


 記憶が、すさまじい勢いで巡る。

 目の奥、苑枝の顔が、浮かんでぼやけた。




『その日は私もよく覚えております。 私が右治代家を離れ、里帰りしていた日でした。 曇天が空を覆い、城下にあっても轟くような、飢神の異様な遠吠えが聞こえてきた日でした』




 つい先刻のこと。


 老齢の筆頭女中が語ってくれた、美弥の過去。

 業人が増加し、飢神の強襲が頻発していたい時代。

 その日、一層激しい狩りに、美弥狩司衆は向かった。

 その最中、


『城から伝鳥が飛んだそうです』


 内容は、『城中に飢神あり』。


 報を受けた耀角は、わずかな手勢と共に城に向かう。

 そして、城へ侵入した飢神を払うと共に亡くなった。


『耀角様が亡くなった時の御様子を見ておられた方は? 相対したという飢神は、狩るまでには至らなかったのですか?』


『ええ、灯臓を取るまでには至らなかったとか。 当時その場にいたのは、耀角様を含め、狩場より戻った狩士六人と、国主様を守っていた現在の上格方。 このうち、城に駆け付けた六人は、飢神にやられて皆亡くなったそうです』


『六人全員が?』


『はい、幸い上格方は生き延びられ、飢神を追い払うことに成功なされた。 耀角様の骸を守ったのも、彼らだったという話です』


『城に現れた飢神は、一匹ですか……?』


『夫が受けた知らせによれば、一匹だったという話です。 そしてそれは、――――だったらしいと』





 





 偶然の一致か?

 いや、直観が断じる。


 苑枝の話に渦巻いた違和は、と!





「貴様、まさか、」



 愕然と、香流は声をふり絞る。

 遭遇したばかりの飢神は、喉元の一の殻・牙を歪め、笑っている。


 ――――まさか、まさか、まさか!

 

 まさか!!


「……数十年前、城に現れた、双角の飢神は、」


 退けられていなかった?




「まさか、お前……!!」




 引き攣れたような叫びが、喉に絡んだ。




『なんだぁ、そんな昔のことまで知っておるのか、娘』




 割れた声が意外とばかり漏らした驚きを、聞いた瞬間だった。

 飢神の返しそれは…… にあるのは肯定であると、勘が告げた。

 そしてなにより、直観をより補強するように、飢神は続けた。


 『ならば、話が早い』、と。


 『過去一切から話すとなると、骨だからな』と。




 轟くような疑念が、脳を焼いた。




「どういうことだ!?」


 香流は叫んだ。

 叫びながら周囲に視線を走らせ、上格と弓鶴を睨み、そして飢神を睨みつけた。


「どういうことだ!? なぜ…… なぜ、人の領分である国の中枢に、飢神がいる?!」


 それも、数十年も前に現れた、双角の飢神が。

 香流は激昂が身を焼くまま、荒げた声を突きつけた。


「答えられよ、上格方! ――――弓鶴様!?」


 弓鶴様、だってっ この飢神は!


「この飢神は、耀ではないのか!?」


 弓鶴は、香流を見ない。

 どこか他所を見たまま、決して香流の問いに向き合わない。

 どうして。

 どうしてだと、香流がきつく手を握りしめた時だ。






『それはな、娘』


 割れた声が、嗤いと共に降る。

 香流は、ゆるゆると声の主を見た。

 見上げた先、複眼の目が、香流を映して歪む。

 堪らなく可笑しくてしかたがないとでも言いたげに、香流が求める理由をつまびらかにする。


『わしが、だよ、娘』


「まも、る……?」


 零れた疑問に、飢神は歪めた口元のまま言う。


『そうだ。 お前は知らぬやも知れぬが、今この国は、狩士の数に対して、あまりにも多くの業人を抱え込んでいる』


 知っている。

 だから、あの人――――銀正は香流に伝送の任を頼んだ。

 いずれこの国は国崩しの憂き目にあう。

 だからその時に間に合うように、各国に助力を訴えてほしいと。


 その時、なぜ今の均衡が崩れるのかと問うた香流に、銀正は返した。

 この国の均衡は、によるのだと。


 そう、言ったはず。





『この国は、国崩しの境にあるのだよ。 だというのに、このような平穏を得ているのはな……』


「法師の、力の、はず」


 明命という法師の、力のはず。

 ばっと、香流は飢神のあごの下に立つ法師に目をやる。

 しかし、その法師はなぜか力なく倒れ伏していた。


『ああ、が渡来の力で守っている――――なぁ、城下では』


 飢神が、鎌を伸ばして明命の体を仰臥させる。

 明命はこと切れたように力なく上向いた。

 死んでいるのかと一瞬思われたが、その目は、ほんのわずかだが光を宿している。

 生きてはいる。

 だが、あの気力のない様子は――――


『これは、だ』


 飢神の鎌が、ふわりと空を舞う。

 それに合わせて、突然明命の体が動いた。

 人形のように力なく、立ちあがる。


 まるで、飢神に操られるように動いてみせる。


『これは、わしの力の一つだ。 双角の異能の内の一つ、――――『むしばみ』』


 精神に作用する匂粉によって、粉を吸った生物を恐慌に落としめ、あるいは発狂させる能力。

 そして

 匂いの種を仕込んだ生物を、意のままに操るようにもできる。

 仕込まれた生物は恐慌に狂い、心だけがこと切れたようになってしまうため、その意志の力を奪って操るのだという。


『お前に先ほど吹きかけたのも、その粉だ。 作用は、身をもって味わっただろう?』


 飢神は続ける。

 『蝕』によって作り上げた傀儡は、その異形の身を外から隠すために用いたもの。

 どこからともなく現れた法師をかたり、この飢神は、


『わしはこの法師を隠れ蓑に、数十年この国に在り続けた』


 そして、もう一つの力で、この国を守ってきた。


「もう、ひとつ……」


 呟きに、思考が走る。

 双角の、もう一方だ。

 感情を置き去りにする理性が、断ずる。

 渡来の技などではない。

 この国は、この国を守ってきたと銀正が言っていた力は、人の力ですらなかったのだ!




『そう! わしの双角、第二の力だ! 甲種であるわしの三の殻、角の異能!』




 鎌を広げ、飢神が轟きを叫ぶ。




『わしのもう一つの異能は『とばり』! あらゆるものを囲い込み、その存在の気配すらも隠し通す力!』




『美弥というこの大国の城下一つ、丸ごと隠し通す力だ!』





 『帳』。

 それは、結界ともいえる能力。

 異能の主である飢神が望めば、それをすり抜けさせるも、通さぬようにするも自由。

 一度帳を落とすように隠してしまえば、内側に閉じ込めることも、外側から悟らせぬこともできる。

 まさしく隠匿の異能。


「馬鹿な、人は、我らは、この国の存在を認識している……」


 驚愕と共に、香流は疑問を呟く。

 飢神はそれを鼻で笑うと、


「皆まで隠す馬鹿は居らぬだろうよ。 わしがこの国を隠しているのは、飢神に対してだけだ」


と、鎌を振るって見せる。


「明命という法師は、始めから、いなかった……?」


 飢神が力を解いたことで再び倒れた男を見遣り、香流はのどを圧迫する疑問を嘔吐する。

 口元を押さえて顔を伏せれば、飢神が可笑し気に体を震わせた。


「人としてなら、いなかった。 だが、、娘」


 言葉遊びのような返しへ、香流はゆっくりと視線を上げる。

 複眼の目に、幾多の瞳孔に、自分が映っている。


 異形の目は、全てがすいと細まって香流をつぶした。




、明命だ』




 法師の明命など、いなかった。

 この国を真実守っていたのは、

 その尋常ならざる力の正体とは、




 銀の髪がまなこの奥で揺れる。

 

 どうして、銀正殿、




 どうして!!





『この甲種、明命がっ 大国美弥を守る、真の主なのだ……!』





 哄笑するは、闇。


 銀正の隠し通そうとした闇が。


 美弥の平穏を作り上げていた闇が。


 絶望と共に香流を打ちのめして、嗤い続けていた。

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