二十八

 祭り明けの夜だ。


 城下は祝いの余韻に静まり返り、晴れた空に月が浮かんで、仄かな影を落としている。

 その月を広縁から見上げ、銀正は庵から持ち出した書箱しょそうを片手に、自室へと戻った。

 灯り一つ灯された部屋は整然としており、人の気配は薄い。

 もっぱら寝るのみの一室と化しているだけに仕方がないが、自分の部屋にしてはそっけない室内に小さく息を吐いて、銀正は中に足を踏み入れた。

 唯一畳の上に出ている座布団に腰を落ち着け、手の中の箱を前に置く。

 漆塗りの黒々とした飾り気のないふたをじっと眺め、一息。


 これを、今一度開ければ、もう後戻りはしないと覚悟を決めて、きつく締めていたひもを解いた。


 軽い蓋を取ると、中には積み重なった書類と一つの文束。

 銀正は一番上に乗っている文を取って、久方ぶりにそこに目を通した。

 文面は、『私の任を引き継ぐ者へ』とはじまっていた。



『私の任を引き継ぐ者へ


 右治代当代を引き継いだあなたはこれから、狩司衆における外部との調整を、一手に引き受けることとなる。

 主だってのやり取りは、近隣諸国狩司衆、そして中央五老格との定例文書。

 これら全てを、あなたは決して抜かりなくやり遂げなくてはならない。

 あなたの意思が、明命の欲するところと道を同じくするのならば。

 あるいは、奴に取られたしちを何があっても守りたいと願うのならば』



 ぐしゃりと、文を握っていた手に力が入り、薄い和紙にしわが走る。

 その皴は元々あったものの上に重なるように走り、紙の歪みを複雑にした。

 駄目だ、乱れている。

 自省した銀正はふっと息を吐き、心を落ち着かせて再び文に目を通した。



『文書を作成するのに、ここに残した過去の詳細なはあなたの役に立つはずだ。

 これらの作られた、見せかけの、美弥の内情は、全て外の目をあざむくために私が綿密に組み上げたもの。

 私はこの偽造情報をもとに、美弥を疑いどころのない、ただの一国として外に見せかけてきた。

 勿論これらの情報は、美弥に入った外からの間者が他国や中央にもたらす情報と後々すり合わすであろうことを前提として作ってある。

 そのため、後任であるあなたにも、そのことを頭に留め置いて任に当たってもらいたい。

 これは中々に知恵を要する作業だが、私の後任となったあなたなら、必ずやり遂げるであろうと期待している。

 健闘をお祈り申し上げる。



 と、ここまでが、表の引継ぎ内容だ』



 文の一枚目はそこで途切れ、銀正は次の紙に目を移した。

 二枚目には先ほどと同じ手で、先ほどよりも細かい字がおどっていた。



『今、あなたには二つの道がある。

 一つは私のやり方をそのまま踏襲し、これからもこの美弥の偽りの平穏を継続させる道。

 そしてもう一つは、


 ――――美弥の偽りを破り、この歪な平穏に終止符を打つ、破滅の道』



 ぐっと、飲んだ息が、肺を圧するようで辛い。

 銀正は細かい文字を睨みつけて、きつくまぶたを閉じた。

 しかし、目を逸らしてはいけない。

 自分はこの先を再び、見なければならない。

 この右治代の当主になって、初めてこの文を見つけた日に、そうしたように。

 この先に示された道を、覚悟のもとに選び取るために。



『この道を選ぶのなら、あなたは多大な犠牲を美弥に払わせることを覚悟しなければならない。

 勘違いしないでほしいことは、犠牲を払うのは、あなたではないということ。

 犠牲を払うのは、この美弥という国自体だ。

 よって、事はあなたが負える責任の許容をはるかに超える。

 あなたが狂った思考をお持ちの享楽者なら話は別として、もしも平常な精神の持ち主なら、そのことを重々承知して道を選ぶことを、私はおすすめしておこう。

 あなたは決して、浮ついた義侠心や罪過に耐えられぬという愚かしい弱さによって、この選択をしてはならない。

 そんなものは、あなたという一個人の卑小な感傷に過ぎないのだから』



 文言は丁寧な語り口に反して、鋭く読み手を牽制していた。

 書き手の怜悧な眼差しに射抜かれるような心地がして、銀正は息をつめる。

 一年前の自分はこの言葉に刺し貫かれ、何もかもを諦めた。

 だが、己は今一度、この情け容赦ない言葉に向き合わねばならない。

 いや、自らの意志で、向き合うと決めたのだ。



『もしあなたが、現状を変えたいと願う者なら、私に言えることは一つ。

 

 『何もするな』だ。

 

 勘違いしてほしくないのだが、これは手がないと言っているわけではない。

 私の後任としてこの役に付いたからには、あなたとあなたが作成した文書には、はずだ。

 奴らは、離反者(つまり、あなた)が外部に美弥の闇を知らせることを恐れている。

 やり取りを途切れさせれば疑いの目が向くため、右治代当主としてのこの仕事を続けていくことを黙認せざるを得ないというのが実情だからだ。

 だが、そこにこそ利用価値がある。

 あなたが策を成功させたいのなら、奴らが唯一情報を漏らす穴として恐れ、監視しているあなたが、奴らをあざむく有用なやり方だからだ』



 三枚目。



『少なくとも一年。

 あなたは奴らに従順に従うを続ける必要がある。

 その間にどれほどの犠牲を出そうと、あなたは耐えねばならない。

 それと並行して、あなたにはまだ打てる手がある。


 偽造した文書を、ことだ。


 賢いあなたなら理解できると思うが、元々私が下地を作って外の目を欺くために偽造した文書を、今度は内の目――――明命たちを欺くために偽造するのだ。

 簡単に言えば、二重偽造によって明命たちの目をすり抜けさせた文書を外の者に届けることで、外の者にこの文書には恣意しい的な改変があると気づかせるのだ。

 勿論、どのような報告書も多かれ少なかれ意図的な誇張や隠匿があるものだが、あなたがやるべきなのは、『外に送り出した文書を見た外部の者が、過去の文書と照らし合わせて、これは美弥の側に秘匿したい何かがある』と勘づかせることだ。

 そのために、同封した過去の資料が役に立つだろう。

 これはここで書いてあるほど容易なことではなく、極綿密な思考を要する。

 あなたは外の者に、『美弥は、何か外に知られたくない後ろ暗いことがあるらしい』と推測させなくてはならない。

 しかし、決してあからさまな偽造を誇張して、外の者が公に美弥を糾弾するような事態にしてはならない。

 そんなことをすれば明命はを取るであろうし、そもそも検閲の時点で通ることはないだろうからだ。

 あなたは極わずか、過去に外へ送った内容と整合性の取れない情報を織り交ぜる程度に文書を偽造するよう、努めなければならない。

 そして、待つのだ。

 美弥には何かあると勘づいた者たちが、この美弥に一層間者を送り、注視の目を向ける時を』



「…………」



『これらの下地を作り、時が満ちた暁には、おそらく五老格が動き出すだろう。

 美弥に対等な対応ができるのは、中央くらいのものだからだ。

 美弥に疑いを抱くあちら側は、確実に何らかの手を打ってくる。

 内容まではさすがの私も特定には至らないが、あなたはそれを、柔軟に利用するのだ。

 外に直接の交信の手段もなく、厳しい監視からも逃れられず、協力者にもとぼしいあなたであろうが、なんとしても五老格の手を利用して、美弥――――いや、明命の秘密を白日のものとするのだ』



「…………」



『確かに、打てる手が限られる以上、異様に勝算の少ない計画だ。

 行き当たりばったりもいい所だろう。

 だが、それでもこの道にすがりたいとあなたが願うのなら、死した私に止める言葉はない。

 そもそもが後任であるあなたの方が私よりも賢く、より良い道を見つけるだけの知見をお持ちかもしれない。

 だとすればここに書いたものは一笑に付して、この文もすぐさま燃やしてしまうがよろしいだろう。

 しかし、もしも。

 もしも、これを読んでいるあなたが、私の予見した通り八方塞がりにおちいっているのなら。

 明命というを憎み、何かを変えたいと願っているのなら。

 それによって多くの犠牲を出し、そのとがを負う覚悟をしたのなら。




 ならば、美弥と心中するつもりで、なんとしても明命をて、銀正』




「っ、」




『ここまで書いていて、結局この名前を出した。

 可能性は万葉にあるが、畢竟ひっきょう私の後を継ぐのはお前だろうという予見が消せなかったからだ。

 もし当たっているのなら、今生こんじょう出会うことが叶わなかった実弟と、紙上において相対する奇縁に笑わずにはおれない。

 もしもお前が明命に嫌々従っているのなら、私のことを奇妙な思いで眺めるだろう。

 なぜこの人は、自分でこの手を取らなかったのだろう、と。

 正直に白状すれば、私は他者のためなどというお綺麗な義信などない、薄情な人間だ。

 それを恥じ入る自省もなければ、悪びれるほどの関心もない。

 お前の兄は、そういう男だった』



『だからこそ、十余年に渡って明命の手駒として動き、この国の闇を素知らぬ顔で眺めることができたのだ。

 そして、こうして明命への謀反むほん手解てほどきを書きあらわしたのは、ただ単に私の酔狂に過ぎない。

 お前は信頼するにも値しない男の助言を採用するかどうか、その判断も冷静に行わなければならない。

 そして、それでも何かを変えたいと、真に願ったのなら。

 ならば全てを。

 命さえも、最早捨てたものと腹に決めて、事に当たれ』



『明命がこの国に巣くうようになって、幾年月。

 奴も年をることで、当初のように美弥を簡単に見限ることができなくなり、この国に居座ることで得られる利に執着し始めている。

 これはお前にとって有効に働くだろう。

 少しでも現状に暗雲がかかり始めたと奴が察知しても、そうそう奴は美弥を離れる選択をせず、よって

 その隙をつくことが肝要だ。

 お前がこれを読んでいるとき、最早私は草葉の陰に枕した身だろうが、血を分けたというほんの少々の義理で、お前を見守って居よう。

 よく考えろ、銀正。

 全てはお前というくさび次第。

 何を守り、失うか。

 冷徹に見極めろ。

 犠牲なく、この美弥を救うことなどできないのだから。

 では、長くなったが、ここまでとする。


                                 了』

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