華の国・美弥。

 その歴史は古く、初代国権のおわした場所として、各国より一目置かれている。

 国領も広い。

 中枢である国主の城下町・美裳瀬みもせも、国外に類を見ない規模だ。

 広大な町全体が、点在する物見のやぐらにぐるりと囲まれ、中の華やかな世界を外の脅威から守っている。

 町並みに遠く見える城は見上げるほど高い城郭の上に浮き、雲の真下で悠然とこちらを見下ろしていた。

 古い渡来の知恵によって形作られた町は整然として、中心を貫く大通りには人波があふれかえっている。


「驚いた。 豊かとは聞いていましたが、これほどとは。 百聞は一見にかずとはよく言ったものです」


「俺も己の目で知るのは初めてだ。 これでは将国・秀峰にも劣らぬな」


 道で活気づく芸者の見世物。

 街路に店を構え、物品作りに精を出す職人衆。

 笑いの絶えない町人たち。

 華やかな街並みに驚き、目を奪われながら、香流たち一行は歩を進めた。

 花嫁である香流は流石に馬上の人だが、後の者は皆、歩きである。

 大通りを見渡す限り、馬を引く人影は一切ない。

 旅の馬持ちは、国の関所で厳しく入国を制限されるためだ。

 香流たちは名家への輿入れということで許可証があったが、他の旅者は階位が高くても大抵馬を降りて美弥に入る。

 しかし、旅装束の簡素さと大きな荷物に、余所者の匂いを嗅ぎ取るのだろう。

 行合う町人たちは皆、通り過ぎるときに奇異の目で香流たち一団を流し見て行く。

 それが鼻につくのか、真殿は気に入らなそうに目を細めた。


「どうにも心証の悪い。 排他的な国柄とは正しい話であったようだな。 まるで物を値踏みするような目で見てきやがる」


「兄様。 そういった言葉は声を押さえるか、心の内に伏して下さい」


 香流が慌てて苦言を呈すが、真殿は知ったことかと鼻を鳴らす。

 しかし、兄の言い様も分からぬでもない。

 奇異の目と評したのは、多少遠慮がある。

 直截ちょくさいに言えば、真殿の言う通り、品定めの目だ。

 それを隠しもせず人間に対して向けるのだから、美弥の住人は、余程自分たちと他国の者を分けて考えているのだろう。

 これは中々に座りの悪い国かもしれない。

 香流は集まる視線を断ち切るように、そっと目を伏せた。


 国に入ってからというもの、右治代からの使いの者は、影も形もない。

 元々、今回の輿入れの流れは、嫁を『右治代が受け入れてやる』というていで、立場としては香流たちの方が下だ。

 とはいえ、こちらは慣れない土地へやって来ているのだ。

 成人の礼儀として、家までの案内の者があってもいいはずである。

 それすらなく、暗に自力で来いと言い渡すような扱いに、向こうの香流への心証が知れるというものだ。


「あちら様は相当、此度の事を疎ましく思っていらっしゃるようですね」


 ため息交じりにこぼせば、馬の手綱を握る真殿が、楽しそうに振り返る。


「なんだ、おくしたか?」


 小馬鹿にするような言い方に、つい目を逸らす。


「御冗談を。 この程度で尻込みするような仕込みを、母からは受けておりません」


「ほぉ? まぁ、それもそうだな。 輿入れが決まってからの母上は、相当意気込んでいたからなぁ」


 先日までの香流の花嫁修業を思い出したのだろう。

 くくっと真殿は愉快そうに肩を揺らす。

 馬すら、折よくヒヒンと鳴く始末。

 香流は目を遠くして、旅立ちまでの日々を回想した。

 縁が持ち込まれてから出立まで、ひと月。

 とにかく、母の仕込みは強烈だった。

 元々妥協のない人だが、行き遅れの娘がようやく片付くとあって、その血気は歴戦の武者もくやとばかりであった。

 料理、洗濯、掃除に作法。

 ありとあらゆる女性のたしなみを叩き込まれ、旅立ちの前夜。

 無理矢理正座させられた父の隣で、母は言った。


『いいですか、香流。 例え隠居様方になにかしらの思惑があろうと、結婚は結婚。 嫁として相手方の家で役目を果たせぬは、己の恥。 我が家の恥です』


 ご隠居衆の密命など、母は何も知らないはずである。

 冴えわたる母の勘にうら恐ろしさを感じつつ、香流は「はい」と素直に首を振った。

 ひたと見据える母の目は、抜身の刃であったからだ。

 姿勢を崩そうとする父のももつねり上げて、母は続けた。


『与えられた役目に死力を尽くしなさい。 忠言はありがたく受けなさい。 己の分というものをどんな時もわきまえなさい。 決して、心を折ってはなりません』


 最後、母らしくないに抽象的な物言いに、香流は首を捻る。


『心を、ですか?』


『そうです。 心が折れれば、己の芯も折れてしまう。 それは、自分の心を卑屈や疑心といった弱さに明け渡してしまうと同義。 そうなっては心が曇り、物事をはっきりと見定められなくなってしまう。 どんな時も、心は美しく磨いておきなさい。 そして、見定めるのです。 自分の生涯の伴侶となる者を。 その芯の美しさを』


『芯の、美しさ』


『ええ。 そして、もしもその相手が弱さに流れようとしたその時は、』


『――――その時は?』


『腹に一発蹴り入れて、目を覚まさせてやりなさい』


 流石、あの落ち着きのない父を当主に座らせておけるだけの人である。

 娘とはいえ、自分には母の真似事はできそうもないなぁと、香流は首を振った。

 何事も、己を知って適したやり様を模索するべきなのだ。

 そうこうしている間に街中で適当な宿を見繕った一行は、そこで部屋を借り、できるだけ礼を尽くした身なりに衣を整えた。

 長旅のあととはいえ、名家に粗末な姿では訪問できない。

 その上、今回は輿入れという用向きだ。

 であれば、こちらとしてもみっともない有様では家名がすたる。

 まぁ、嫁も含めて十余人程度の花嫁行列という時点で異例中の異例なので、見栄もへったくれもありはしないのだが。

 そうして宿を出た一行は、城下の中でも特に長いへいが続く屋敷の区画へと足を踏み入れた。

 大規模な屋敷が密集するそこは、行けども行けども同じ白壁の景色が広がっていた。


「右治代の家は、城の西の一番奥にあると言う話だが……」


「となれば、この塀の家でしょうね」


 歩きながら、兄妹で目を交わし合う。

 今までも長い塀が続いていたとは思ったが、そこは輪をかけて塀の先が見えなかった。

 他よりも幾分高い位置にある塀瓦を見上げ、一行は思う。

 これは相当なお大尽だ、と。


「若、表門です」


「……これまた、見せつけてくれる門構えだなぁ」


 先頭が指さす先を見て、流石の真殿も呆れ果てた。

 そこには、見上げるほどの木組みの門がどっしりと根を下ろしていたのである。

 国主の城門には及ばないながらも、そこいらの大屋敷とは比べ物にならない立派さだ。

 果たして名家とは言え、これほどの物が必要かと首を捻らずにはおれないが、いつまでも外側を眺めていても居られない。

 えりを正した真殿は配下に香流の馬を預けると、門番へうかがいをたてるために脇の戸を叩いた。

 戸はすぐさま開き、四十がらみの男が顔をのぞかせる。

 門番であろう男は、ほんのちょっとの隙間から目だけをさらすと、無遠慮に香流たちを値踏みした。

 それでも、「お約束のある方でしょうか?」と口調ばかりは丁寧にたずねてくる。


「私共は、こちらの右治代家に輿入れさせていただくため、嫁を連れてはるばる秀峰より参りました。 御在宅ならば、御当主殿へお取次ぎを」


 五老格からの紹介状を手渡しながら真殿が言うと、門番はさっと文を開いて中に目を通した。

 朱印が確かなものと見定めると、しばしお待ちをと言い置いて、屋敷の中へと走って行く。


「さぁ、いよいよ婿殿とご対面だ」


 楽しげな真殿に引き換え、香流は色のない真顔だ。

 流されてここまで来たはいいが、これで生涯を共にするには癖の強すぎる人間が出てきたらどうしよう。

 身内の傍若無人ぶりには慣れているつもりだが、世は広い。

 香流の想像の上を行く人となりだったら、どう付き合えばいい。

 己は耐えられるだろうか?

 所謂いわゆる婚前憂慮に陥って、重い溜息が落ちる。


「なんだ、憂鬱顔だな」


 戻って来た真殿が、下から香流を眺める。

 これでも当事者ですからとばかりに念を込めて視線を返すと、


「そう考えるな。 山より大きい猪は出ては来んさ」


 と、兄は香流に笑いかけた。

 その笑顔が屈託なくて、香流は目をぱちくりとさせる。

 それから少し考えて、への字にしていた口を一本線に結び直し、姿勢を真っ直ぐにした。

 全く。

 たまに力になる言葉を返して来るから、この人は侮れない。

 それからたっぷりと時間を置いて大門が開かれ、門番に先導された香流たちは、屋敷の中へと足を踏み入れた。

 馬を預け、香流は一団で自分の他に唯一の女性であった付き人に添われて、石畳の上を歩く。

 屋敷は武人の家というより、貴族の屋敷といった方がしっくりとくる造りだった。

 玄関の前まで来ると、ここで待つようにと言い置いて、門番は戻って行った。

 出迎える者は、どこにも見当たらない。

 香流たちは家の表で突っ立ったまま、家人が出て来るのをじっと待った。


「なぁ、今日家を訪れるということは、先に知らせておいたはずだろう? なぜ、奉公人の一人も出てこないんだ」


「こちらも少人数の輿入れで体裁が悪いのも確かだが、こうも粗末な扱いをされるとしゃくに障るな」


「だが、国に入れる人間の数を制限してきたのは、こちらの家の方って話だろ」


「いくら右治代が名家とは言え、ウチの姫様をこの扱いでは、我ら一門を侮られているのと同じだ」


 背後で護衛達が声を潜めて、対応の悪い右治代を口々に非難する。

 それをいさめることもできたが、香流と真殿はそのままにした。

 実際、右治代家の対応はお粗末だ。

 取り決め上、裏では右治代が香流たちよりも立場が上とはいえ、表向きは対等な家同士の婚姻だ。

 良識があれば、右治代は香流たちを正式に則って遇するが筋である。

 それがこのあり様では、向こうは徹底的にこの結婚に反抗的な姿勢を貫くつもりらしいと、簡単に読み取れた。


「……これはおそらく相当骨だぞ、香流」


 耳打ちする兄に、香流も目を細めて返す。

 ここまで来れば、今さらだ。

 その時、しゃんしゃんと涼やかな鈴の音が響き渡り、香流たちははっと腰を落として頭を下げた。

 奥の間から、多くの足音が近づいてくる。

 気配はいくつも連なって、玄関先に並んだようだった。

 その中から、一際重々しく進み出た足音の主が、香流たちの目の前で足を止める。


「長旅より、よう、お越しくださいました。 御当主のお出ましです」


 年の深みを感じさせる女の声が、凛と宣言する。

 そうしてすぐに、敷居とふすまのこすれ合う音。

 家の奥から一歩一歩、踏みしめるような足音が近づいてくる。

 重みのあるそれは、成年の男のものだ。


おもてをどうぞ、お上げください」


 若さの残る低い声が、香流たちの敬礼を許す。

 最前の香流から順に顔を上げ、一行は初めてその人を見た。


「こちらが、右治代家八代御当主、右治代忠守様でございます」


 告げられた氏とあざなに続くその人の名を、香流は知っていた。

 ご隠居衆が旅立ちの前、戯れに教えてくれていたのだ。


『忠守殿の名は、銀正ぎんせい。 白主しらす銀正殿だ。 字も覚えて行きなさい。 きっと、腑に落ちるから』


 名の通りだ、と香流は思った。

 名が表す通り、その男は白銀の如き若武者だった。

 僧のように短く刈り上げた頭部と、伸ばされた襟足の髪は銀。

 目は明るい琥珀色で、すっと切れ長の縁に、髪と同じ毛色の睫毛が覆う。

 均整の取れた顔つきは、男臭さよりも麗しさをかもし、その白く透き通った肌は雪原のよう。

 万人がはっと目を引かれるような、そんな造りをした青年だった。

 ただ一点。

 痛々しく頬から右耳にかけて残る傷跡のようなものが、その整然さに影を落としているのを除けば。


「香流殿、お立ちを」


 最初の婦人に名を呼ばれ、香流はゆっくりと立ち上がった。

 忠守――――銀正は、じっと香流を睥睨している。

 蜂蜜のような目が絶え間なく注がれ、香流は内心唾を飲んだ。

 しかし、ここで動いては不敬だ。

 伏せた目でじっと耐え忍んでいると、


「…………」


 ずっと黙していた銀正は小さく息を吐き、突然きびすを返した。

 そして、


「式は明日。 段取りには、そこの苑枝が貴女につく。 長旅に疲れているようなら、それまでに御身を養っておかれよ」


 温度のない声が、淡々とそう言いきった。

 あまりに素っ気のない物言いに、言われた方の香流たちは唖然と言葉を失う。

 いくら政略的な婚姻とはいえ、これが名家の当主が、迎える嫁に取る態度か。

 長旅のねぎらいもないばかりか、式までに体を合わせろと言って捨てる始末。

 その上、肝心の式が明日だとものたまった。

 着いてその翌日とは、あまりにも急すぎる。

 銀正が襖の向こうに姿を消すと、苑枝と呼ばれた女性が香流を呼んだ。

 そうして残りの付添人たちには、すぐに屋敷を辞すよう声をかける。

 お付きの女人すら、屋敷に上げるつもりはないらしい。

 ということは、香流は身内の出席も無く式を上げることになるのか。

 とうとう堪忍袋をぶった切ったのだろう。

 斜め後ろの真殿が、苑枝に食ってかかろうとした。

 しかし、一瞬先に正気に戻った香流が、それを鋭く目で制する。

 不当な扱いとはいえ、ここで騒ぎ立てては両家の間に溝ができる。

 歯軋はぎしりして引いた兄と、付き添ってくれた者たちが、門のほうへと導かれてゆく。

 心配そうな身内の目に精いっぱい笑って返し、香流は一人、右治代家の敷居をまたいだ。


『外の我らからして、彼の家は伏魔殿。 女で、しかも嫁として迎えられるなら、なおの事だろう』


 心してかかれよ、香流。

 五老格の言葉が、背を押す。

 ずらりと立ち並ぶ、能面づら。

 その真ん中をすっと背を伸ばし、香流はゆっくりと屋敷に足を踏み入れて行った。

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