第40話 知らせ

 その後のことは、妙に忙しなく通り過ぎていった。


 アーデスのことを聞かされ、少々コルキアと気まずい空気を過ごしながらどうにか半壊状態になった時計塔から脱出すると、すぐに王子が率いていた軍隊とかちあった。コルキア追討の王命で動いていた彼らは、コルキアに銃口を突きつけたものの、彼女に戦意のないことを見抜いたミシェル王子の判断に従い、コルキアを捕縛し、監獄へ連行するだけにとどまった。


 その際、ヴェスターとミシェル王子が二言三言言葉を交わしていたことは覚えているが、そのあたりからメルの記憶は怪しい。極度の疲労感に襲われたたためだ。どこからか駆けつけたらしいシャーロットの声と、地べたに倒れ込みそうになったメルの体を、シャーロットではない別の誰かががっしりと支えてくれた感覚ははっきり記憶に残っていたが、それ以外は何が何だかわからなかった。身体中が熱を帯びて暑くてたまらず、おまけに痛みも酷く、特に頭が痛く思考もままならなくなったためだろう。

 

 そして、やっと意識がはっきりした頃には、何もかも終わった後だった。




「……?」


 白い天井があった。意識が戻って最初に思ったのは「白い天井だな」という恐ろしく単純な感想だった。


 メルはしばらく天井に入った線を見つめ続けてから、仰向けに寝そべっていた体をゆっくり起こした。


 メルは、自分が置かれている状況をようやく認識した。柔らかな白い壁に包まれた板張りの床の上に、ベッドが数台並んだ簡素なこの部屋は、まず間違いなく病院だ。多分王立病院だろう。メル以外に患者の姿は見えず、この部屋に入院しているのはどうもメルだけのようだ。ふとベッド脇に置かれた机を見ると、見覚えのある青い小さな花が束になって花瓶に生けられていた。


 不意に、廊下の方からパタパタと忙しそうな足音が近づいてきた。続いて、メルのいる部屋の戸が無造作に開かれた。戸を開けて入ってきたのは、白衣を纏った女性。おそらくここの看護師だろう。


 看護師は起きているメルを見て、「まあ」と目を丸くし、手に持っていた包帯を危うく落としかけた。


 メルは何か声をかけるべきかと口をモゴモゴさせたが、その必要はなかった。看護師が「先生!アボットさんが!!」と声を上げて、またパタパタと忙しそうな足音を響かせ、部屋を出て行ってしまったからだ。


 しばらく彼女の帰りをメルがそわそわして待っていると、じきに複数人の足音と話し声が聞こえてきた。再び部屋の戸が開けられ、医師とさっきの看護師、そして祖母のステイシーとシャーロットが駆け込んできた。


「メル!」


 シャーロットはメルに飛びつきかけたが、すんでのところでメルが怪我人であることを思い出し踏みとどまってくれた。


「よかったわ。どこか痛いところはない?」


 そんなシャーロットの後ろで、厳格な顔をした医師らしき初老の男性がわざとらしく咳払いをした。シャーロットは罰が悪そうな顔をして、さっと医師に自分の場所を譲った。


 それからしばらく医師と看護師がメルの怪我の具合を慎重に診察し、包帯を替え、鎮痛剤を打っているから痛みはあまり感じないだろうが、むやみに動かないこと、そしてまだ一週間は入院するようにと言い残して去っていった。


 彼らが去り、やっと気心の知れた人たちだけの空間になると、メルは力を抜いた。


 枕をクッション代わりにして背中に当て、上半身だけ起こした姿勢で、メルは椅子に腰掛けたステイシーとシャーロットに向き直った。


「心配かけて、ごめんね」


「本当よ」


 口を尖らせるシャーロットとは対照的に、ステイシーは穏やかな笑みを浮かべる。


「もうすっかり安心したからね。心配したのはチャラになったよ」


 それからメルは、とりあえず気になっていることを片っ端から二人に尋ねた。


「あれから……私が病院に運ばれてから、どれくらい経ったの」


「二晩と半日よ。今日でちょうど三日目ね。あんた昨日までひどい熱にうなされ

てたのよ」


 シャーロットが答え、次の質問にはステイシーが答えた。


「ヴェスターは?アーデスはどうなったの?」


「二人とも無事だよ。魔力猫の里もだ。本当はヴェスターたちもメルを見舞いに来たがっているんだが、さすがに動物が病院に入ることは許されなくってね、外で待ってるよ。そこに生けている花は、魔力猫たちからの贈り物さ」


 花瓶に生けられた花にふと目をやる。魔力猫たちの暮らす美しい森や里が、目に浮かぶようだ。それからメルは、恐怖からヴェスターの居場所をコルキアに吐露してしまった自分を、ひどく恥じた。その上何にも知らないでふた晩と半日もベッドの上で倒れこんでしまうなんて。彼らには謝らなければならない。ヴェスターにもだ。自分のせいで。


「二人の姿なら、ほら、そこの窓から見えるはずよ」


 不意にシャーロットに言われて、メルは我に返り体を起こしかけたが、「ああ、だめよ。身体に障るわ」と当のシャーロットに止められた。


「ごめんごめん。うっかりしてたわ。私が代わりに見てくるわ」


 メルがベッドの上に体を預けたのをしっかり見届けてから、シャーロットは窓へ駆け寄った。白いレースのカーテンをシャラリと開けて、窓を開ける。途端、心地の良い風がカーテンを波打たせて病室の中へ吹き込んできた。枕元の机に置かれたレウムベルの青い花が、楽しそうに身をくゆらせる。


「ヴェスター!アーデス!メルの目が覚めたわよーー!!」


 王立病院が何階建てであったかは忘れたが、おそらくこの部屋は建物の上部に位置しているのだろう。その証拠にシャーロットは窓辺でひとしきりぴょんぴょん飛び跳ね、大声を出し、それが済むと頰を上気させてメルのベッドへ駆け戻ってきた。


「二人とも嬉しそうにしてたわ」


「そう、ありがとう」


 メルは微笑んでから、ふといつもの真面目な顔つきに戻った。


「……コルキアは?軍に連行されていったけれど、あれからどうなったの」


「今は牢に入れられている」


「ロワペール監獄?」


 王都北方に位置する罪人を収容する施設の名を、メルは恐ろしげに口にした。


「それで……どうなるの?」


 ヴェスターから、図書迷宮内の出来事を聞いているのか、二人は、メルを安心させるような口調で答えた。


「コルキアは、裁判にかけられる。追討命令が出ていたような非常事態と比べたら、コルキアの扱いは随分穏当だよ」


 では、コルキアは有事の際のみ認められる討伐などという全時代的な処置ではなく、法の下で平等に裁かれるということか。正直、コルキアに対す感情は複雑ではあったが、メルは少しホッとした。重い刑に処されなければいいのだが。それからメルはふと気がついた。一応、自分は今回の騒動の被害者である。裁判が開かれるのなら、重要参考人として法廷に立たされるはずである。法廷に立つのは嫌だが、彼女の罪を、必要以上に重くならないようすることが自分にもできるのではないだろうか。しかし、コルキアに「嫌いだ」とはっきり拒絶されてる身で、彼女の事情を話して罪を軽くできないかと考えるのは、コルキアからすればものすごく余計なお世話なのは間違いないだろう。


 それでも法廷に立たされるのかは知りたかったので、その旨を告げると、ステイシーから意外な返答が帰ってきた。


「コルキアは、元はミーレンスの魔法学会に所属していた魔法使いだ。百年以上は前の話だそうだが、そこに所属していた期間、魔法界のタブーに触れ、学会を放逐されている。その後も違法な呪具を売りさばいたり禁忌に触れたりと、犯罪を重ねている。これは、リヴレ王国で勝手に裁いていいものではない。だから、協議の末、王はコルキアをミーレンスの法的機関に引き渡すことを決定した」


 自分が思っていた以上に、ことは大事らしい。メルはがっかりしながら、頭にメルス大陸の地図を広げた。祖母の口から出たミーレンスとは、大陸最北端に位置する軍事国家として名を馳せている大きな国である。先の大戦では、リヴレ王国とは敵国だったそうだが、今では友好的な関係を続けている国の一つである。


「コルキアは、いつミーレンスに?」


「支度が整えばすぐ、と言っていたよ」


「彼女の容態は、どうなっているのかしら。最後に見た時、ひどく苦しそうだった」


 メルの言葉に、祖母は少々咎めるように眉を寄せた。無理もないだろう。彼女からすれば、コルキアは孫を病院送りにした張本人なのだから。メルも祖母のその表情に気づいて、思わず視線を逸らした。自分でもどうかしているとは、正直思うのだ。敵でしかなかったはずのコルキアに同情しているなんて。けれど、あの日、崩壊した時計塔の中や図書迷宮内で接したコルキアを、「悪」と断じることはメルにはできなかった。人はそれを「甘い」というだろうし、自分自身もそう思う。だからといって、今更考えを改めるつもりもない。


「あのね、メル。ヴェスターのことでも、一つ進展があったの」


 祖母と孫娘の微妙な空気を感じ取ったか、シャーロットがさっと話題を変えた。


「ヴェスターのことで?」


 メルはそわそわと体を動かした。


「まさか」


 鍵の紛失で有耶無耶になっていたヴェスター再封印の言葉が、脳裏に去来し、メルの心臓が大きく跳ね上がる。


「心配ないわ。悪い報せじゃないから」


 しかし、シャーロットは屈託なく笑った。


「実はね、メルが病院に運び込まれてからすぐ、王城からヴェスターを連れてくるよう館長にお達しがあったの。どうも紛失していた鍵を気絶したあなたが持っていたから、すぐにでも封印するという話だったそうよ。けれど、それに待ったをかけた人物がいたの。誰だと思う?」


 パッと華やぎを増したシャーロットに面食らいながら、「え、誰なの……?館

長?」とメルは尋ねる。シャーロットは感極まった様子で答えた。


「王子よ、あの、ミシェル王子!!」


 思いもかけぬ人物の名に、メルは「なんで」と目を剥く。そこから先は、ステイシーがシャーロットの話を引き継いだ。


「なんでも、館長とヴェスターが王の御目通りを待っている間に、ふらっとミシェル王子が現れて、ヴェスターと少しお話したそうでね。そうしたら、ヴェスターのことを王子がいたく気に入られたみたいで、国王に封印を取りやめるよう直談判してくれたそうだ」


 パーティ会場で見たあの華やかな王子とヴェスターが会話したなんて。一体何を話したのか想像がつきにくいが、人懐っこいヴェスターのことだ。おそらく楽しくおしゃべりしたのは間違いないのだろうと、メルは思う。


「何にしても、ヴェスターの再封印は取りやめになった。まあ、様子見ってことではあるらしいから、あんまり油断はできないけれど」


「でも嬉しいわ」


 メルは素直に感情を表した。ヴェスターはこれまでどおりに暮らすことができるのだ。多くの人と関わり、いろんなものを見、学び合い、教え合って。


「よかった、本当によかった……」


 自分のことのように嬉しかった。自分以外の誰かの幸せを、こんなに嬉しく思ったのは、ひょっとすると初めてかもしれない。メルは、顔しか知らない遠い存在のような王子へ感謝しても仕切れなかった。彼が王を説得していなければ、メルが気を失っている間に、ヴェスターは永劫の孤独に押し込められていたところだったろう。


「まあメルったら、泣いてるの?」


 シャーロットに指摘されて初めて、メルは自分の頰を熱い雫が濡らしていることに気がついた。どうも感極まって涙がこみ上げてきたらしい。人前で泣くなんて、らしくない、恥ずかしいと思いながらも、メルはまあいいかとも思った。これは悲しい涙なんかじゃなくて、嬉しい涙なのだから。


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