第39話 嫌い


 叫ぶでも、涙を流すわけでもなく、コルキアはただそこに立ち尽くしていた。


 そんな彼女に、メルはどう声をかけていいのかも分からずに途方にくれた。詳しい事情は類推する他ないが、コルキアに協力していたらしいあの男が、コルキアの一族に呪いを宿した張本人だった。


 コルキアからしてみれば、この上もなく憎たらしいだろう。それこそ殺したいほどに。裏切りなどではない、男は最初からコルキアの味方ではなかった。あれは長い間、コルキアを虚仮にしてきたのだ。いや、回顧録に記された文言をそのまま受け止めると、ネズミを実験にかける科学者のように、ただ純粋な好奇心で、人に呪いを宿し、どのような反応や影響が見られるのかを、協力者の仮面を被りながら側で観測し、記録をつけていた。ただ、それだけとも言えるのか。何のために。


「あれは、人の理解を超えた存在だ。その行動原理に人間の持つ理屈を当てはめても、意味はないよ」


 眉間に皺を寄せ、難しい顔をしていたせいだろうか。ヴェスターが気遣うような声をあげた。


「ええ、そうね。わかってる……」


 コルキアの背中をひたと見つめ、メルは短く息を吐く。それから誰に話しかけるというわけでもない、独り言のような調子で言葉を続ける。


「カラミシオン、って、聞いたことがある。おばあちゃんが寝物語によく聞かせてくれた物語に出てくるの。その怪物は、言葉や声に魔力があるんですって。その声で人に話しかけ、惑わし、間違った方向に向かわせる。だから人間は、何度も過ちを繰り返し、争いを起こし、血を流すんだって」


「……だから、戦争や争いがなくならない、だから、我々は対立したと?」


 こちらに背を向けたまま、コルキアが問いかけてきた。メルはそれに「いいえ」と答える。


「さっきも話したけれど、私たちはもっと話をするべきだった。『黒衣の少女に気をつけろ』。その言葉が、あなたへの偏見をより強固なものにしたのは確かだけれど、あの男に対立するよう直接魔法をかけられたわけじゃない。これは、私たちの問題。おばあちゃんの聞かせてくれた物語の登場人物達は、カラミシオンに対抗するために、何より言葉と対話を重んじていた。この物語は、単純にこうだから人間は幾度も争うのですっていう理由づけの話じゃない。怪物の声に惑わされず、相手と腹を割って話し、戦禍の火種を巻き散らそうと企む怪物を退けるお話。要は、どんな時でも対話する姿勢を放棄してはいけない、という子供に聞かせる寓話よ」


「……私は、それがあなたとできてなかった。ごめんなさい」


 そう言ってメルは、頭を下げた。コルキアは無言だ。それもそうだろう。おそらく、今のコルキアの心を占めているのは、夜会服を着た男であって、メルとヴェスターと対立していたことじゃない。メルは気まずくなって、空気をもっと読むべきだったかと内心焦ったがもう後戻りはできない。だから、今自分が思っていることをそのまま言葉に乗せる。


「今言うべき言葉じゃないかもしれないし、あなたはいろんなことでたくさん傷ついていて、それどころじゃないかもしれないけれど、今を逃したら一生言う機会がないんじゃないかと思った。だから、今謝ったの。私はあなたを拒絶して、悪だと決めつけて、あなたを傷つけた。あなたを傷つけているたくさんの物事のうちの一つが私だから、謝りたかったの。これは、自己満足の一方的な謝罪だと受け止められても仕方がないけれど、でも、今のあなたに私がかける言葉はそれしかないし、それを言わなくてはならないの。それ以外の、あなたの呪いとか、あの男の人の正体だとか、あなたの行く末について何か言えるほど、私はあなたを知らないもの。だから」


「どこまでも愚か」


 コルキアの小さな声が、不思議と響き、メルの言葉を遮る。


「私に殺されかけたのに、謝る馬鹿は初めて見た。それに、私にかける言葉がないなら、黙っていれば良いのに」


 こちらに向き直ると、眉ひとつ動かさずにコルキアは言ってのけた。


「それともお人好し、と言うべきか」


 それで?とコルキアは目を細める。


「だから、何だ。続きを言ってみろ。ごめんなさいのその先を、お前は一番言いたいんじゃないのか」


 メルはぎゅっと唇を噛み締めた後、「あの」と口を開いた。


「あなたと、もっとお話がしたい。物語の登場人物みたいに、腹を割ってとはいかないでしょうけれど、話がしたいの。あなたと」


「どんな時でも対話する姿勢を放棄してはいけない、の教訓話に従って、か」


「ええ、そうよ。半分は。でももう半分は、私がそうしたいから」


 コルキアはふっと息を吐いた。笑ったのか呆れたのか、メルには判断がつかなかった。


「そうか、だが私は、お前と話をしたいとは思わない。ただ、これだけは言っておこう。私はお前のことが、嫌いだよ」


 コルキアはそこで言葉を切ると、腰に巻きつけてあった鞄を手で探り、中から古びた革張りの本を取り出す。


 メルの隣で、ヴェスターが軽く身じろぎした。


「これはもういらない。返す」


 ぶっきらぼうに突き出されたコルキアの手から、メルはその本を受け取った。これが何なかは、わかっていた。やはり、コルキアが持ち去っていたのだ。


 コルキアは、再び自身の体を鎌の柄で支えながら、激しく咳き込んだ。それを受け止めるコルキアの手にひらには、血が滲んでいる。やはりあの薬草は、一時的なものでしかなかったようだ。


 メルは今にも倒れてしまいそうな彼女へ身を乗り出しかけたが、コルキアに見据えられ、動きを止めた。青ざめ、さらに血の気をなくしたその相貌は、どこまでも美しかった。けれど、初めて会った時の、無機質な人形のような面影はなかった。今の彼女は、どこまでも人間だった。


「言ったはずだ。私は、お前のその心を拒絶する。私とお前は、裏表の存在、分かり合うことなど、万に一つもないのだから」


 コルキアの、決して心地よくはない言葉が、メルの胸のうちに響く。それと同時に、視界は眩い光で閉ざされた。

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