第38話 嘲笑

「おや、観客が来ましたね」


 メルとコルキアの立つ枝よりも上部に位置する枝に、その男は優雅に腰掛けていた。これから貴族の舞踏会にでも参加するかのような洒落た夜会服に身を包み、頭にはシルクハットをかぶっている。目深に被られたシルクハットのせいで、男の目は見えないが、それでも彼が端正な顔立ちをしていることは見て取れた。歳の頃は、二十代半ばといったところか。


 メルは、たった今耳にした男の声を自分が知っていることに驚いた。忘れようにも忘れられない。城で聞いたあの声。ここに来る途中に、ヴェスターに話したあの声そのものだった。


 コルキアの方は、無言でメルとヴェスターを出迎えた。彼女の手には、随分古びた紙束が握られている。よく見るとそれには、見たこともない異国の文字が無数に書き連ねられてた。紙束だと思ったそれは、幾重にも折り重ねられた折本だったのだ。


「あれは、メイルハイラの回顧録」


 腕の中で、ヴェスターがメルの聞き慣れぬ言葉を口にする。


「メイルハイラ?」


 心当たりがあるのかないのか、夜会服の男はおどけた風に首を傾げる。

 コルキアは、それには一別もくれずに手元の折本を広げて、メルにはとても読めそうにない難解な文字列を追いながら口を開く。


「光る文字に触れると、この書物がどこからともなく現れた。私の解釈では、おそらくこれに、先ほど私が見た言葉が載っているのだろう。これがメイルハイラという人物の回顧録というのなら、お前は彼ないし彼女に会ったことがあるのだろう」


 コルキアの指摘を受けても、男は判然としない態度をとり続ける。


「あの男、人間ではないね」


 ヴェスターが、不意に小さな声でメルに話しかけてきた。


「人でなければなんだというの」


「さあ、悪魔か、妖精か、それともーー」


「カラミシオン」


 コルキアが、本から顔を上げた。その単語に聞き覚えのあったメルは、目を見張る。


「ここに記されている」


 再び手元の折本に目を落とし、そこに記されている文章を、リヴレ王国の公用語に訳して彼女は読み上げた。



『奇妙な男だった。容姿と声は同性異性を問わず、虜になりそうなほど美しいというのに、笑んだ表情とその声は著しく品を欠いている。一度見たら決して忘れられない男だ。私は、思わず男に誰何した。男はこう答えた。『誘惑と災いの体現者』と。正直意味がわからなかったし、ふざけているのかとも思ったが、彼はさらにこう続けた。『私は今、あることに傾倒している。さる愚者の望みを叶えるのと引き換えに、その愚者の子々孫々を貰い受け、呪いを宿らせ、ずっと観察しているのだ。呪いを宿しながら、人はどういう風に生きるのか、実に面白く、記録のしがいがある事象だよ』と』



 コルキアは、そこで文章を読み上げる声を途切らせた。


「災いと誘惑の体現者は、私が直訳したものだ。原文に従うのなら、カラミシオンと呼ぶのが正しい」


 下卑た笑みを浮かべる男をまっすぐに見据え、コルキアは淡々とした口調で続ける。


「クロヴィス。これがお前の正体か。お前が、私の一族に、この忌まわしい呪いを宿した張本人というわけだ」


 最後の言葉は物静かではあったが、内に激しい感情が渦巻いているのは誰が見ても明らかだった。


「許さない」


 コルキアの桜桃色の口から、低く、唸るような声が漏れ聞こえる。


鳥籠よ、捕まえろラプタウラ•アーゲ


 かつて、メルとヴェスターを捉えた禍々しい鉄の檻が空間を歪めながら出現

し、男を内に閉じ込める。それでもなお、男は笑みを絶やさなかった。


「私をどうするつもりです?拷問でもして呪いを解く方法でも聴き出しますか。言っておきますが、私は呪いをかけることはできても解くことはできませんよ。

その方法も知らない。そして殺しても、呪いが解けることはない」


「それが事実なら、殺しても何の支障もないというわけだ」


 コルキアがそっと右手を挙げると、その動きに伴い、黒い大鎌が時計の秒針のように彼女の背後でくるくると回り始める。


「無駄ですよ。私を斬っても何もない。私はどこにでもいるし、どこにもいないのだから」


 ふっと、何の脈絡もなく、男の姿が消えた。煙が出たとか、光ったとか、そんな不可思議な前兆は全く起こらず、ただ消えた。その現象だけが、唐突に訪れた。何も入っていない、空っぽの巨大な鳥籠だけが空虚に取り残される。コルキアもメルもヴェスターも、しばし間の抜けた顔をして鳥籠を見つめた。そんな彼らをどこから見ているのか、姿のない男の嘲笑を含んだ声がこだまする。


「私は語り手ストーリーテラー、呪われた一族の観測者、あるいは誘惑と災いの体現者、あるいは演出家……呪い、対立、私が誂えた舞台はいかがでしたかな、役者さんたち」


 男の耳障りな笑い声はまだ続く。


「私はずうっと見ていますよ。コルキア。あなたの物語が終わるまで……ね」


 姿と同じだった。声も、唐突に消え失せた。そのあと、いくら待ってみても、男の声は聞こえてはこなかった。

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