第34話 暴走


 力を失くし、屋根に沈むコルキアの手が、そばに落ちていた鎌をつかんだ。起き上がると同時に、彼女は鎌にぶら下がった状態で空へ再び浮かび上がる。


「どういうこと」


 ヴェスターは目を白黒させてコルキアを見上げた。


「コルキアは、もう魔法は使えないんじゃ」


 頭の上から、冷静なアーデスの声が答える。


「わずかな動作でしたが、彼女はさっき何らかの液体を摂取しているのが見えました。あれはおそらく、魔力を抽出し液体に封じ込めたものでしょう」


「え、じゃあ、それを飲んでまた魔法が使えるようになったの」


「そういうことです。普通、あれは飲むものではないのですが。体内で魔力を生成できない人間が摂取すれば、激痛を伴います」


 だが、コルキアの表情や動作からは、痛みに苦しんでいる気配は微塵も感じられなかった。痛みを感じないのか、感じてはいるが懸命にこらえているのか、どちらにせよ普通ではない。


「これはまた、厄介な事態です」 


 アーデスが告げると同時に、コルキアは再び仕掛けてきた。鎌を操ってヴェスターたちの頭上を横切ったかと思うと、パッと鎌から手を離して、ヴェスターの背に降り立った。背中に軽い衝撃が走り、ヴェスターは首をひねり自分の背の上で何が起きているのかを確認した。


「アーデス!」


 思わず叫んだ。掲げられたコルキアの腕の動きと連動して、離れた場所から鎌がアーデスめがけて飛んできているのが視界に入ったのだ。それも恐ろしい速度で。刃で刻まれなくとも、あんな鉄の塊に衝突されればただでは済まない。アーデスはヴェスターの声で鎌の存在に気付き、とっさに身を捻って避けた。だが、結果としてそれが隙を生むことになった。鎌を避けることに気を取られ、直前までコルキアの魔法に気付かなかった。


「|鳥籠よ、捕まえろ《ラプタウラ・アーゲ》」


 今まで小さくて聞こえなかったコルキアの呪文が、はっきりと聞こえた。アーデスはたちまち魔法の鳥籠に捉えられてしまう。アーデスは鉄格子に爪を立て、どうにかしようとする動きを見せたが、コルキアが鳥籠の取っ手の部分を掴む方が早かった。


「邪魔だ」


 鳥籠の中こちらを見上げてくる魔力猫の目を見つめながら、コルキアは低い声で告げた。そして、アーデスの入った鳥籠を、無造作に放り投げた。


「なんてことを!」


 ヴェスターは落下してゆくアーデスを助けにいこうとしたが、それは叶わなかった。いきなり翼を何かで締め上げられ、体の自由が奪われる。気がつけば、宙に一人で浮く鎌から荊が伸び、ヴェスターの翼に絡みついている。そのまま鎌は回転し、荊でヴェスターを締め上げ、バランスを崩したヴェスターはふらついた。


 鎌から伸び、ヴェスターを捉えた荊から、数本の荊が分離する。それは、主人であるコルキアへその先端を伸ばして、彼女を優しく絡め取り鎌の柄へ押し上げる。優雅に鎌の柄に腰掛けたコルキアは、仮面のような顔に、わずかに満足げな表情を垣間見せた。そして、桜桃のような唇を割った。


「さあ、図書迷宮よ。私にその扉を開け」


「いやだ」


 ヴェスターは決然とした口調で言い切った。


「お前のような奴に、扉を開けてやるもんか」


 コルキアは満足そうな表情をスッと引っ込め、淡々とした口調で尋ねる。


「人種も種族も性別も身分も関係ない。誰もが学べる場所。それがお前ではないのか。そこに私は含まれていないのか」


「お前、自分が何をやっているのかわかってないのか!?」


 ヴェスターはカッと目を見開き、体の自由を奪う荊から逃れようと身をよじりながら声を枯らして叫んだ。


「自分の邪魔をする者を傷つけ、力づくで僕を奪おうとする。図書迷宮は、そんな欲得にまみれた暴虐な者のためにあるんじゃない」


「私も好きでそんな手段をとったわけではない」


 最初に私を邪険に扱ったのはお前たちの方ではないか、とコルキアは言った。


「私が魔女だから、私が禁忌を犯しているから、だからお前たちは私を悪と決めつけた。そして私を侮蔑し、嫌悪した。最初に敵意を向けてきたのはお前たちだ。私はその敵意に答えただけに過ぎない。お前は差別したんだよ。誰にでも門戸を開ける図書迷宮が、差別したのだ」


「違う!」


「違わないだろう」


 コルキアの大音声が、ヴェスターの否定する声を遮った。これまでずっと一定を保ってきた無感動な声が、初めて感情を乗せた声に変わり、ヴェスターは耳を疑う。


「お前たちは私の言い分をろくに聞きもせず、一方的に私を悪と断じ、私を拒んだ。そういう態度をとられても仕方のないような容姿をしていることは自覚している。だが、お前たちが最初に私を傷つけた事実は変わらない。私が何を言ってもお前たちは耳を貸さない。だから、こういう手段をとらざるを得ない」


 コルキアの言っていることは概ね、正しかった。ヴェスターは、コルキアと初めて会った時のことを思い出す。彼女の異様な雰囲気と、古来より悪魔と約定を結んだ者の証とされている赤い目を見て、彼女を「悪」と決めつけたのだ。


 彼女は最初、何と声をかけてきた。


「ねえ、この子を撫でてもいいかしら」


 それを拒絶したのは自分だ。


 するとコルキアは、嫌われたみたいだと言った。その後、メルに何者か尋ねられて、彼女は素直に答えていた。「魔女だ」と。少なくとも、ヴェスターが「お前のような奴にシーグリッドから託された書物たちを渡すわけにはいかない」と言うまで、コルキアに敵意はなかった。コルキアの気質がかなり極端であることを考慮したとしても、この争いを引き起こしたのは自分の言動であったのかと、ヴェスターはゾッとした。


 魔女は悪だ、禁忌は悪だ。客観的に見るとなんと偏った価値観なのだろう。書物で見聞きした禁忌や魔女。表面的に知ったものを通してしかコルキアを見ていなかった。書物に書かれた魔女ではない、今目の前で、感情を持って動いている彼女そのものを見ようともしていなかった。もしも彼女そのものを見て、彼女の言い分を聞いていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。


 だが、もう遅かった。


 感情をあらわにしたコルキアの顔が不意に苦悶に歪んだ。自分の体を両手で掻き抱き、身をよじる。体が震え、口が開き、浅い呼吸が漏れ出たかと思うと、それは痛みに悶え苦しむような声に変わる。魔力を取り込んだ代償に耐えきれなくなってきたのか、いよいよ増して痛みが増してきたのか。いずれにせよ今のコルキアの状態は安全とは言えなかった。まるで溺れているかのような苦しみようを見せるコルキアに、ヴェスターはおもわず声をかける。


「早く体内に取り込んだ魔力を出せ。体がボロボロになるぞ!」


「うるさい!」


 コルキアは絶叫した。彼女の体内の魔力が一挙に膨れ上がるとともに、ヴェスターに絡みつく荊がさらなる成長を遂げる。荊の太さと数が増し、ヴェスターを完全に飲み込んだ。やがて太い荊が何本も束なり、大樹の幹の如し太さとなる。それでも成長は止まず、驚異的な速度で荊は真横に向かって、より太く、長くなろうとする。その姿はさながら巨人の腕のようだった。巨人の腕は王都に暗い影を落とし、街の他の建物よりも突出して高い時計塔の円盤部へ、ヴェスター諸共に激突した。

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