第35話 崩壊

 誰かに強く体を揺さぶられて、メルは薄っすらと目を開けた。ぼやけていた視界が焦点を結び、なぜか目の前にシャーロットの顔があることに気づく。シャーロットはメルが目を覚ますや否や、「メル!よかった」と嬉し泣きをしながら、メルの体をギュッと抱きしめてきた。


「シャー……ロット?」


 まだぼんやりする頭を抱えながら、メルはつぶやく。シャーロットは「ええ、シャーロットよ」と言ってから、鼻をすすった。彼女の目元は赤く腫れている。


「片っ端から空家を訪ねて、やっと見つけたの……。見つけた時、死んじゃったかと……」


 言葉を途中で閉じると、シャーロットは横たわったメルから体を離し、「そうよ、怪我、メルあなたひどい怪我よ。ああ、早く止血しないと。でもどうしたら」


 メルは自分の体を見下ろした。白のブラウスは血で濡れて、ひどい有様になっている。それから、頭から離した手にも血が付着していた。そうして血を見た途端、鈍っていた痛覚が目を覚ましてきて、メルは顔をしかめた。


「そうだ。私、コルキアに」


 何をされたのか思い出してきたメルは、「ああ」と目を見開いた。それから起き上がろうとすると、シャーロットにグイッと肩を押されて「ダメよ!」と止められた。


「いきなり動いちゃダメ!傷口が開いちゃう。じっとしてて」


 シャーロットはメルの頭に手巾を添え、額に流れ落ちる血を拭う。


「私だと簡単な止血ぐらいしかできないわ。メル、歩ける?病院へ行かなきゃ。とりあえず馬車を呼んで」


「いえ、でも、今はそれどころじゃ」


 メルは止血してくれているシャーロットの手を払いのけると、立ち上がった。怪我の様子を見ればかなり痛々しいが、気持ちが高ぶっているせいか、我慢ならないような痛みは感じない。頭が若干クラクラするがこれも少しくらい大丈夫そうだ。


「ちょっと!」


 シャーロットが咎めるような声をあげたが、メルは構わず部屋の出口へ向かう。


「私が、コルキアに教えてしまった。魔力猫の里が、ヴェスターが、大変なことに、私のせいでっーー」


「ヴェスターとはさっき会ったわ」


 駆け寄ってきたシャーロットに体を支えられ、メルは「え?」と眉を寄せる。


「ヴェスターが王都に?どうして」


「わからないわ。けど、コルキアも来てるの。多分、ヴェスターは今コルキアと戦

ってる。……もう、私たちがどうにかできる状態じゃないのよ。だからお願い、メル、私と一緒に病院に」


 シャーロットが言う終わるよりも早く、メルは駆け出していた。今にも抜け落ちそうな古びた階段を降りて一階に下り、開け放したままになっていた玄関の扉を通って外へ飛び出す。昼間からすえた臭いの目立つ路地裏はがらんどうで、人っこ一人いない。長方形に切り取られた空を、焦る気持ちを抑えながら見上げ、メルは「ヴェスター」とつぶやく。


 ここからでは、今王都がどんな事態になっているのか、知る術がなかった。メルは周囲を見渡し、近くに王都のランドマークの一つである時計塔を見つけた。あそこに登れば状況がわかるかもしれないと、メルは駆け出した。後ろから「メル!」と怒ったような困ったようなシャーロットの声が追いかけてきたが、構わずに足を動かす。


 道はわからなかったが、とにかく時計塔に向かっている道を選択して、メルは街を駆けた。途中からは、動かすたび足にまとわりついてくるスカートが邪魔になってきて、裾をたくし上げて走った。心臓が跳ねまわる音と自分の呼吸音がいい加減うるさくなってきた頃、メルは時計塔にたどり着いた。だが、時計塔へ昇る階段はあいにく施錠されていた。牢獄に入れられた囚人のように、階段を施錠している鉄格子を両手でつかんだメルは、疲れとも不安とも取れぬ息をこぼす。その背中へ、再びシャーロットの声がかけられて、メルは驚いて後ろを振り返った。無我夢中で走っていたせいで、シャーロットがずっとついてきてくれていたことに気づかなかったらしい。申し訳なくなってきたメルに、シャーロットは「落ち着いた?」と心配そうに尋ねる。


「うん……ごめん」


「さ、行きましょう。早く怪我の手当てをしないと」


 そう言って差し伸ばされた親友の手を取ろうと、メルはおもむろに右手を伸ばす。その時、頭上から天地をどよもすような轟音が轟いた。地面が激しく揺れ、パラパラと小さな石の瓦礫が落ちてくる。メルとシャーロットは驚き、互いに手を引っ込める。


「地震!?」


「違う!」


 時計塔の上層部を見上げたシャーロットが、ほとんど悲鳴に近い声をあげた。メルも時計塔内部へ続く階段を施錠する鉄格子から離れ、彼女の見ているものと同じものを見る。


 時計塔上部のちょうど円盤の上に、黒い竜が背中から倒れ込んでいた。よほど強い衝撃を受けたのか、時計塔の上層部は崩壊を始めている。そして、円盤を覆うガラスが砕け散り、時を指し示す長大な針が、メルとシャーロットの頭上を覆い隠そうとしていた。


 呆然とそれを見上げ、動きが完全に固まってしまっているシャーロットの体を、メルはとっさに突き飛ばした。バランスを崩し、よろけるように後退したシャーロットは、あっけにとられたような顔でこちらを見返した。そしてその口元が何か言葉を紡ごうとした瞬間、メルとシャーロットの間に、時計塔の巨大な針と瓦礫と、魔女の絶叫が振り落ちた。

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