第31話 魔法の炎

 ヴェスターは、荊の中でまた猫になった。締め付けから解放されたものの、荊の繭の中に出口は見当たらない。その辺を爪で引っ掻いてみたが、荊は不気味に蠢くだけで傷一つつかなかった。


「魔法が付与されてるんだ。魔法じゃないと破壊できない」


 ヴェスターは呟いた。図書迷宮に入っている無数の魔導書のページを記憶の中でめくり続け、攻撃に特化した魔力ではない自分にでも、実現可能な魔法を必死で探す。風の魔法ではビクともしなさそうな荊の繭を破壊するには、斬ったり燃やしたりできる魔法がいい。それか、付与された魔法を消し去る魔法。その時、荊が大きく動いた。足を取られたヴェスターは中で転び周り、あっという間に荊に絡め取られた。これではもう本当に身動きができない。本来の姿に戻っても、荊には蟻一匹這い出る隙間もなく、脱出はできないだろう。絶体絶命だ。


 しかし、不意に荊の繭がまた大きく揺れた。ヴェスターを締め付ける荊が徐々に緩み始める。おそらく、外で何かが起こっているのだろう。やがて、荊はぶるぶると震え始め、力を失くしたように一気に解けた。パッと外の光が差し込んできて、解放されたヴェスターは宙へ放り出される。そこに何者かが通りかかり、ヴェスターの首根っこを、ヒシと咥えて、落ちてゆく軌道上にある屋根の上に綺麗に着地した。


「無事で良かったです」


 そう言ってヴェスターを見つめてきた魔力猫を見て、ヴェスターは「アーデスさん!」と声をあげた。里で世話になったアーデスの姿に、ヴェスターの気持ちは一気に和らぐ。


「でも、どうしてここに」


「どうしても何も、我々はあなたを守らねばなりませんので。長の命令です」


「でも森は」


「大丈夫。もう対処法はわかりました。クラリスが筆頭になって、頑張ってくれています」


 アーデスがふとヴェスターから視線を外したので、ヴェスターはそちらを見遣った。すると、コルキアの前に二匹の魔力猫が立ちはだかっており、コルキアがヴェスターに近づけないよう牽制している。その魔力猫とは直接言葉を交わしたことはないが、見覚えはあった。いつもオレリアのそばにいる魔力猫だ。おそらく、オレリアが戦士と呼ぶ者たちだろう。


「コルキアは我々がどうにかします。ヴェスター殿はその隙に早く逃げてください」


 アーデスがそう言った直後、コルキアの振るった鎌が茶色い魔力猫を捉えた。魔力猫はギリギリで身をひねり交わしたが、わずかにかすったようで、赤い血が宙を舞う。


「あっ」


 ヴェスターは身を乗り出す。


 傷ついた魔力猫は、なんとか屋根の上に踏みとどまったが、苦しそうな顔をしている。もう一匹の、三毛キャリコの模様をした魔力猫がかばうように傷ついた魔力猫の前に飛び出す。


「僕も戦う。コルキアを倒して、メルも助ける」


「危険です。おやめなさい」


 アーデスは止めたが、ヴェスターは頑として動かない。


「もう逃げるのは嫌だ。コルキアがいる限り、僕のそばにいる人は危険にさらされる。メルのそばに行っても、きっとすぐにコルキアが追いかけてくる」


「ええ、ですから、コルキアは我々にお任せください」


「ううん、一緒に戦おう。あれは僕が招いた災いだ。招いた僕が逃げてばっかり

じゃ、格好がつかないよ」


 ヴェスターは、その身を竜へと変じる。竜の重量に耐え切れず、屋根がミシミシ

と唸った。たじろくアーデスに、ヴェスターは声をかける。


「アーデス、乗って」


 アーデスは少し迷った顔を見せたが、腹を括ったのか、ピョンと飛んでヴェスターの肩に乗ってくれた。アーデスがしっかりつかまっているのを確認し、ヴェスターは翼を広げて飛び立つ。コルキア目掛けて。


 コルキアは、こちらへ向かってくる竜と魔力猫を一睨みしてから、鎌にぶら下がり空へ浮き上がった。その下をくぐるような形で、ヴェスターとアーデスはコルキアと交錯する。その瞬間を逃さず、アーデスは威嚇するように毛を逆立てる。すると、逆立った毛がパチパチと爆ぜて、赤い炎を生み出した。毒々しいほどに鮮やかな色を帯びた魔法の炎は、空を翔ける箒星のように尾を引いて、まっすぐにコルキアに向かって飛んで行く。コルキアはそれを交わしたが、炎は急旋回すると再びコルキアを追い始める。魔法の炎の軌跡には、長い尾が引かれる、それに沿って、アーデスを乗せたヴェスターは、追尾する炎から逃れるコルキアを追う。


「いくら邪法に通じた魔女と言っても、彼女は人間です。人間は、我々魔力猫のように体内で魔力を生成できない。人間である以上、コルキアも大地に満ちた魔力を用いて魔法を操っているはずです」


「つまり?」


 アーデスに尋ねると、淀みない口調で彼は答える。


「現代では、かつて大地に満ち満ちていた豊潤な魔力は微弱なものになっています。そんなものを立て続けに酷使しているのですから、コルキアは、いずれまともに魔法を使えなくなる。つまり、魔力に事欠かない我々が圧倒的に有利なのです」


 言われてみれば、さっきからコルキアは逃げるばかりで何もしてこない。空を

飛ぶのにも魔力は使うであろうし、それだけで精一杯なのだろうか。飛行速度も落ちてきているようだ。


「じゃあ、僕らが勝ったも同然だ。コルキアを倒せる。うんと懲らしめてやろう」


 ヴェスターがそう言った時、とうとう魔法の炎がコルキアに着弾した。コルキアの黒衣が赤い炎と混じり合い、不吉な色を作り出す。炎に包まれたコルキアは悲鳴も上げずに落ちていき、やがて民家の屋根の上に落ちた。赤茶けた屋根瓦がひしゃげた音を立て、コルキアと大鎌が屋根に沈み込む。


「死んじゃったの!?」


 ヴェスターが息を飲むと、その上で「いえ、まさか」とアーデスがすぐに否定

した。


「あの魔法の炎に、直接的に人を殺す力はありません。私も殺したくはないですし。それに」


 アーデスは、沈黙するコルキアの体を上空から見下ろした。


「コルキアの身柄を拘束し、しかるべき機関で裁きを受けさせよと、長からの命ですので」










 体を包みこんだ炎はそれほど熱くはなかった。だが、空から地上へ人一人を堕とす威力は十分にあった。視界が鮮やかな炎で真っ赤なになると同時、突き飛ばされたような衝撃に体が揺らぎ、鎌から手が離れる。炎に包まれ、コルキアは背中から落ちてゆく。鎌へ手を伸ばしたが、さすがにこの場の魔力を使いすぎたのか、鎌もコルキアと共に落下を始めた。やがて、背中に衝撃が走り、突き抜けるような痛みが全身に走る。瓦のひしゃげる音が耳元で聞こえ、すぐそばに鎌も落下し、騒々しい音を立てた。


 わずかの間、痛みに息ができなくなり、それが過ぎ去れば酸素を吸いこもうと口を開く。そこから苦悶の声が微かに漏れ出る。


 荒く息をしながら、コルキアは大の字になって屋根の上に寝転んだ。その視界に、黒い竜の影が映り込んだ。青い空に輝く眩しい太陽の光を覆い隠し、コルキアのいる屋根の上に、竜は暗い影を落とす。


「違う……図書迷宮だ」


 コルキアは、弱々しく右腕を掲げた。


「あそこに……あそこにあるはずだ。あそこになくて……どこにある」


 ガシャン、と、右腕が瓦の上に力強く置かれた。きつく握られた右の拳がにわかに緩み、そのままそれは腰のカバンに伸ばされる。


「何をしてでも、必ずや手に入れてみせる」


 コルキアは手元を見ずに右手でカバンを弄り、小さなガラス瓶を取り出した。ガラス瓶の中は、星屑をまぶしたような煌めきをたたえた透明な液体で満たされている。それを顔の前に持ってくると、握りしめたまま右手の親指で蓋をこじ開け、寝そべったままそれを飲んだ。口元から飲み損ねた液体が垂れ落ち、屋根瓦を濡らす。ガラス瓶が空になると、コルキアはそれを投げ捨て、空いた親指で口元を濡らす液体をぬぐい取った。それから、液体の付着した親指を口にくわえる。


 次第にこちらへ近づいてくる竜を見上げながら、コルキアは親指を喰んだ。


 親指に付着した、溢れた分の液体を飲み干すと、体内の隅々まで魔力が行き渡るのを感じた。同時に、身体中に痛みが走る。本来、生じ得ない魔力に体内の抗体が反応し、排除しようとしているのだ。だが、その痛みにコルキアは顔色一つ変えなかった。体の痛みなど、あの時の痛みと比べれば、気にもならないことだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る