第30話 王都決戦


 メルがコルキアに傷つけられたかもしれない。そう思った時、ヴェスターはじっとしていることができなかった。今すぐに、王都にいるはずのメルの許へ飛んでいき、無事を確かめたかった。それに、自分がいなくなれば魔力猫の里も、これ以上の被害に苦しまなくていいはずだ。自分のせいで、もう誰も傷つかないで欲しい。そう考えれば、メルの無事を確認せずに、このままどこか遠くへ誰も知らない場所へ行った方がいいのかもしれない。けれど、せめてメルの無事を確認するまでは。


 その時、ヴェスターの視界に鉄格子が現れ、危うく激突しかけた。急停止し振り仰げば、巨大な鳥籠に囚われていることに気づいた。数日前、王都上空でそうしたように、猫の姿になって隙間から脱出しようとしたが、鉄格子の隙間が以前よりも狭くなっており、猫の姿になっても難しそうだ。背後へ首を回してみれば、鎌に腰掛けたコルキアが迫ってきている。


 焦ったヴェスターは、鉄格子に巨体をぶつけて破壊を試みる。だが、檻はビクともしない。


「どうしよう、こんなところで捕まるわけには」


 ヴェスターは恨めしげにコルキアを見つめた。もし、もしメルが無事ではなかったら。この魔女を前に正気でいられるとは思えなかった。今でもその姿を見れば腸が煮えくり返ってくる。自分を狙うのは別にいい。ヴェスターが怒っているのはそこではないのだ。自分を手に入れるために、邪魔する者を容赦なく傷つけるのに怒っているのだ。守ろうとしてくれたメルや魔力猫たち、そして、平和な魔力猫の森を彼女は蹂躙した。そのことが許せない。そして、何もできずに、友達の無事も確認できずに、無力なままコルキアに捕まってしまうのは絶対に嫌だ。意地でもなんででもだ。


 ヴェスターは大きく息を吸い込むと、ふっと力を抜いた。すると、巨大な鳥籠の中で、怪鳥のような黒い竜の姿が空気に溶け込むように消え、代わりに夜空から巨大な網で掬われた満天の星々の如き煌めきが現れた。実体を持たぬそれは、人間の指一本しか入らないような格子の隙間を容易く通り抜けた。星々はそのまま明るい昼の空に散っていき、日が沈まなければ視認できなくなる本物の星のように、その姿を追えなくなる。


 本来の「魔力」としての姿と化したヴェスターは、そのまま王都のある方角へまっすぐに進んでいった。速度は竜の時よりも早かった。実体化せずにこんなことをするのは初めてで、内心恐ろしかったが、コルキアを振り切れたことは嬉しい。だが、気を確かに持っていないと体がバラバラになりそうな心地で気持ちがいいとは言えない。すぐに図書迷宮を形成して、安定を得たくなるが、そんなことをすればコルキアに気配を悟られて入って来られてしまうのでできない。


 脇目も振らずにヴェスターは王都へ向かっていった。後方を確認する余裕もなく、ひたすら今の速度を保ったまま前へ進むことだけを考える。そうしていくつもの山や街や農場を抜けた果て、ようやく、前方に白亜の城が見えてきた。その周囲に大きな街が形成されている。王都だ。


「メル!!」


 実体化してないただの魔力の体では、声を出すことができない。代わりに、煌めく星々を大きく震わせ、心の中で名前を呼ぶ。だが、それではやはりメルを見つけることはできない。メルも気づいてくれないだろう。


 ほんのわずかの間、ヴェスターは躊躇した。だが、決めた。竜の姿を借りて実体化する。王都上空で。こうすれば街は大騒ぎになる。騒ぎに気付いたメルが、なんらかの反応を示してくれるかもしれない。


 予想通り、突如上空に出現した巨大な竜の姿に、王都は騒然となった。ヴェスターは低空飛行をして街をかすめるように飛んでいく。そうすれば、人々の反応が良く見えた。皆、目を丸くしてヴェスターを見上げた後、泡を食ったように近くの家屋の中や路地の奥に転がり込んでいる。申し訳ない気持ちに駆られたが、これもメルを見つけてその無事を確認するためだ。


「ヴェスター!!」


 人々の悲鳴が上がる狂騒の中、その声をヴェスターは正確に聞き分けた。


「シャーロットだ」


 どこだと、逃げ惑う群衆の中から金の巻き毛の少女の姿を探そうと飛行速度を緩める。


「ヴェスター!」


 また声が聞こえた。水のように同じ方向へ流れてゆく人の中で、唯一立ち止まって、存在を示すようにぴょんぴょん飛び跳ねている少女が一人。


「ここよ、ここ」


 シャーロットを見出したヴェスターは、黒猫へその姿を変えて、こちらへ向かって腕を伸ばしてくるシャーロットの胸の中へ飛び込んだ。ぎゅっとヴェスターを抱きしめたシャーロットは、人の流れをかき分けて、薄暗い路地に駆け込み、やっとヴェスターの顔を見た。


「ヴェスター、あなた何をやってるの。どうしてこんなところにいるのよ」


「メルが、大変なことになったって聞いて、いてもたってもいられなくて。メル

はどこにいるの!?」 


 すると、シャーロットの顔が一気に険しくなった。


「メルは、コルキアに攫われたの。今、警吏の人にも協力してもらって探しているところなのよ」


「じゃあ、まだ見つかってないの」


「ええ」


 シャーロットはヴェスターをそっと地面に置いてから、しゃがみこんで問いただした。


「ヴェスターは、どこでメルが大変なことになったことを知ったの?」


「魔力猫の里に、コルキアが来たんだ。そのコルキアが、メルからこの場所を聞

き出して、やって来た、っていうのを、クラリスが言ってて」


「コルキアは今どこに?」


「僕を追いかけてきたけど、途中で振り切ったから、どこにいるのかは」


 その時、路地裏にカンッという鋭い金属音が木霊した。しゃがみこんで話し込んでいた二人は、同時に顔を上げて、大通りから陽の光が差し込んでいる方向を見た。その陽の光を遮るようにして、真っ黒な衣装に身を包んだ少女がいた。右手には、長い柄のついた巨大な鎌が握られている。さっきの金属音は、この鎌の柄が地面に触れた音だったのだろう。


「……コルキア」


 ゴクリと生唾を飲み込み、シャーロットはおもむろに立ち上がった。そのシャーロットをかばうように、ヴェスターは前へ進み出てコルキアを睨む。


「メルを、どこにやったの。メルに、何をしたの」


 シャーロットが震える声で尋ねると、意外にも彼女は答えてくれた。


「あの娘は、王都の路地にある空き家にいる。時計塔のすぐ近くの空き家だ」


「無事なの?」


「さあ」


 コルキアは冷たく言い放った。


「かなり意識が朦朧としていたようだから、今頃は意識不明になっているかもし

れない。頭を強く打ち、血もかなりの量を失っていたからな」


「どうしてそんなことに」


 シャーロットとヴェスターは同時に青ざめた。コルキアは「無論」と相変わらず感情の見えない表情のまま続ける。


「思いの外強情だったからだ。とっとと図書迷宮の居場所を吐いておれば、手酷いことをするつもりはなかったのだが」


 シャーロットが息を飲んだのと、黒い弾丸が飛び出すのは同時だった。コルキア目掛けて跳躍したヴェスターは、彼女の体へ到達する寸前で黒竜へ転じる。コルキアはとっさに鎌を前に出して防御に努めようとしたが、巨大な竜にはかなわなかった。そのまま後方へ飛ばされ、通りの向かい側にある家屋に背中から叩きつけられる。竜の巨体に悲鳴をあげるようにして、ヴェスター側の家屋の屋根は一部崩れ、路地裏に瓦礫の雨を降らせる。シャーロットは、ヴェスターの翼に守られて無事だ。


 コルキアはしばらく沈黙していたが、鎌を杖代わりにしてよろめきながら立ち上がった。その目に諦めの色がないことを察したヴェスターは、シャーロットにメルを託した。


「シャーロット、メルを頼んだ」


 不安げに見上げてくるシャーロットへそれだけ言い放つと、ヴェスターはコルキアへ再び攻撃を仕掛けようとした。しかし、コルキアは鎌を使って宙へ逃れる。それを逃すまいと飛び上がったヴェスターの頭上で、コルキアは鎌に絡ませてあった荊を一本抜くと、小さく口を動かした。途端、荊がうぞうぞと動いて成長し、数千本にも枝分かれした荊が滝のような勢いで降り落ちてきた。視界が真っ暗になったかと思うと、荊に体を締め上げられ身動きが取れなくなる。光の閉ざされた空間の中、コルキアの声だけが響く。


「お前はおとなしく私に従えばいい。私の望む知識を授けてくれればいい。それ以上は何も望まない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る