第12話 魔法が必要ない時代

 やっとの思いで家に着いたメルたちを玄関で出迎えてくれたのは、驚いた顔をした祖母のステイシーとドレス姿のシャーロットだった。シャーロットは泣きじゃくりながら「メル!!」と叫んで抱きついてきた。激しい抱擁ハグに、メルの体はよろめいて後ろへ倒れ込みそうになる。とっさに壁に手をついて支えなければ危なかった。シャーロットはそんなことには構わず一気にまくしたてる。


「もうっ!一体何があったの?踊ってたらいきなり竜が現れて、それを黒いドレスを着た女の子が大きな鎌に乗って追いかけて行って……。メルのこと探しても全然見つからなくって。それでもパーティは続いたけれど……。それで、迎えに来てくれた馬車で帰る途中、町で配られた号外みたら!!」


 そこでようやくメルから離れ、シャーロットはすごい勢いで居間へ駆け込んでいき、例の新聞を持って戻って来た。


「これ!!これにメルが写ってるの。しかもこの竜、見覚えがあると思ったらやっぱりヴェスター!!もう何がどうなってるのかわからなかくて、とりあえずメルの家に押しかけたのよ!!私にもステイシーおばあちゃんにも心配かけて!!一から説明しなさい!」


 そこまで言うと、シャーロットはいきなりさめざめと泣き出した。メルとヴェスターがそれに面食らっていると、後ろでステイシーが「まあまあ」とシャーロットをなだめ始める。それからメルたちへ居間に入るよう促した。


「ねえステイシー。シャーロットったらどうしたの。僕らを心配するのはわかるけど泣きすぎじゃない?」


 ソファに座ってもまだ泣き続けるシャーロットを、向かいの席に座って眺めながら、ヴェスターは耳を伏せてステイシーへ尋ねる。ステイシーは四人分の紅茶を乗せたお盆をソファの前の机に置いてから、肩をすくめた。


「間違ってパーティで葡萄酒を飲んでしまったみたいでね。まだ酔いが覚めないのさ」


「シャーロットって泣き上戸だったのね」


 自分の知らない友人の一面を目撃して、ヴェスターの隣でメルは目を丸くする。


「それよりも、私たちに状況を説明しておくれ」


 自分もソファに座ると、今度はステイシーがメルたちへ尋ねた。メルはヴェスターと目を合わせてから、向かいに座るステイシーとシャーロットの方を見やる。どう話したら分かりやすいだろうかとしばし考えてから、メルは切り出した。「黒い少女に気をつけるがいい」という声が聞こえたことは省き、パーティ会場でコルキアと名乗る魔女に襲われたこと、彼女がヴェスターを狙っていること、その理由まで全てを話す。続けてヴェスターをコルキアから守るために、安全な場所に避難させたいことも告げた。


 メルが話し終えた頃には、シャーロットはだいぶ酔が覚めたのか、もう泣き止んでいた。ステイシーは難しそうな顔をしながら、「魔女か」と一言つぶやく。


「まだこの時代にいたとは驚きだ」


 ステイシーの言葉にピクリと三角耳を動かすと、ヴェスターは小さく首を傾げた。


「……そういえば、今は魔法使いや魔女は珍しい存在なのかい?街を歩いていても、全然見かけないんだけど……」


 ヴェスターの何気ない一言に、一同は目を見交わす。やがてステイシーが紅茶の入ったコップを机へ置いてから、厳かに答えた。


「魔法使いや魔女がさして珍しくもなかった時代は、もうとうの昔に過ぎ去った」


「とうの昔って……それはどれくらい前なの」


 不安そうに瞳を揺らし、ヴェスターは落ち着きなく前足をもぞもぞ動かす。

 ステイシーは肩をすくめた。


「百年……いや、もう少し前かね。少なくとも二百年ほど前なら、まだ魔法使いも魔女も、普通に街や王城、学校に出入りしていたはずだよ。それに、魔法学も盛んに研究されていた。外法を扱う悪い魔法使いもいただろう」


「二百年前……。そこから今に至るまで、一体その間に何が起こったの」


 ヴェスターの悲痛な問いに、ステイシーは目を伏せ、コップを満たす紅茶に映る、自分の顔を見下ろした。その赤茶色の水面がわずかに波打つ。


「戦争だよ」


 その単語が、明るい室内に重々しく響いた。メルとシャーロットも、わずかに表情を翳らせる。ステイシーのいう戦争は、この国、いや、この大陸に住む全ての人が知る過去であり、暗い汚点であると共に、時代や文明の輝かしい転換点でもあった。

 ステイシーは、すべてを見てきたような目をして話を続ける。


「メルス大陸全土を覆った、醜い戦争。だがその戦争で、それまであまり注目されてこなかった科学技術が、飛躍的な進歩を遂げた。なぜだかわかるかい。魔法では実現不可能な有用性に人間が気づいたからだよ。銃や大砲、戦車は、扱い方を教われば素人でも大量に人を殺せる。けれど魔法は、習得するのに何年もかかる。目まぐるしく変わる戦況で、戦争で使える魔法使いの部隊をじっくりと養成する時間はない。どの国もそう判断し、科学の進歩にその知力と財力と時間をつぎ込んだ。日に日に生まれる新しい武器が大陸を蹂躙し人を焼いた。何年も何十年も。やがてその戦争が終わった頃には、魔法学は国から捨てられていた。それどころか、神話の時代より連綿と大陸を満たし続けてきた魔力は、戦争時や戦後の自然破壊で枯渇し、魔法との親和性の高い種族の多くが緩やかに絶滅していった。魔法使いすらも、生活のために魔法を手放し、魔法を必要としない世界へ溶け込んでいった。だからもう、魔法使いはほとんどいないに等しい存在なんだよ」


 ステイシーの語りが終わると、ヴェスターは「そんな」とうなだれた。


「戦争が起こったことや、自然破壊があったことは知っていたけど、それが、それが理由だったなんて。それじゃあもうこの世界には、魔法使いどころか、竜や一角獣、妖精なんかの種族も姿を消したんだね……」


「全部じゃないわ」


 メルはしょんぼりするヴェスターを元気付けようと、声をかける。


「ほとんどは絶滅してしまったそうだけれど、一部は数や力を減らしながらもまだいるの。昔の数には遠く及ばないでしょうけれど、人間以外の種族も結構多いのよ。魔力猫マギーシャなんかは、割とみんなにも知られている存在だし」


「うん、そうか。ありがとうメル」


 メルが励ましてくれていることに気づいたのか、ヴェスターは小さな声でお礼を言う。けれど、まだ元気がなさそうで、メルはさらに続けようとした言葉を飲み込んだ。ヴェスターが落ち込むのも当然だ。ヴェスターにとって当たり前の存在だったものたちが、姿を消してしまったのだから。それから、メルはふと不安になる。魔力の枯渇したこの時代において、ヴェスターはずっと存在し続けられるのだろうかと。あまりに恐ろしい考えに、メルはゾッとしてとてもではないが口には出せなかった。


「ねえ、とにかく今は、その、魔女からヴェスターをどう隠すかを考えるべきじゃない?」


 まだほろ酔いなのか、いつもよりおっとりした口調でシャーロットが口を挟んだ。重々しい空気が、その発言で少し軽くなる。


 メルは「そうね」と賛同した。


「もともと、そっちの方を話していたわけだし」


「そうそう!」


 ステイシーは場を明るくしようとする二人を眺めながら、歌うように言った。


「木を隠すなら森の中、本を隠すなら本棚の中」


 その声に、一同の目はステイシーへ吸い寄せられる。ステイシーはひたと、メルによく似た双眸でヴェスターを見据えた。


「この場合だと、魔力の塊を隠すなら魔力の中、もしくは、猫を隠すなら猫の群れの中、ということになるね」


「魔力の中……。けれど、そんなにたくさんの魔力はもう」


 先ほどの話を思い返しながらメルが告げると、シャーロットも横から「そもそも、猫は群れないわ」とステイシーへ反論する。しかしステイシーはのんきに紅茶をすすってから「二つの条件を満たす場所がある」といとも簡単に言ってのけた。


「二つの条件?どういうこと。ステイシー、もったいぶらずに教えておくれよ」


 ヴェスターにせがまれ、ステイシーは「少しは自分で考えてみな」と零しながらも、結局は答えを教えてくれた。


魔力猫マギーシャの里さ」

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