第13話 話し合い

魔力猫マギーシャの里!?そんなのあるの!?」


 シャーロットがソファの上で飛び上がらんばかりに驚いた。床へ投げ出していた足がその動きで机にあたり、ごとりと鈍い音が響く。


「痛っ!」と悲鳴をあげるシャーロットの前で、危うく紅茶の入ったコップが倒れるところだった。


 ステイシーはおかしそうにシャーロットを観察しながら、「ああ、あるはずだよ。少なくとも二十年前にはちゃんとあるのをこの目で確認したからね」と、自分の目を指し示す。


 シャーロットは興奮して、「まあ素敵ね。喋る猫さんがいっぱいの里……」と両手を胸の前で組み合わせて妄想に耽り始める。


 魔力猫マギーシャ、というのは、人語を解し、自らもそれを操る猫の姿をした生き物のことを指す名前だ。その名の通り、彼らは強い魔力を生れながらに持ち、自由自在に魔法を扱うことができる。そのため、かつては魔法使いや魔女から使い魔として重宝されていたらしい。コルキアには使い魔らしき魔力猫はいなかったようだが。


「え、待って、それはどこにあるの」


 高鳴る胸の鼓動を抑えながら、メルはステイシーへ尋ねた。もし本当にあるならば、これほどヴェスターに適した隠れ場所はない。ヴェスターは強い魔力を持ち(魔力そのものだが)、人の言葉を話す猫の姿をしている。端から見れば魔力猫としか思えない。魔力猫たちが暮らすという、その秘密めいた里に紛れ込むことができれば、万が一コルキアがヴェスターが里にいることを知ったとしても、見つけるのに手を焼くだろう。だが問題は、魔力猫の里がメルたちに簡単に行けるような場所にあるかどうかだ。とんでもない最果ての地だったらどうしよう。メルは緊張して、ステイシーの返答を待った。


「王都から南西の方角に向かった先に、ウィリデという街があるだろう。魔力猫の里があるのはその街の郊外だよ」


 メルはホッと安堵した。ウィリデといえば、王都のロワペール駅からプラケルセイユ行きの列車に乗って、途中のウィリデ駅で降りればすぐだ。日帰りで行ける。そう何日もかかる旅ではないことに、メルは希望が見えてきた。


「里の長に交渉すれば、ヴェスターを匿ってくれるはずだよ」


「けれど、魔力猫って、魔法使いや魔女の使い魔になることがあるんでしょう?コルキアに通じてたりしないかな」


 ヴェスターの最もな不安に、ステイシーは「大丈夫」と保証する。


「そこの里の魔力猫たちは、外法をとかく嫌っている。悪い者の手下になることをよしとしない連中だ。事情を話せば協力してくれるはずさ」


「じゃあ決まりね」


 シャーロットが嬉しそうに言った。


「明日の朝、始発の汽車に乗って、ウィリデへ行きましょう。ちょうど仕事もお休みだし、ちょうどいいわ」


 こうして、明朝に魔力猫の里へ行くことが決定し、その日はここで解散となった。シャーロットのためにステイシーが馬車を手配し、シャーロットはその馬車に乗ってアボット家を去っていった。メルも明日に備え、その日は就寝前の読書も我慢してとっとと寝巻きに着替え、寝床につく。ヴェスターもそばに来て丸まった。ステイシーは、しばらくキッチンを動き回っていたようだが、じきに自分の寝室に入った。


 その夜、第一王子の誕生会で興奮冷めやらぬ街は、遅くまで明かりがついている家や酒場が多かったが、アボット家とクラプトン家の部屋の窓から漏れる明かりは、いつもより早く消された。



「まさかあなたが仕損じるとは」


 深夜。王都の裏通りにある日陰者の集まる場末の酒場で、妙な取り合わせの男女が安酒を煽っていた。一人は、黒いドレスワンピースに身を包んだ、人形めいた美貌を持つ色白の少女。もう一人は、上品な夜会服に黒いシルクハットをかぶった青年。青年の顔は、深くかぶられたシルクハットのせいで詳細がつかめない。少女は、華奢な身の丈に似合わぬ漆黒の大鎌を近くの壁に立てかけ、チラチラと下卑た目で少女を眺め回してくる酒場の男たちへ、無言の圧力をかけている。


「相手の警戒を解こうと、あんなに優しい口調で接しましたのにねえ」


 随分長く伸ばされた爪で、葡萄酒の入った杯を手遊びにコンコンと叩きながら、青年は美しい声で少女へ話しかける。少女は、暗赤色の瞳で目の前の青年を睨みつけた。


「クロヴィス。見ていたのか」


 クロヴィスと呼ばれた青年は、クククと気味の悪い笑い声をあげるだけで、それには答えない。少女はあからさまにイラついたようで、残った酒を一気に飲み干した。それから、濡れた唇を舌先で舐めとる。その仕草があまりに妖艶で、酒場にいる柄の悪い男たちが、しばし談笑を止めてほうっと息を吐いて黒衣の少女を見つめた。


「からかうだけが目的なら、私は帰るぞ」


 そう言うと、少女は壁に立てかけておいた大鎌の柄を掴み、早速席を立とうとする。クロヴィスは「まあまあ、そう急がないで」と少女を引き止めると、酒場のマスターへもう一杯酒を寄越すよう注文する。少女は渋々といった様子で鎌から手を離した。クロヴィスは満足そうに微笑むと、無言でテーブルの上に一冊の本を置いた。


「その古臭い本はなんだ」


 少女は眉をひそめ、学術書程度の大きさのその本を見つめた。元は鮮やかな茶色だったと思われる装丁は、黒ずんでボロボロ。表紙に刻まれた文字は擦り切れていて読めない。


「驚くなかれ。それは図書迷宮ビブリオラビリンスの鍵ですよ」


「鍵?本の形をしているが」


 少女はそっと本の表紙に触れた。だが、なかなか本の中身を見ようとはしない。


「すべての鍵が、我々が思い描く鍵の姿をしているとは限りませんよ。それと、付け加えると、これは図書迷宮を封印するためにも使用出来る鍵ですね」


「ほう。どこで手に入れた」


 少女は本を手に取り、しげしげと眺めながら問う。


「王立図書館ですよ」


 相手の返答に、少女は怪訝な顔を浮かべて本から顔を上げた。


「借りたのか」


 クロヴィスは「いえいえまさか」と両手を上げておどける。


「そもそも、それは禁帯出ですよ。ですから、まあ、こっそりとね。抜き取ってきました。大変だったんですよ。探し出すの。図書迷宮の封印が解けたことをあなたに伝えるずーっと前から探し始めて、見つけたのは今日やっとですよ。何せ似たような本が何千も何万も並ぶ中から探さなくてはならなかったんですから。少しは褒めてもらいたいです」


 少女はクロヴィスの話に途中で興味をなくし、図書迷宮の鍵だという本の表紙を開こうとしている。それを見たクロヴィスが、「無闇に中を覗くのはやめたほうが良いですよ」と慌てて止めた。その言葉に少女は手を止め、柳眉を上げてクロヴィスを見やる。


「扱い方が私にもよくわかっていないので、うっかり封印してしまったら大変でしょう。封印されれば手も足も出せなくなります」


「そうしたらまたこの本で封印を解けばいいだろう。これが鍵だというのなら、閉めることも開けることもできるはずだ」


「ええ、それはそうでしょうが。扱い方が分からないということは、封印の解き方も手探り状態になるのですよ。そういうことを確かめるのは、図書迷宮を手に入れてからでも遅くはないはずです」


 納得したのか、少女は本をテーブルの上に戻した。それから、「で?」と上目遣いに話をうながす。


「一応確認だが、お前は何故これを持ってきた」


「念には念を入れたのですよ」


 ちょうどそこへ追加の酒が到着し、クロヴィスは杯を店員から受け取る。少し酒を舐め、「ああ、この私が安酒を飲んでるなんて、なんだか惨めになってきました。昔は栄華を極めていたのに」とぶつくさ愚痴をこぼす。それから、少女の刺すような視線に気づいて話を続けた。


「あなたが図書迷宮を一度目で手にいれられなかった場合を考慮したのですよ。魔女に奪われるくらいなら、図書迷宮をもう一度封印してしまえばいいと、相手が考えてしまったらそれこそ手も足も出せなくなりますからね。それに、あなたは首尾よく行けば図書迷宮の所有者になる。所有者には鍵が必要でしょう」


 クロヴィスの言葉に、少女はわずかに眉をピクリと動かした。それだけでクロヴィスは、少女が気を良くしたことがわかる。


「では、これは私がもらっておくので良いのだな」


 少女は端から見れば感情を一切読み取らせない顔で、一度テーブルへ戻した本を、自分の方へ引き寄せた。それを小脇に抱え、空いている方の手で大鎌の柄を掴む。そして今度こそ席を立った。


「では、私はもう帰る。お前はしばし安酒でも楽しんでいるがいい」


 それだけ言うと、少女は黒いドレスの裾を翻し、酒場の戸を開けて外へ出て行ってしまった。クロヴィスはそれを無言で見送った後、ため息をついた。


「あなたの分の酒代も、私の支払いということですね」

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