第14話 猫の街
翌朝、メルが祖母のステイシーとヴェスターと共に、煉瓦造りのロワペール駅に到着すると、そこにはもうシャーロットも着いていた。この駅に来るのはアーサーを見送って以来だ。
猫の姿のヴェスターは汽車へ乗せられないので、ピクニック用のバスケットの中へ入ってもらい、三人分のプラケルセイユ行きの切符を駅内で購入する。
目的の汽車は、三番ホームから出発するとのことでそこへ向かうと、すでにプラケルセイユ行きの汽車はホームに入っていた。蒸気の力で動く黒く長い乗り物は、蒸気機関車とも呼ばれ、多くの乗客を乗せて長距離を早く移動することができる。これも、戦時中の科学技術の発展がもたらした恩恵であった。
三人は、車内の奥に席を取った。向かい合わせの座席で、汽車の進行方向へ向いた座席の窓側に、ヴェスターの入ったバスケットを抱えたメル、その隣にステイシー、向かいの窓際の席にシャーロットといった具合に座った。
しばらくすると、汽笛の音が鳴り響き、車体がゴトンと揺れ、車窓の景色がゆっくりと動き出した。じきに、車掌が切符を切りに回ってくる。ステイシーが三人分の切符を差し出して車掌に切ってもらっている間、ヴェスターは気配を悟られないように、バスケットの蓋を閉めて中で息をひそめる。車掌が通り過ぎると、いそいそと蓋から顔を出し、流れ出した景色を興味津々に眺め始めた。
王都ロワペール駅からウィリデ駅までは、片道約二時間半。出発時刻は朝の六時三十分なので、向こうに着く頃には九時になっている。到着まで、時間はたっぷりとあった。
メルたちは、ウィリデの街や魔力猫の里のことを、ステイシーに色々教えてもらった。元語り部という経歴のせいか、ステイシーの語り口調は淀みなく流れる川のようで、それでいて聞く者を飽きさせない。言葉選びや声の強弱のつけ方も俊逸で、一つの物語を聞いているような気にさせられる。話の途中、ステイシーはどうして自分が魔力猫の里の存在と場所を知っているのかも教えてくれた。
「あれは、私がまだ国内を回りながら語り部をやっていた時だった。その頃の私は駆け出しの語り部で、語りを人前で披露して良いというお許しを師匠からもらったばかりだった。許しが出たのは、まだ雪の溶け残った春の日でね。その日からそう経たないうちに、ウィリデに近いコルリスという街で、魔力猫の里がウィリデの近くにあるという話を人から聞いたんだ。興味を持った私は、すぐにウィリデへ向かい、そこで語り部の仕事をしながら、情報を集めて回った。……実を言うと、これも仕事のうちでね。語り部は物語を語る以外にも、まだ物語や歴史として成立していない、いわば原石のような話を集めるのも役目のうちなんだよ。だから私は、魔力猫たちからそんな風な物語の原石となるような不思議な話が聞けるかもしれないと思い、里探しに躍起になったのさ。そして、まあ長くなるから詳細は省くが、私はウィリデの街の郊外で、魔力猫たちを見つけた。その時に里の長との親交を深め、私は何年かおきに様子を見に里を訪れるようになった。最後に訪れたのは、もう二十年も前になる。こんなに長い間訪ずれていないのは初めてだね。まさか忘れられちゃいないとは思うが、長の方は、もう死んでしまっているかもしれないね。魔力猫は人間よりも寿命が長いが、最後に会った時、長ももう随分歳を重ねているように見えたから」
どこか寂しそうに言う祖母の姿を見て、メルは思わず口を挾んだ。
「けれど、魔力猫は九つの命を持つのでしょう。だから、もし死んでいたとしても、八度までは元の姿と記憶と魔力を引き継いだまま生まれてくるはず」
そこまで言ったところで、メルはかつて出会った魔力猫の言葉を思い出した。
『魔力の薄れた今日の魔力猫では、記憶までは受け継ぐことができないのです』
「そうだ。記憶、記憶が受け継がれない」
「よく知ってるね」
ステイシーは、穏やかな目を孫娘へ向ける。
「ここ百年の間に、前世の記憶を引き継ぐことなく生まれてくる魔力猫の数が、徐々に増えていっているようでね。長は確か、前会った時八度目の生だと言っていたが、果たして死んでいたとして、九度目まで記憶を受け継いでいるかどうか、微妙なところだ。だが、二十年前の時点でまだ歳若かった魔力猫は、私のことを覚えているはずだよ」
ステイシーの視線は、緑が多くなってきた外の景色へ吸い寄せられた。遠い過去を見つめるような視線だった。
その後、メルたちは残り時間をめいめいのやり方で過ごした。眠ったり、本を読んだり、車窓の景色を眺めたり。やがて、予定時刻の九時ぴったりにウィリデに到着した。下車客は割合多く、よそ行きの格好をした観光客らしき人々がわれ先に駅のホームへ降りてゆく。そのため、メルたちが下りるにはだいぶ待たなければならなかった。長いこと待ってようやく下りると、ウィリデ駅は王都のそれと比べると、随分こじんまりしていることがわかった。駅から出ると、その先には王都の縮小版のような街が現れる。しかし、王都と比べて幾分牧歌的な雰囲気で、立ち並ぶ古風で可愛らしい家々の隙間からは、王城や他の建物の代わりに緑の山を望むことができる。
「街から魔力猫の里までは歩いて行けるから、このままいくよ」
ステイシーはそう告げて、先頭に立って歩き出した。ヴェスターはバスケットから出てきてそのあとへ続く。さらにその後ろから、メルとシャーロットが続いた。
「うーん、あくまでヴェスターを匿ってもらえるように交渉しにいくのが目的だから、こんなこと思うの不謹慎なんでしょうけれど」
メルの隣で、シャーロットがうずうずしながら言った。彼女の目は、ヴェスターのように好奇心で輝いて、ウィリデの町並みをキョロキョロ眺めまわしている。
「やっぱり、ちょっと観光して帰りたいわよねえ」
そう言うシャーロットの手の中に、薄くて小ぶりの本のようなものが握られていることに気がついたメルは、「それ、手に持ってるものは何なの?」と尋ねた。シャーロットは「ああこれはね」と、表紙を見せてくる。
「ウィリデの観光案内が載ったパンフレットよ。ウィリデ駅の中に、ご自由にどうぞって書かれて平積みになってたからもらってきたの」
いつの間に、と半ば呆れながらも、メルも興味はあった。何せ王都から滅多に出ることがないのだ。他の街の特色は気になる。歩きながら、シャーロットはパンフレットを開く。いつの間にかシャーロットの肩にヴェスターも乗っていて、「どれどれ」と興味深そうにパンフレットを覗き込んでいる。パンフレットの一ページ目には、目立つ字でこう書かれていた。
猫の街へようこそ!!
ウィリデには、古くから魔力猫の里があるという言い伝えが残っています。街を見渡してみると、あちこちに猫が!もしかしたら、彼らは魔力猫かもしれません。可愛らしい街並みの中、魔力猫たちの息遣いに耳をすませながら、ウィリデを散策してみませんか?
「猫の街ですって!私知ってるわ」
興奮してシャーロットが声をあげた。
「私が学校に通ってた時、一時期女の子たちの間で話題になってたのよ。猫とたくさん触れ合える猫の街があるって。ウィリデだったんだわ」
メルはパンフレットから顔を上げて、そういえば観光客向けの店が多いことに気がついた。まだ始業したばかりらしい店先に並ぶのは、猫の雑貨用品が圧倒的に多い。その前で、一緒に汽車を下りた人々が楽しそうに品を取っている。今はまだ人通りはまばらだが、昼に近づくにつれきっとすぐに賑わってくるのだろう。
それから、不意にメルが路地裏へ目を向けると、のんきにあくびをしているトラ模様の猫と目があった。そのいかにも賢そうな目を見て、メルはまさかと息を飲む。
「あれは多分普通の猫だね」
いつの間にかステイシーが、メルと一緒にトラ猫を眺めていた。二人が眺めている間に、トラ猫はこちらにお尻を向けて路地の奥へ引っ込んでしまう。
「ウィリデは、魔力猫の里の伝説をうまく観光に利用してるのさ。おかげで今では、猫好きの聖地になってる」
「でも、みんな本当にあることは知らないのよね?」
シャーロットが声をぐっとひそめて聞くと、ステイシーは「ああ」と頷いた。
「みんな、伝説だと思ってるだけだよ」
「そんな場所に、今から行けるのね」
シャーロットは秘密基地で遊ぶ子供のようにくすくす笑う。
「なんだか素敵、誰も知らない秘密の場所なのね」
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