第15話 魔力猫の里
ステイシーの案内で、一行は街を横切る川にかかったアーチ状の橋を渡り、観光客相手への顔ではない、その土地の住民の生活を思わせる通りに入った。さらにその通りも抜けると、だんだん家の密集度が減ってきて、やがて果樹園に差し掛かった。この土地の名産らしい橙色の果実が、垣根に囲われた木々の枝に鈴なりになっている。その果樹園を抜けて、小川にかかった板張りの小さな橋を渡ると、森へ続く小道が現れた。明らかに人の手が入っているその小道は、森の中まで続いている。ステイシーは道から逸れることなくそのまま森へ入った。この森の中に魔力猫の里があるらしいのだが、森そのものはごく普通で、魔法などの不思議な気配は微塵もない。それどころか、小道がそのまま観光客向けの遊歩道のようになっていて、秘密めいた雰囲気は皆無だった。
それでもメルは、どこかに猫の姿がないかと、頭上を覆う木々の枝や青い花を咲かすレウムベルの咲く茂みを忙しなく目で追う。シャーロットもメルと似たようなものだ。ヴェスターは、時折立ち止まっては王都では堪能できない植物や土の香りをクンクンと嗅いでいる。
メルは、前を歩く祖母のステイシーが、先ほどから木の幹に時々触れていることに気がついた。幹に触れる間隔は一定ではなく、連続して触ったり、少し間を空けて触ったり、そうかと思えば全く触れずにずんずん歩いて行く時もある。ヴェスターもそのことに気づいたのだろう。ステイシーの許へパッと走り寄り、とうとう不可解な行動について尋ねた。
「魔力猫たちの爪痕のついた幹に触っているのさ。それが里への道筋となる」
ステイシーはそう言うと、たった今触れたばかりの木の根元を指差した。メル、シャーロット、ヴェスターは、目を皿にしてみてみたが、そのようなものは何も見えなかった。目を白黒させる一同を見て、ステイシーは肩をすくめて笑う。
「まあ、魔力猫の加護があるから、私には見えやすくなっているというだけさ。私が特別眼力に優れているわけではないよ。とにかくみんなは、私から目を離したり離れすぎたりしないようにね。一緒に辿り着けなくなるから」
魔力猫の加護。そのようなものを祖母は持っていたのかと、メルは驚かされた。祖母については未だに知らないことや驚かされることがよくあるが、魔力猫の里を知っていることといい、その長と知り合いらしいことといい、今回ばかりは本当に驚かされる。
それからも、印のついた木を見分けるのは当然ステイシーに任せて、一行は彼女から離れないよう注意しながらどんどん進んでいった。しかし、いつまでたっても遊歩道から逸れることはない。ステイシーは相変わらず、遊歩道から出ずに触れることのできる範囲内の木から、印のついた木を見つけては触れている。一体どれほど歩くのかとメルたちがうんざりし始めた頃。不意にステイシーは立ち止まって、こちらを振り返った。
「着いたよ」
その言葉に、メルたちは弾かれるようにして足を動かし、たちまちステイシーの隣に並んだ。
その先に、遊歩道は続いていなかった。木々が開けた場所にレウムベルの青い花が乱れ咲いている。根を張ったそれらの花が遊歩道を覆い隠したのかとも思ったが、メルが後ろを見て確認すると、見飽きた遊歩道の伸びる森の景色すら消え、前方の景色と同様、青い花の咲く自然のままの森の姿があった。そしてもう一度前を向くと、いつの間にか白と黒のまだら模様の毛皮を着た猫が、お行儀よく前足を揃えて座っていた。その猫以外に、他に猫の姿は見えなかった。
「ようこそいらっしゃいました。語り部ステイシー・アボット様」
目の前の猫が急に成人男性の声で口をきき、シャーロットがメルの隣で小さく妙な声をあげた。おそらく、失礼にならないよう、必死で悲鳴をあげるのを押し殺した結果出た声なのだろう。
「マチアス。出迎えありがとう。よく私だとわかったね。けれど、私はもう語り部ではないよ」
ステイシーは穏やかな微笑みをマチアスという名の白黒猫へ向ける。それから、彼にメルたちを紹介した。
「この子は私の孫娘のメル。彼女はメルの友人のシャーロット・クラプトン、そして、この猫は、本当は猫ではないんだけれどね、エルヴェスタム・デ・エスタンテだ」
ステイシーの最後の言葉に、マチアスは驚いた顔をしてヴェスターの顔を見つめた。ヴェスターはマチアスの反応にきょとんとしながら、「愛称はヴェスターだよ。本名じゃ長いからそう呼んで」と付け加える。
マチアスはしばらく驚いた顔のまま固まっていたが、すぐに自分の失礼を詫び、その理由を付け加える。
「すみません。まさかその名を耳にするとは思いもしていなくて」
「僕を知ってるの」
その問いに、マチアスは「ええ!」と興奮した様子でまくし立てた。
「かの偉大な魔法使いシーグリッド・エルヴェスタムが作り出した、異次元の大図書館。それを知らぬ魔力猫などおりませんとも!それに、この里は彼女の使い魔をしていた魔力猫の故郷でもありますからね、知っていて当然です。それにしても、素晴らしい奇跡ですね。あなたは、大図書館を形成している魔力そのものとお見受けします。魔法が自我を持つなど、ええ、本当に、すごい奇跡だ」
「マチアス。喋りすぎよ」
不意に、鈴が転がるような綺麗な声が聞こえ、マチアスの背後の茂みから、真っ白な雌の猫が現れた。
「クラリス!!」
マチアスは恥ずかしそうに口を閉じた。それから慌ててメルたちへ「彼女はクラリス。この森の樹木医です」と紹介する。魔力猫にも医者が、それも木を診る医者がいるのだと、メルは目の前の綺麗な白猫をまじまじと見てしまった。
「どうも、あなたがステイシー?」
白猫はメルたちへは目もくれずに、マチアスの隣に並んでステイシーを見上げた。
「おや、クラリス。久しぶりだね。けれどお前は……」
クラリスはそっと目を伏せた。
「ええ、私、死んだの。今は三回目。容姿や名前、魔力は引き継いでいるけれど、記憶は引き継いでないわ。……ステイシーは前の私を知っているのね」
クラリスは顔を上げると寂しそうな顔から一転、微笑んだ。
「じゃあ私たちは友達よ。またよろしくね。ステイシー」
「ええ、よろしく、クラリス」
クラリスはステイシーの靴に頬ずりしてから、「ここで立ち話もなんだし、里の方まで案内するわ。ついてきて」と尾を優雅に立て、さらに森の奥へ進んでいったので、メルたちは後へ続いた。
レウムベルの花畑を抜け、木漏れ日の注ぐ魔力猫たちの通り道を進んでいくと、開けた場所に出た。そこに出ると、ようやく「里」らしい景色が見えてきた。メルから向かって右側。年老いて枯れた倒木の上でじゃれあう子猫達、その木のうろの中でうつらうつらしている猫。左側には猫じゃらしが群生しており、若い猫達がじゃれたり日向ぼっこをしたりして楽しんでいる。ずっと奥の方にも木の生えていない空間が広がっているようで、里は思った以上に広そうだった。
クラリスとマチアスが連れてきた珍しい人間の客に、魔力猫たちは興味深そうにこちらを見つめてきた。ステイシーを知っているからか、仲間の連れてきた人間は危険ではないとわかってるからなのか、彼らの目に警戒の色は見えない。
「まあ、なんて可愛らしいの。もふもふしたいわ」
魔力猫たちの注目を浴びながら。シャーロットがご機嫌顔で言うと、マチアスが「やめたほうがいいですよ」と少し困った様子で笑った。
「我々は、あなた方がよく知る「猫」たちのように人間と触れ合うわけではありません。人間に接するように、きちんと礼節をもった態度で接しないと失礼になってしまいます。いきなり触るのはもってのほか、ですね」
「あ、そうよね……。ごめんなさい!」
素直にシャーロットが謝ると、マチアスは「いえいえ、わかってくだされば良いのです」と微笑んだ。それからステイシーへ声をかける。
「ステイシー様。いつものように、長の元へ案内すればよろしいので?」
「ああ。そうしておくれ。ただ、今回はただ里の様子を見に来たのではなくてね」
ステイシーはヴェスターをちらりと見やる。
「あることを頼みに来たんだ」
ステイシーにつられて、マチアスの目がヴェスターに向けられる。
「あること?それは一体!?ヴェスター殿に何かーー」
そんなマチアスの背中をクラリスが前足で小突いた。
「ほら、また色々しゃべりすぎてる。さあ、では長の元までご案内しますよ」
高らかに宣言すると、クラリスは再び尾をピンと立てて歩き出した。
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