第16話 オレリア

 メルたちがクラリスに案内されたのは、開けた場所に一本だけ立つ、オークの巨木だった。巨木の根元には、数匹の魔力猫に囲まれた長毛種の猫がいた。灰色で、狼によく似た毛柄をした、やけに威厳のある魔力猫だ。その魔力猫は、金の眼でこちらを見つめてくる。


「長よ。客人を連れてまいりました。ステイシー・アボット様とそのお仲間です。今回は、何かご依頼があってこちらに来られたそうです」


 クラリスが上申すると、長と呼ばれた長毛種の魔力猫は丸い瞳でステイシーを見上げた。ステイシーは一歩前へ進み出て、彼女と同じ目線になるよう膝まづく。


「オレリア、長らく会いに行けなかったこと、お許しください」


「良いのだよ、ステイシー」


 長毛種の魔力猫ーーオレリアは口を開いた。それから、周囲を囲う魔力猫たちに何やら合図を出すと、魔力猫達はさっと身を引いてどこかへ去ってしまった。マチアスとクラリスもだ。どうやら、人払い、ならぬ猫払いをしたらしい。


 メルは、里の長らしき魔力猫に何か挨拶をするべきか迷ったが、当のオレリアがメル達に口を出させずに話を続けたので、黙ってことの運びを見守ることにした。


「風の便りで君はもう語り部を引退したと聞いた。ここへ来る機会が減ってしまうのも無理もない。ああ、そうだ。見ての通り、今の私は若々しいだろう。十年前に死んで、とうとう九度目の生だ」


 オレリアは目を細める。


「幸運なことに記憶を失いはしなかった。ほとんどの魔力猫が記憶を引き継がぬことの多い今日において、私は幸運だよ。再び君に会うことができた」


 ステイシーの顔が安堵したように緩んだ。オレリアが記憶を引き継いでいることが嬉しかったのだろう。それから、オレリアの金の眼はメルの方へ向けられた。


「ところで、そこの少女は君の若い頃によく似ているな。君の娘にもどこか似ている」


 君の娘という言葉に、メルは反応した。ということはつまり、メルの母親もここへ連れてこられたことがあるのだろうか。おぼろげな母の記憶を手繰り寄せるメルの隣で、ステイシーが答える。


「ええ、そうでしょう。この子は私の大切な孫娘。シェリーとメレディスの娘です」


「あのシェリーの」


 オレリアは意外そうな顔をして、少し笑った。


「あのおてんば娘の子にしては、ずいぶん大人しそうだ。ステイシーとシェリーの血を引く娘よ。君の名はなんという?」


「私は、メルです。メル・アボット」


 答えると、オレリアはさっきからそわそわしているシャーロットとヴェスターにも話しかけた。


「そこの、金の巻き毛の少女よ。君は何者だね」


「あ、あの、シャーロット・クラプトンと申しますわ。メルとは友達で、あ、あと職場も同じ。メルのおばあちゃ……ステイシーさんにもよくしてもらっています」


 緊張しているのか、固い口調でなんとか言い切ったシャーロットは、しゃべり終えると頬を紅潮させた。ヴェスターはオレリアに聞かれる前に答えかけたが、言い切る前にオレリアに先手を打たれた。


「君、君の魔力は大変懐かしい。いや、君が大変懐かしいというべきか」


「え、えっと僕は」


 オレリアは、自分と同じ猫の姿をしたヴェスターの元へ歩み寄ると、クンクンと匂いを嗅いだ。


「陽だまりのような暖かな魔力。間違いない。シーグリッドの大図書館の魔力だ」


「そう、そうだよ」


 ヴェスターが嬉しそう言った。


「僕の名前はエルヴェスタム・デ・エスタンテ。愛称はヴェスター。図書迷宮の魔力そのものさ。さっきマチアスって魔力猫に、奇跡だって言われた」


 無邪気に喋るヴェスターに、オレリアは「そりゃそうだだろう」と言って座り直し、狐のようなふさふさの尾を体に巻きつけた。


「シーグリッドが編み上げた最大の魔法。その魔法が意思を持ち、こうして外を出歩き喋っているとは。シーグリッドがこれを知れば驚いて腰を抜かすだろう」


「シーグリッドに会ったことある?」


「ああ、あるとも。それどころか、彼女の使い魔をしていた魔力猫は私の先輩だ。そして、君にも会ったことがある。正確に言うと、君に行ったことがある、かな。本当に、素晴らしい図書館だったよ」


 朗らかに喋るオレリアの表情は、楽しそうで、でもどこか寂しそうだ。懐かしく楽しい記憶と、図書迷宮がたどった運命を思い返しているのだろうか。


「ところでステイシーよ。何か、依頼したいことがあってここに来たらしいな。それはひょっとすると、ヴェスターに関わる事か」


 ヴェスターとの会話を打ち切り、オレリアが尋ねる。ステイシーは頷いた。


「ええ、その通りです。無理を承知で頼みたいことがあるのです」


「単刀直入に言いたまえ。君の頼みだ。できうる限りのことはしよう」


 ステイシーは、一拍間を置いて、さらりと言った。


「邪悪な魔女から身を隠すため、ヴェスターをここに匿ってもらいたい」


「魔女……」


 それほど驚いた素振りは見せずに、オレリアは真顔で呟いた。ステイシーはオレリアの反応を観察しながら話を続ける。


「コルキアと名乗る魔女が、知識を手に入れようと彼を狙っているのです。もう既に一度、メルが一緒の時に襲われました」


「その魔女は、黒い衣装を着て、巨大な鎌を持っているか」


 オレリアの質問に、ステイシーはメルへ目配せした。メルは「はい」と頷く。オレリアは「そうか」と言って、目を閉じた。広大な記憶の海に沈みながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「……コルキア。何回目の生の時だったか、噂で聞いたことがあるよ。あれは、異国から来た魔女だ。このリヴレで生まれた魔女ではない。……あの魔女は」


 オレリアは、おもむろに目を開けた。なんでも見透かすような金の眼が、瞼が上がるとともに現れ、一同を鏡のようにその眼に映す。


「——呪われている」



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