第17話 灰色の魔力猫
「の、呪い……」
シャーロットが怯えた声をあげた。メルの服の裾をぎゅっと握って離してくれない。
「なんの呪いですか」
メルは、病的なまでに白い肌のコルキアを思い返しながら尋ねた。しかしオレリアは「残念ながら、ただ呪われているということしか知らんよ」と、首を横に振った。
「だが、あれは私が最も嫌悪する者の類だ。魔法を私欲のために求め、外道に落ち、それを恥とも思わぬ人間。コルキアはまさにそれだ。その者の手に、シーグリッドの生んだ奇跡を渡すわけにはいかない」
「では」
「ああ、ステイシー。君の頼みを引き受けよう。ほとぼりが冷めるまで、ヴェスターはこちらで匿わせていただく」
オレリアが承諾してくれたことに、一同はホッと胸をなでおろした。中でも、一番安心したのはメルだったかもしれない。ヴェスターとしばらく離れ離れになってしまうのは寂しいが、彼を安全な場所に預けることができるのだ。ここは、方法を知らぬ限り辿り着けず、方法を知っていたとしても魔力猫の加護がなければ里へ入ることすら許されぬ、魔力猫たちの暮らす安全な里。きっと、コルキアは見つけることができないはずだ。そのまま諦めて、祖国に帰ってもらえたら一番いい。
しかし、ヴェスターはまだ不安そうな顔をしていた。オレリアは目ざとくそれに気づいた。
「奇跡の君よ。如何した」
ヴェスターは顔を上げ、悄然とした口調で答えた。
「この森が、魔力猫たちの魔力で守られた安全な場所だということはわかるよ。けれど、物事に「絶対」はないんだ。絶対にコルキアがここを見つけない保証も、絶対に入ってこれない保証もない。別に、ここが安全だって信用していないわけじゃない。ただ、最悪の事態を想像したら……」
ヴェスターは口を引き結び、また開いた。
「僕が一番嫌なのは、万が一コルキアがこの里にやってきた時、魔力猫たちを巻き込んでしまうことなんだよ。メルたちを巻き込むのが一番嫌だけれど、もっと言うと、誰も巻き込みたくないんだ」
オレリアは、じっとヴェスターの言葉に耳を傾けていたが、不意に「我々とこの場所を信じてもらえないだろうか」と、優しい声音で問いかけた。
ヴェスターは困惑したように耳を後ろに倒した。
「そういう問題じゃないんだ。メルたちを巻き込みたくない一心で来たけれど、結局、今度は君たちに迷惑をかけてしまう。それが嫌なんだ」
「迷惑か」
オレリアは金の眼を細めた。
「別に迷惑とは思わないし、そもそも、君の考える最悪の事態も、被る可能性のある損害もすべて受け入れた上で、私は君をかくまうことを決定した。それに」
オレリアはフサフサの尾を振った。それが合図だったのだろう。どこかへ行ってしまった、供回の魔力猫たちが戻ってきた。数が増えているようにも見えたので、新たに加わったものもいるようだ。
「危険を承知で受け入れたのは備えがあるからだ。万が一侵入されたとしてもここには優秀な戦士がいる。どれも、幾度もの生を渡り歩き、魔力の研鑽に努めてきた者ばかりだ。もちろん私もだ。いいかね、ヴェスター。八度生まれ変わった九度目の魔力猫は、人間など及びもしないような魔法を扱えるのだよ。八度目や七度目も、九度目には劣るが、それでも頼もしいものだよ。だから、最悪の事態を想定して必要以上に怯えたり、迷惑をかけると悩む必要などない」
オレリアは、ヴェスターへ歩み寄って、彼の顔を至近距離で覗き込んだ。ヴェスターは気圧されたように身を引こうとしたが、結局はオレリアの目を見返すことしかできない。オレリアは、女王のような威厳ある声で言った。
「ヴェスター、君は、自分がどういう存在なのかを認識すべきだ」
「存在……?」
「君は今、悪い魔女に狙われている。魔女の手に落ちれば、君はどうなる?君の持つ叡智が悪用されることはまず間違いないだろう。しかもただの叡智ではない。この世から消えたと思われているような、何千、何万もの魔導書や学術書に記された叡智だ。当然その中には、禁忌とされるものもある。そのような叡智が悪人に渡れば、ただ事では済まない。最悪死人も出る。そしてそうなることを望んでいないのは、君だけではないのだ。さっきも言ったろう。コルキアのような者に、シーグリッドが生み出した奇跡、すなわち君を、渡すわけにはいかないと。……君はもし、大切な大切な宝物が悪人に狙われているとしたら、どうするかね」
唐突な問いかけに、ヴェスターは「それは、もちろん。絶対渡したくないから、何が何でも守るよ」と答えた。オレリアは満足したように頷く。
「我々にとって、君はその宝なのだ。守られるべき存在なのだ。守る者の被る迷惑など考えなくとも良い。だから君は、そろそろ守られるという覚悟を決めたまえ」
オレリアは、やっとヴェスターから離れた。気圧されてカチコチに固まっていたヴェスターは、今まで一切息をしていなかったように、周囲の空気を吸い込む。
「ステイシー」
オレリアは、もうヴェスターの方を向いてはいなかった。
「それから、メル、シャーロット。安心してヴェスターをここに置いていってくれて構わない。我らが責任を持って面倒を見る」
戦士と呼ばれた魔力猫たちが、オレリアに率いられる軍団のように、彼女の後方で前足を揃え、メルたちを整然と仰ぎ見る。メルはその魔力猫の中に、見覚えのある顔を一つ見出した。猫の顔の区別がはっきりつくわけではないのだが、灰色の美しい毛並みをしたその魔力猫のみが、懐かしい知人のような気がしたのだ。そして、たった今出会ったオレリア、マチアス、クラリスを除いて、魔力猫の知人はメルにとってひとりしかいない。
「あなた」
メルたちを見送る雰囲気ではあったが、空気など読んでいられなかった。メルは、呆然と一歩踏み出した。オレリアは、「どうした?」と首をかしげるが止めはしない。メルはしゃがみ込んで、魔力猫の目線と同じくらいになった。そして、灰色の魔力猫へ向かってもう一度呼びかけた。懐かしい名を口にして。
「あなた、アーデスなの……?」
メルに話しかけられた魔力猫は、驚いた顔をした。
「あなたは、私のことを知っているのですか」
目の前の彼が間違いなく、あのアーデスであることがわかると、メルは思わずまくし立てていた。こんなこと普段のメルならまずやらないのだが、思わぬ再会に興奮してしまったのだ。
「ええ、知ってる。王立図書館で会ったわ。あなたは亡くなったご主人の日記帳を探しに王立図書館に来ていて、司書の私にそれがあるかどうか尋ねたのよ。ご主人の名前はエイベル・ドラモンド。あなたは、彼と会えた。魔法で……」
そこまで言ってから、合点のいかない様子のアーデスの表情を見て、言葉を途切らせた。最近の魔力猫は、記憶を引き継がないことが多いという残酷な運命をまた突きつけられる。
表情を曇らせ、図書館の受付をやっている時の仏頂面に戻ってしまったメルへ、アーデスは訊いた。前のアーデスと全く同じ、言葉遣いと声音で。
「あなたは、前の私を知っているのですか」
メルは「ええ」とか細い声で答えた。
「知ってる。知ってるわ」
「あなたのお名前は」
「メル。王立図書館で司書をやっている、メル・アボットよ」
アーデスは、メルの言葉に微笑んだ。
「アボット様。またお会いできて大変光栄です。よろしければ、また私と
友になっていただけませんか。そして願わくば、前の私と会った時のお話を、お聞かせ願えませんか」
メルは、「ええ」とまた頷いた。いつの間にか、仏頂面は消えて、幾分柔らかな表情になっていた。
「もちろんよ」
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