第18話 加護と信頼
ヴェスターを預けたらすぐに帰る予定だったのだが、それからは予定を変更して、一行はしばらく魔力猫の里で滞在することにした。明日、メルたちは仕事があるので、王都行きの汽車の最終時刻には間に合う時間帯までには戻らねばならない。それでも、まだ正午に差し掛かった時刻であるため、余裕はまだまだあった。
メルは、アーデスと一緒に丸太の上へ座って語らいだ。もう一年ほど前のことになるだろうか。あの日、図書館を訪ねてきたアーデスとの出会いや、アーデスの主人であった魔法使いエイベル・ドラモンドの事、そして、彼が日記帳に仕掛けた魔法のことを、一つ一つ丁寧に聞かせていく。アーデスは、消えてしまった自身の記憶を今の自分に刻み込むように、真剣な眼差しでそれを聞いてくれた。その話が終わると、今度はメル自身の話が聞きたいと言ったので、メルは自分の暮らしのことや、アーサーやヴェスターと出会ったことも話した。そして、今度はアーデスが自分のことを話した。つい一年前に生まれたから、見た目はまだ一歳の若い猫であること、七度目の生となった記念に、オレリア直属の戦士に迎え入れられたことを話してくれる。
そんな二人を遠目で眺めながら、シャーロットはマチアスのふわふわのお腹や頭を撫でさせてもらっていた。もちろん、きちんとした礼節を持ってお願いし、本人から快い許可を得た上である。
「メルったら、魔力猫と会ったことがあるなんて一度も言ってくれなかったわ」
ほんのちょっぴり悲しさをにじませながら、シャーロットは言った。シャーロットの膝の上で完全に甘えまくっているマチアスは、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、「メル様は秘密主義なのですねえ」とぼやく。
「秘密主義というか、メルはあまりお喋りが得意じゃないから、自分のこともあんまり言わないだけよ」
「その割にアーデス様とよくしゃべってますが」
「私にだってあんなにしゃべってくれないのに」
シャーロットは泣きそうな顔をした。それから我に帰り、昨日自分が酒に酔って泣きまくっていた記憶を思い出す。
「私、ひょっとしてまだ酔ってるのかしらっ」
「酔ってる?あ、マタタビ酒でも飲みます?」
「結構よ」
つっけんどんに言い放ったシャーロットは、今度はオレリアと色々喋っているステイシーの方を見やる。そう言えばヴェスターはどこだろうと思ったら、ステイシーのすぐそばでクラリスと一緒にいた。黒猫と白猫が一緒に並んでいるだけで、妙に神秘的な絵面だ。
「シャーロット様、お手が止まっておりますよ」
自分の腹の上で停止したシャーロットの手を、残念そうに見ながらマチアスが文句を言った。シャーロットは、また手を動かしてマチアスのお腹や顎の下を撫でてやる。いや、本来はマチアスに撫でさせてもらっているというべきか。
「シャーロット様は猫を撫でるのがお上手です」
「おばあちゃんの家の猫をよく撫でさせてもらってたからかしら」
「きっとそれですよ」
シャーロットはクスリと笑う。
「あら?さっき、『我々は、あなた方がよく知る「猫」たちのように人間と触れ合うわけではありません』とかなんとか言ってなかったかしら。おばあちゃんの家の猫は普通の猫よ」
マチアスは喉をゴロゴロするのを止めてちょっと黙ると、またすぐにゴロゴロを再開した。
「あれは、いきなり腹や頭を撫でくり回されるのは、我々魔力猫は好まないという話ですよ」
「普通の猫もいきなり知らない人に触られるのは嫌だと思うけれど」
「度合いが違います」
マチアスは腹を見せるのをやめ、今度は丸まって背中を向けた。
「シャーロット様、次は背中撫でてもいいですよ」
「マチアスさんは会ってすぐの私を信用しすぎだわ。こんなにたくさん撫でさせてくれるの、猫でも滅多にないわね」
シャーロットは呆れながらマチアスの背中を撫でさせてもらった。
*
「では、私たちはそろそろ帰りますね」
胸元から懐中時計を取り出して時間を確認しながら、ステイシーが言った。その横にメルとシャーロットが並び、オレリアとアーデス、マチアスとクラリスがそれに向かい合う。もちろん、魔力猫たちに溶け込むようにして、ヴェスターの姿もある。皆見送りに出てくれたのだ。
「ヴェスター。いい子にしてるのよ。人の食べ物勝手に横取りしちゃダメよ」
シャーロットに言われたヴェスターは、驚愕に目を見開く。
「僕そんなことしないよ!!」
シャーロットまで「嘘おっしゃいな」と驚いた。
「ヘインズさんが職場のみんなに買ってきてくれた、私のケーキを横取りしたことあったでしょう」
「でもシャーロット、あの時、ケーキを食べたいのは山々だけど太っちゃうとか言ってたじゃないか。だからいらないと思って」
「あんなの言葉のあやよ。本気で食べる気がないわけじゃなかったのよ」
口論に発展しそうな勢いのシャーロットとヴェスターを、オレリアとステイシーが微笑ましそうに観察している。その様子がそっくりで、メルは二重の意味でおかしくなってきた。このままでは吹き出してしまう。そこでメルは、シャーロットとヴェスターの間に割って入った。
「二人ともそこまで。こんなところで今それを言ったって、なんにもならないでしょう。それに、みんなに迷惑だわ」
微笑ましそうに見守るオレリアとステイシーを見る限り一概にそうとは言い切れないが、「迷惑」と釘を刺しておく。
やっと二人が黙ったので、今度はオレリアが口を開いた。
「帰り道は、ステイシーがいるから大丈夫だろう。それから、メル、シャーロット、君たちにも、もう魔力猫の加護は宿っている。これからは我々の爪痕をたどって、一人でもここへ来られるはずだよ」
オレリアのその言葉に二人は思わず互いに目を見合わせた。加護を授かった記憶はないのだが、そんないつの間にか宿るものなのだろうか。その魔力猫の加護というのは。二人の考えがわかっているのか、オレリアは先んじて答えてくれた。
「加護は、この里に住む魔力猫の深い信頼を得ることによって備わる。すべての魔力猫である必要はない。一匹の魔力猫から信頼されれば、それで自然と加護は宿るのだよ」
「オレリアさんが信頼してくださったんですか?」
シャーロットが尋ねると、オレリアは「もちろん」と頷いたが、「だが」と続けた。
「私よりも信頼している者がいるようだ。メルとシャーロットは、各々彼らから加護を授かったのだろう」
オレリアの目配せの先には、アーデスとマチアスの姿がある。二匹は遠慮がちに会釈した。シャーロットは「まあ、ありがとう」と嬉しそうだ。
「我々はいついかなる時でも君たちを歓迎する。今はしばし別れるが、次会う時を心待ちにしていよう」
最後にオレリアは、親しみを込めた声でそう言ってくれた。メルたちは魔力猫たちとヴェスターに手を振り、魔力猫の里を後にする。レウムベルの花園を抜け、遊歩道に戻って森を抜けると、そこはもう人間の住処。自分たちが出てきた森は、なんの変哲もない小さな森。長い間、魔法でにもかかっていたような気分だった。
ウィリデの街に戻ると、街の大通りは朝とは比べものにならないほど観光客で賑わっていた。軒を連ねる店先では、食べ歩きに適したサンドウィッチや揚げパンなどの美味しい食べ物や、猫の頭の形をしたカラフルな風船、猫型のビスケット、猫の絵が入ったポーチやエプロンまで売られている。道端では街に住む猫と触れ合っている人々を、大仰な撮影機を構えた男が撮影をしている。しばらくすると、写真を撮ってもらっていた人々が退いて、今度は別の団体が来て、男に金を払い猫と一緒に撮影を始める。少し離れた場所では、別の男から現像した写真をもらっているようだ。
メルたちは、五時半発の王都行きの汽車に乗り遅れないよう注意しながら、店先に並んでいる猫の雑貨を幾つか買った。シャーロットは「ねえねえ、これマチアスに似てると思わない?」と言いながら、白と黒のまだら模様の猫の置物を買い、メルはいろんな種類の猫たちが行進している絵の入ったハンカチを買った。ステイシーは何も買わなかったが、代わりに足元へ人懐っこくすり寄ってきた猫の顎を撫でてやる。
買い物袋を手に持ち、定刻通り駅のホームへ入ってきた汽車へ、帰ってゆく観光客たちと共に乗り込んたメルたちはウィリデを後にした。王都が終点なので、何も気にせず、メルとシャーロットは眠りこけた。色々と驚くことの連続から解放されたのと、ヴェスターを信頼できる安全な場所へ預けることができたことへの安堵から、すっかり気が抜けてしまっていたのだ。ただステイシーだけは起きていて、向かいの席で仲良く互いにもたれ合いながら眠っているメルとシャーロットを、優しい眼差しで見守っていた。
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