第25話 鮮血の薔薇

 絶望的な目でコルキアと自分を見あげたシャーロットの姿が、突然消えた。それとほぼ時を同じくして、ガタンと鳥籠が大きく揺れる。予期せぬ振動にメルはよろめき、冷たい鉄の床に倒れこむ。両腕を支えにして体を起こし、顔を上げて鉄格子の隙間から外を見ると、そこは図書館に隣接された庭園ではなかった。代わりに見えるのは、埃をかぶり、ひしゃげた家具が捨て置かれた殺風景な部屋。はめ込まれた硝子窓は一部が割れ、修復される気配もなくそのまま放置されている。その窓からは真昼間の明るい陽光が部屋の中に入ってきているが、埃をかぶった殺風景な部屋の陰気さは全くその影響を受けていない。


「どこ、ここ……」


 怯えた声を上げると、意外にも部屋の中から返答があった。


「王都の裏通りにある空き家」


 ぎょっとして声のした方を向くと、部屋の入り口近くにコルキアがいた。全く気配を感じなかったので、ずっとそこにいたのか、外れた扉の向こうからたった今入ってきたところなのかはわからない。


 コルキアの手に握られた鎌を見て、メルは狭い鉄格子の中で後ずさった。だがすぐに背中に冷たいものが当たり、逃げ場所などどこにもないことをメルに教えてくれる。足は震え、転んで上半身だけ起こした態勢のまま、起き上がることもできない。


「私に、何をするつもり」


 懸命に投げかけた問いは無視され、コルキアは無言のまま鳥籠へ近づいてきた。黒いブーツが床を踏むたび耳障りな音を立て床が軋み、舞い上がった埃が陽光に照らされてきらめく。


 メルを囲う鳥籠の前に立つと、コルキアは鎌を持っていない方の手を前にかざした。すると、鳥籠が音もなくフッと消えた。それにメルが驚いていると、コルキアは更に近づいてきた。そして立ち止まると、無造作に鎌の切っ先をメルの真横に振り下ろして床に突き立てた。一瞬殺されるかと思ったメルは、恐怖と安堵で声も出ない。


「動かないで」


 足元でうずくまるメルへ冷ややかに告げると、コルキアは髪に挿してあったあの白薔薇を抜き取った。それに向かって何かをささやいてから、薔薇をメルの膝の上に放り投げる。膝に落ちた白薔薇を、メルはびくりと体を震わせてから見下ろした。すると、薔薇は何か魔力でも帯びせられたのか、見る間に手折られた茎から新しい茎がぐんぐん伸びていき枝分かれしたかと思うと、突如大量の荊を生み出した。植物の成長を早回ししたような動きで荊は伸びていき、それは全てメルの身体へ向かってくる。通常のそれよりも、さらに鋭利で長い、棘の付いた無骨な荊が。


「お願い、やめてコルキア!」


 たまらず悲鳴をあげたメルを、コルキアはただ冷ややかに見下ろす。だが、伸びた荊は、縄で縛るようにメルの胴体と腕を締め付ける寸前で止まった。


「では教えろ。メル・アボット」


 フルネームで呼ばれ、メルはコルキアの顔を怯えの混じった目で見上げた。


図書迷宮ビブリオラビリンスはどこだ」


 せり上がってくる唾を飲み込み、メルはキュッと口を結んでから、シラを切ることに決めた。


「……さあ、知らないわ」


 反抗的な口調で答えた途端、腕に刺されたような痛みが無数に走った。荊が成長を再開したのだ。成長した荊は、身動きが取れないようにメルの二の腕の位置に巻きつきしめあげる。小さなトゲが服を突き破り皮膚に食い込む痛みに、メルは顔をしかめた。


「強情な娘」


 歯をくいしばるメルと目を合わせようと、コルキアはしゃがみ、メルの真横に突き刺した鎌から手を離した。


「早く言え。そうしたら痛みから解放してやる」


「知らない……。知らないから答えられない。……ヴェスターは、一人でどこかへ行ってしまった。だから知らない」


「嘘を言うな」


「あっ!?」


 ますます荊の締め付けがきつくなり、メルは短く悲鳴をあげた。トゲで傷ついたメルの皮膚からは血が滲み出て、とうとう白いブラウスを染め始める。


 だがメルは、これ以上悲鳴をあげたり泣いたりしないように必死に努めた。これくらいなんてことないと必死で自分に言い聞かせる。昔小指に刺さった棘を、祖母に針でほじくり出してもらったことがあった。あの時は痛くて泣き喚いたが、あれよりマシだ。いや、やっぱりあれより痛いかもしれないが、ヴェスターの居場所を言うわけにはいかない。いくら守られた場所にいるとはいえ、一瞬でこんな場所に移動できるコルキアだ。魔力猫の加護なくとも、里に入ってしまうかもしれない。


「知らない、知らないったら知らない!!」


 大きな声を出していると痛みがマシになるような気がして、メルは大声をあげた。コルキアは不快そうに眉をしかめると不意に立ち上がる。次の瞬間、ドレスの裾を翻して足を上げ、ブーツのかかとで思い切りメルの胸部を蹴った。メルの背中は壁に支えられていたのでそのまま後ろへ倒れることはなかったが、コルキアの足はそのままメルの体を壁に縫い止め、終わらぬ痛みが体を駆け巡る。努力もむなしく、メルはくぐもったうめき声を発する。


「言え。言えば楽になる」


「だから、知らないって言ってるでしょう!?」


「いいや、お前は知っている」


 コルキアは更に足に力を込める。華奢な体躯からは想像もつかないほどの力を込められ、胸部に焼かれるような激痛が走る。呼吸が苦しくなってきて、メルは苦痛に喘いだ。ゲホゲホと咳き込むメルをあざ笑うように、コルキアは一旦足を外したかと思うと、何度も何度もメルの胸部を踏みつけた。その度に、老朽化して脆くなった壁がメルを代弁するかのような痛々しい悲鳴を発する。


「館長との会話。その時お前はこう言われたろう。『ですから今すぐにでも、あなたにヴェスターを連れて帰ってきてもらい、封印をしなければならないと』」


「どこで……聞いて……?」


「神出鬼没の下卑た男が聞いたのさ」


 次の瞬間、頭に衝撃が走り視界に火花が散った。頭を打たれたはずなのに、痛いという感覚すら麻痺して視界が傾き、埃まみれの床に横倒しになる。どうも大鎌の柄で殴られたらしい。コルキアはメルのすぐ前に鎌を突き立てて床に固定する。


「さあ、教えろ」


 荊の締め付けはどんどんきつくなっている。メルは痛みに涙が出そうになった。助けて、痛い、怖いと叫びたくなる。だが、そんなことをしてもコルキアはますますメルをいたぶるだけだ。生かさず殺さず、メルがヴェスターの居場所を教えるまで、この痛みはずっと続く。


「やり方を変えてもいいんだぞ」


 しゃがんで首をかしげ、苦悶の表情を浮かべるメルの顔を、コルキアは覗き込んできた。


「もっと痛いやり方で。例えばそうだな」


 無造作に伸ばした手を、コルキアはメルの頬にあてがった。綺麗に切り揃えられた爪の先が、メルの目元をくすぐるようにひっかく。


「目を抜くか爪を剥ぐか指を落とすか。さあ、どれがいい」


 メルは身をよじってコルキアの手から逃れようとする。だが、そうすれば余計に体に負荷がかかり、床と接触している側の棘が一気に皮膚に食い込んできた。おかげでこれ以上動けそうもない。


「い、いや……だ」


 やっとそれだけ言うと、コルキアは恐ろしく冷たい目をしてメルを見下ろす。


「何が嫌なんだ。どれが嫌でどれがマシか言ってみろ。マシな方からしてやる」


 言葉を繰るほどに、メルの目元にあてがわれたコルキアの指に力が込められていく。今のメルには、歯を食いしばってコルキアを精一杯睨みつけるくらいしかできることがない。


 そうしている間にも、荊による痛みは増していく。これ以上ないくらいメルの体に食い込んだ棘は、なおも力を緩めずに血を皮膚から吐き出させ続ける。


「まったく」


 コルキアはメルから手を離すと、荊の外側で咲いている薔薇を掴んで、メルの顔の近くにまで持ってきた。さっきまで白かった薔薇は赤い色に染まりかけ、元の白い部分はまだら模様のようになって残っている。そこから香り立つのは芳しい薔薇の香りではなく、鉄臭い血の香り。


「この薔薇がお前の血で真っ赤に染まるよりも、ずっと前に音をあげると思っていたのだが、もう真っ赤になりそうだ」


 そう言う側から、白薔薇はもう完全に赤い薔薇に変わろううとしていた。白のまだらは徐々にその面積を狭めていき、それに従いメルの頭はクラクラしてくる。血を吸われ貧血状態になっているのかもしれない。だが、突き刺さった無数の棘の痛みがそのまま気絶させることを許してくれない。


「これが完全な赤い薔薇に変われば、やり方を変えよう。……いや、もうなったな」


 メルの血を吸った薔薇は、鮮血の色に染まる。混じり気のない完全な赤い薔薇に。


 コルキアは薔薇から手を離すと、今度はがっくりとうなだれたメルの頭部に腕を伸ばした。左右に結わえられた長い銀の髪を一房、ざらついた床からひろいあげる。それを強く引っ張って、つながったメルの頭を無理やり起こさせる。メルの顔をしゃがんだ自分の目線の高さまで持ってくると、どこまでも感情の凍りついた顔で、覗き込んだ。すると、メルの口が、小さく開いた。


魔力猫マギーシャ……」 


 これからコルキアにされるかもしれない、今よりさらにひどい拷問に、メルの心は打ち砕かれていた。血を失い朦朧とする意識の中、メルはとうとうコルキアに話してしまう。


「の、里」


「それはどこにある」


「ウィ……リデ……ウィリデの街の、郊外の森……」


 言った。言ってしまった。さっと、体の芯が凍えるような寒さに襲われる。代わりに締め付けていた荊の力が緩み始め、数秒も経たないうちに髪から手を離され、支えをなくしたメルの頭は床に叩きつけられる。


 メルは呆然とした顔でコルキアを見上げた。


「ウィリデか」


 ポツリと漏らして、コルキアは赤い薔薇を荊から引きちぎった。それから、鎌を手に持ちメルに背を向けると、部屋からとっとと出て行ってしまった。あっさりした退場を見届けた後、朦朧としたメルの意識はプツリと途絶えた。

 


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