第24話 白薔薇と東屋

 館長室を後にすると、体にどっと疲れが押し寄せてきた。ヴェスターの再封印に鍵の紛失に館長の辞職発言。コルキアの襲撃に加え、最近自分の周りはどうかしていると思えてならない。


 館長の辛苦が乗り移ったようなため息を吐いて、メルは長い廊下をのろのろと歩いて仕事に戻った。昨日同様仕事には全く集中できなかったが、なんとか午前の業務をこなす。途中からは鬱々とした気持ちを晴らすために、むしろ仕事に没頭した。そうしているとあっという間にお昼休みだ。


 台車を片付け、昼食を取りに事務室に戻ると、先に仕事から帰ってきていたシャーロットがいた。


「どうしたのよメル。昨日より顔色がひどいわ。どこか具合が悪いの?」


 心配してそう言ってくれたシャーロットに対し、メルは今日の出来事をすっかり話してしまおうと唐突に決めた。一人で抱えるにはもう限界だ。だが、人目の多い事務室で話すような内容ではない。そこで、メルは秘密裏に話したいことがあるから昼食は外で食べようと提案した。

  

 シャーロットが賛成してくれたので、二人は昼食のパンやサンドウィッチの入ったバスケットだけを持って外へ出た。


 王城の規則正しく木々の並んだ庭と同類ではないが、図書館と同じ敷地内には美しい庭園が隣接されている。田舎で見られるありのままの自然をそのまま持ってきて、わずかに人の手を加えたようなこじんまりした庭園は、季節ごとに様々な表情を見せてくれる。今の季節だと一番目立つ花は薔薇で、庭を随分華やかに魅せてくれる。


 田舎風の小道には薔薇を愛でに来た人の姿がちらほらあったので、メルはその場所は避けて、庭の最も奥入った場所へ向かった。最奥部には、白薔薇の茂みに覆われて秘密基地のようになった東屋がある。そこなら人目にはつかないので、思う存分ヴェスターやコルキア、鍵の紛失、館長の辞職発言のことを話せる。


 小道を辿り東屋にたどり着くと、やはりそこに人の姿はなかった。薔薇の茂みに囲われて、揺れ動く影の差した東屋の椅子に座り、メルは昼食も取ることを忘れて昨日と今日の出来事をシャーロットに聞かせ始める。長々話すうちに、シャーロットの表情はどんどん深刻なものになっていき、全部話し終えた頃には「何よそれ」と館長室でのメルに負けないくらい蒼白な顔が出来上がっていた。


「館長の辞職ですって!?鍵もなぜかなくなったって!」


 それから不意に、「あ、でも、ということは」とにわかに表情を明るくさせる。メルはわかりやすいなあと親友の顔を観察した。


「ヴェスターは封印されない、できないってことよね」


「ええ、そういうことよ。その点は嬉しいわよね。館長には悪いけれど」


「ええ、悪いわね。嬉しくなったのちょっと罪悪感あるわ」


 メルとシャーロットは顔を見合わせ、同時にため息をついた。なんとも言えない複雑な気分だった。ヴェスターが悪用されることを危惧する国王の考えもわかる。そのために再封印が一番確実で合理的な手段だということもわかる。封印を施すための鍵がなくなってしまったことに対する館長の覚悟や憂いもわかる。けれど、ヴェスターと友人であるメルとシャーロットにとっては、彼をまた封印して孤独にさせることは心が痛いことだ。だから、鍵がなくなってしまい封印することができなくなってしまったことは嬉しい。だがそんなこと人前では言えない。館長と国王に対する後ろめたい気持ちで、なかなか純粋には喜べないのもまた事実だ。


「板挾みね〜私たち。国王アンド館長とヴェスターとの板挾み」


 国王と館長をセットみたいに言わないで欲しいと思いながらも、メルはシャーロットの言葉に同意を寄せる。


「本当、そうね。複雑な気持ち。でもどうなるんだろう……。せめて国王が、辞職覚悟の館長のことを許してくれたらいいのだけれど」


「そうよね。あの人が館長じゃない王立図書館なんて、ちょっと考えられないもの」


 それから二人は、昼食がちっとも減っていないことに気がついた。喋るのに夢中になりすぎたようだ。早く食べてしまわないと昼休みが終わってしまう。


 やっぱりシャーロットにこのことを話してよかったと思いながら、メルはそそくさとパンを口に放り込んだ。とてもではないがこんなこと一人では抱えていられなかった。誰かと秘密や思いを共有することが、こんなに気持ちを楽にさせるとは。


「見つけた」


 幾分気持ちが和らぎ、リラックスしてきたメルの耳に、その声は突然聞こえてきた。声に驚いたメルとシャーロットは東屋のベンチから飛び上がった。シャーロットなどはパンの入ったバスケットごと手から放り出して、自分の昼食を台無しにしてしまっている。緑の地面に白いパンくずがとっ散らかり、シャーロットが悲鳴をあげる。


「ななななななんなの。誰!?」


 幽霊でも見たような顔で、シャーロットはメルに抱きついた。メルは抱きつかれてもビクとも動かずに、突然東屋の前に舞い降りてきた声の主を見据えて呟いた。


「コルキア……」


 数日前、パーティ会場で出会った時と少しデザインが違うが、相変わらず黒一色のドレスに身を包み、大きな黒い鎌を持ったその少女は、東屋を覆う白薔薇の茂みに空いた手を伸ばし、そこから薔薇を一輪手折った。血こそ出なかったが、棘が白い柔肌に食い込むことも厭わず茎を握りしめ、薔薇に顔を埋めてその芳しい香りを嗅ぐ。それから目だけこちらに向けて言った。


「そう、コルキア。名を覚えてもらえていたようで光栄だ」


 血のような暗赤色の目で見据えられ、メルは身を強張らせる。自分に抱きつくシャーロットの腕も、恐怖からかぎゅっと絞まるのを感じる。


「コ、コルキア……?この子が?……何なの、あの大きな鎌」 


 自分とそう年の離れていない少女と、彼女の持つ、伝承に伝わる死神の鎌のような武器を交互に見比べ、シャーロットは困惑の声を上げる。


 コルキアはメルから視線を外すと、一瞬シャーロットの方を見た。その表情からは相変わらず感情的なものがほとんど読み取れない。


 メルはコルキアを警戒して、一瞬たりとも視線を離すまいと彼女を睨みつける。すると、メルたちの前で、コルキアは手折った薔薇を髪飾りのように自らの髪に挿した。黒一色の彼女に、白い色が一箇所だけ灯る。


 それに目を取られていると、不意に、コルキアが漆黒の巨大な鎌を、全く重量を感じさせない動きでさっと軽く振った。と同時に、「きゃあっ!?」とシャーロットが悲鳴をあげて、地面に向かって背中から転んだ。


「シャーロット!?」


 あれだけ警戒していたのにと歯嚙みしながら、メルはシャーロットに駆け寄った。見れば、シャーロットのブラウスが薄く斬り裂かれている。血は出ていないのでブラウスのみが斬られたらしい。転んだのは、驚いたからか風圧からか。


「な、何が起こったの。血とか出てない?」


 目をうるうるさせて今にも泣きそうなシャーロットに、メルは自分自身も安堵しながら教えてやる。


「大丈夫。ブラウスがちょっと切れてるだけよ。どこも怪我してないわ」


 そう言いながらシャーロットを起こそうと手を伸ばしたメルの首に、鎌の鋭い刃があてがわれていた。それを見たシャーロットがまた悲鳴をあげる。メルは動けず、シャーロットに手を伸ばしたまま固まってしまった。


「そう。そのまま動かないで」


 メルの耳にそっと囁くと、コルキアはメルの首にあてがっていた鎌を引っ込めた。その動きと入れ替わるようにして、メルの周囲に鋼鉄の鳥籠が形成される。人間サイズの無骨な黒い鳥籠が。


「メルに何するの!?」


 一転、怒気をはらんだ声をあげ、シャーロットは勇敢にもコルキアに掴みかかろうとした。コルキアはそんなシャーロットを冷ややかな目で見下ろし、さっと黒衣を翻して避ける。標的に避けられたシャーロットは、そのまま何もない場所に向かって突っ込み、今度は「ぎゃんっ」とうつ伏せになって倒れた。だがすぐに顔を上げ、コルキアをキッと睨みつける。


 コルキアはそんなシャーロットを不愉快そうに見据え、鳥かごの格子に手を添えた。


「あなたに用はない」


 ゾッとするほど冷たい声で最後の一音を発し終えたと同時。シャーロットの目の前で、コルキアと鳥籠に囚われたメルの姿が、幻のようにかき消えた。

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