第23話 館長の憂鬱
翌朝、そわそわした気持ちで図書館へ出勤したメルを待ち受けていたのは、珍しく憔悴した表情を浮かべたマクレガン館長だった。国王がヴェスターにどういう判断を下したのかが気になって、いてもたってもいられなくなったメルは自ら館長室へ出向いたのだが、館長の表情を一目見て言葉がつっかえて出てこなくなった。いつもの厳格な雰囲気は崩れてはいないが、こんな表情を浮かべている館長は初めて見る。
館長にはメルが何の用で来たのかはお見通しだったのだろう。自分の姿を見て息を飲んでいるメルへ、端的に告げた。
「……国王は、図書迷宮の再封印をお命じになられました」
さっと血の気が引くと同時に、力が抜けそうになった膝をメルは無理やり足を踏ん張って支えた。だが、気持ちの方は膝のようにはいかない。やはりそうなってしまったのかという落胆と絶望で、頭が真っ白になる。必死で絞り出した言葉は、「確かに、そう仰られたのですか」というほとんど意味をなさない問いかけにしかならない。その問いに館長は頷いて、所在無げに両手の指を絡み合わせる。
メルは館長に勧められてもいないのに、ふらふらした足取りでソファに腰を下ろして考えた。
図書迷宮を、つまりヴェスターを封印すれば、鍵がない限り外部から干渉することはできない。当然、コルキアにもどうすることはできなくなる。だから、再封印が図書迷宮を悪用されることを未然に防ぐ最良の手段だということはよくわかっている。けれど、図書迷宮は単なる物や場所じゃない。メルたちのように心を、感情を持った存在なのに。国王はそれをなんとも思わないのか。知らぬはずはないだろうに。
真っ白になっていた頭が、状況や考えを整理していくうちに徐々に暖まってくる。メルはうなだれていた顔を元の位置に戻して、「せめて教えてください」と館長の目をまっすぐに見つめた。
「国王はヴェスターを具体的にどうするつもりなのですか。その再封印というのは、コルキアの脅威が去るまでの限定的なものなのですか、それともーー」
途中で途切れてしまったメルの質問に、館長は目を閉じた。そのまま吐き出された言葉が、静かな館長室にやけに重々しく響いた。
「再封印とはつまり、無期限の封印です。コルキアの脅威が去ろうと去らなかろうと、図書迷宮はここ数百年そうであったように、封印すると。おそらくは、未来永劫に……」
一番して欲しくない決断だった。力なくソファに座り込んでいたメルは一転して、「そんな」と声をあげて珍しく感情的になってしまう。館長の座る事務机に駆け寄り、思わず責め立てるような口調でものを言ってしまう。だが、ヴェスターのことを思えば自分の言動を止めることなどできなかった。
「そんなのあんまりです!無期限だなんて。国王だって、館長の報告でお分かりのはず。ヴェスターはもう暴走してません。本の知識を勝手に吸収したり、人を攫ったりもしない。コルキアに狙われたというだけでなぜまた以前のような目に合わせるのですか。あの子は、何より孤独を恐れてたのに。……なぜ、何も悪くないヴェスターをどうこうしようとするのです。コルキアを先にどうにかするべきなのではないのですか。国王ならば、魔女の一人どうこうできるお力くらいあるのではないのですかっ!?」
「ミス・アボット。これはもうそういう問題ではないのです」
厳しい声にメルは我に返った。感情的になっていた自分を恥じ、口をつぐむ。館長の表情は憔悴仕切っていても、厳格な雰囲気は全く損なってはいなかった。
「図書迷宮の叡智を狙う者が現れた。このことが問題なのです。コルキアを王の兵力や権力を使って退けることができたとしても、第二、第三のコルキアが必ず現れる。国王はそのことを危惧し、封印することで先手を打とうとしているのです」
「第二、第三の……?一体、誰が狙うというんです」
館長は机の上に肘をつくと、両手を組み合わせてメルを見据えた。
「科学が発展した今日においても、魔法の再興や習得を願う者達は人間に限らず今の世にも確かにいます。彼らからしてみれば、潤沢な魔力を備え、魔法が生きていた時代の書物を多く保有する図書迷宮は、宝の山に見えることでしょう。それらを今の世のためによりよく使ってくれるのならば構いません。しかし、彼らが皆善良とは限らない。コルキアのように私欲のため欲する者、悪用する者、戦争で魔法を放棄し、自然破壊によって魔力を枯渇させた我々人間を憎む者。そうした者の手に渡れば、大陸に新たな火種が生まれます。図書迷宮にはそれほどの魔力や、古の叡智が、眠っているのです。それを、全時代の遺産だと侮ってはなりません。扱う者の力や技量によっては、魔法は科学を超越する力を持っている。もしそれが特定の者の手に渡り悪用されれば、取り返しのつかぬことになるのです」
諭すような館長の言葉に、メルは背筋が凍るのを感じた。オレリアも似たようなことをヴェスターに言っていたが、新たな火種だなんて、まるで不吉なことでも起こるかのような言いようではないか。
「それを防ぐために、ヴェスターを封印する必要があると」
どこかで納得してしまいそうになっている自分に、メルはひどい罪悪感を覚えた。ヴェスターの姿が脳裏にちらつく。このままでは、ヴェスターの夢を叶えてやることができない。けれど国王の命令は絶対であり、メルがどれほど嫌だと泣き叫んでも、ヴェスターは封印されてしまうことはもう決定事項なのだ。こうなればもう覚悟を決めるしかない。コルキアだけでなく、王や館長、この国からヴェスターを守らなければならないのだ。しかし、次に放たれた館長の言葉に、腹をくくりかけていたメルは拍子抜けした。
「ええ、ですから今すぐにでも、あなたにヴェスターを連れて帰ってきてもらい、封印をしなければならない。しかし、封印を施すための鍵が、どこにもないのです」
「え?」
まさかの封印を施す鍵がないという話に、メルの熱を帯びた頭は一気に冷やされ随分冷静になった。それから、館長がずっとやつれた表情をしていたことに一人納得がいく。ヴエスターを封印するという決定にすっかり意気消沈してしまったように見える割にはハキハキとものを言う館長に対して違和感を感じていたのだが、鍵がなくなってしまったことに館長は参っていたのだ。鍵がないということは、ヴェスターを封印できない。館長には申し訳ないが、メルには嬉しい知らせだ。それを顔に出さないように気をつけながら、メルは館長に顔を向ける。
「鍵は、館内の書架に保管してありました。その位置を知るのは私だけ。禁帯出の帯を付けてありますから、万が一誰かの目に触れても貸し出されることはないはずです」
「じゃあどうして……」
「手違いで貸し出されたか、もしくは盗まれたか。もし後者なら、よくもまあ見つけたものだと言いたいものです。似たような本が大量に並ぶ中でたった一冊の本を見つけたということなのですから」
館長は半分呆れたように言うと、はあ、とため息をこぼした。
メルはアーサーのことを思い出した。彼は偶然本の姿をした鍵を見つけたわけだが、ものすごく運がいいのやら悪いのやら。それからメルは、鍵を持ち出してくれたかもしれないしれない人物に感謝したくなった。おかげでヴェスターは封印されずに済む。しかし、純粋に喜べるかというとそうでもない。館長しかその場所を知らない鍵の紛失。なぜなくなったのか、盗んだとしたらそれは一体誰なのか。メルの脳裏にあの黒衣の少女がちらつく。もし、彼女が盗んだ犯人だったら?一体何のために?どうも嫌な予感しかしない。
「……館長、その、これからどう、するのですか」
こめかみを揉み絞る館長に遠慮がちに尋ねると、「どうするも何もありません」と返ってきた。
「国王へ正直に申し上げるだけです。その上で、私はどのような罰も受け入れましょう。辞職も厭いません」
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