第22話 鍵の掛かっていない扉

 ヴェスターは竜の翼を広げると、大きく羽ばたいて空中階段から飛び立った。そのまま、蔓を横目にぐんぐん高度を上げていく。頂上の大樹はすぐに目前に迫ってきて、ヴェスターは一度大樹を追い越してから旋回し、大樹の樹冠に降り立った。メルたちと初めて出会ったのがこの大樹の上だったなと、ふと思い出す。


 そこでしばらく物思いにふけっていると、足元から「ヴェスター」と名前を呼ばれた。


「はい!何?」


 びっくりして飛び上がりかけたヴェスターのせいで、大樹がざわざわと葉を打ち鳴らした。後ろ足でがっしり掴まえている幅の広い枝を見下ろすと、そこにはオレリアの姿があった。


「オレリア!?君、あそこにいたっけ」


 ヴェスターは焚き火の近くにいた魔力猫たちを思い出すが、オレリアはいなかった気がする。そもそもオレリアが根城にしているオークの巨木で彼女と話してからアーデスと共にあの焚き火のところまで来たのだから、一緒に来なかったオレリアはあの場にはいないはずだった。ではどうやってここに入ってきたのだろう。


 ヴェスターが「あれー」と首を傾げていると、オレリアは微笑んだ。


「君は気づいてないみたいだが、魔法の心得のあるものなら君に招かれずとも入ってこられるんだよ」


「そうなの」


「ああ」


 オレリアはヴェスターの後ろ足の鱗にそっと爪を立てて、するすると背中まで登ってきた。爪を立てられているのに痛くはなく、むしろくすぐったくて笑い声をあげそうになる。喉元までせり上がってきた笑いをこらえようと、ぷるぷる体を震わせているヴェスターの背中でちょこんと前足を揃えて座ってから、オレリアは続けた。


「魔力には様々な性質を付与することができる。君の場合は、外に開いているとう性質だね」


「開いてる?」


「扉がだよ」


 ヴェスターは大きな緑の瞳をパチクリさせて、オレリアの顔をまじまじと見た。


「扉は、昔シーグリッドがつけてくれたのがあったけど僕が壊しちゃったよ」


 ちょっぴり反省しているのか、ヴェスターは耳を猫の時みたいに後ろへ倒す。


「ああ、そういう意味ではない」


 オレリアはフサフサの尾を振って否定した。


「君そのものである魔力の性質が、人を招き入れる扉のようなものだと言いたかったのだよ。その扉に鍵はかかっていないから、ドアノブを回せば入ることができるんだ」


「だからオレリアは入ってこられたの?」


「ああ。もう一つ付け加えると、さらに私が魔法の心得があったからだ。鍵の掛かっていない扉を見つけ、それに触れるには、少々魔法の知識が必要だ。それがないものには扉を見つけることはできない。少し言い直すが、君のは少々限定的な開き方と言えるね。だからこそ、誰にでも見える扉を、シーグリッドはつけていたのだろう」


 オレリアの教えてくれたことは初耳だったので、ヴェスターはちゃんと覚えておこうと思った。それからしばし危機感を感じる。魔法の知識がある者、すなわちコルキアもオレリアと同じことができるということだ。今のように、自分が核となって図書迷宮を形成している時にコルキアに入ってこられたら多分手の打ちようがない。


「おや、急に難しげな顔になったね」


 オレリアはからかっているのか、コロコロ朗らかに笑うと、ヴェスターの鱗に

覆われた首を前足で軽く叩いてきた。


「まあ、大方何を考えたのかはわかるよ。魔法の知識がある者なら、良いやつも悪い奴も好きなように入ってこられるのを不安に思ったんだね」


 ほとんど図星だったので、ヴェスターは渋々頷いた。オレリアは叩くのをやめると、不意に遠い目をした。


「シーグリッドもそれを案じていた。だから彼女は鍵を作り、閉館時間になると君に鍵をかけていた。その鍵は、誰にでも見える扉と、君の鍵の掛かっていない扉のような性質を閉じる力があった。皮肉にも、それは封印にも使われてしまったようだがね」


 オレリアは瞬きを繰り返す。


「そういえば、その鍵はどこへ行ったのだろう。確か本の形をした鍵なのだが」


 その独り言のような問いかけに、ヴェスターはマクレガン館長の言葉を思い出した。メルと外へ出た次の日に言われたことだった。それをオレリアにも伝える。


「鍵は、王立図書館に保管されてるよ。本の形をしているから、大量にある蔵書の中に紛れ込ませてあるんだって。その位置を知っているのは館長だけで、しかも定期的に入れ替えてるらしいよ。まあ、先代の館長が引き継ぎの時に、その位置をマクレガン館長にを教えるの忘れてたらしいから、長い間放って置かれてたらしいけどね。見つけるの死ぬほど大変だったって」


「やれやれ、先代の責任感はどうなっているのだ」


 オレリアはなんと杜撰なと呆れ返ってしまったようだ。


「今の館長がしっかり者であることを願うよ」


「大丈夫、マクレガン館長はすごくしっかりしてるし責任感もあるから大丈夫だよ」

 

 キリッと背筋を伸ばし、ハキハキとものをいう館長の姿を思い返しながら、ヴェスターは太鼓判を押した。


 オレリアは鼻を鳴らし、「君が信頼しているのならば良いのだが」と、尾をゆっくりと左右に振る。


「オレリアは館長のこと信用してない?」


 少し不安に思って尋ねると、オレリアは「いや」と目を伏せる。


「会ったこともない人物を、信用できるかできないか判別することはできぬよ。私が言いたかったのはだね、ヴェスター」

 

 大きな竜の瞳に映る自分の顔を見つめがら、オレリアは告げる。


「鍵の持ち主は、君が選べということだ。君が心から信頼できると思える人物に託すのが一番良い。何があっても、君の味方でいてくれる人物に」

 

「僕が一番信頼できて、どんな時も味方でいてくれる人」


 オレリアの言葉を繰り返したヴェスターは、一人の人物を脳裏に描く。



____『今度は私が連れ出す番。あなたを』



 そう言って、手を差し伸べてくれた少女。少し無愛想なところもあるけれど、人一倍優しい心を持った少女。


____『エルヴェスタム・デ・エスタンテ……呼ぶには長いわね。愛称をつけてもいい?そうね、ヴェスター、ヴェスターがいいわ」


 新しい名前と新しい居場所をくれた少女。


 ヴェスターの横顔を見ていたオレリアは、しばらくして優しい微笑を浮かべた。


「もうそれは、決まっているみたいだね、奇跡の君ヴェスター

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