第10話 守り守られ

 ジグサグ飛行をやめたヴェスターだったが、まだコルキアを警戒しているのか、そのまましばらく雲の上を飛んで行き、下方の雲の合間から見える景色が緑に変わってきた頃になってようやく下降を始めた。


 眼下の風景を見る限り、随分王都から離れた場所にまで来たらしい。

 埋め尽くす街並みは見えず、代わりに広がるのは広大な農園と、長細い帯状になって密集している家々。互いに向かい合い、二列に並んだような家屋のどれもが、背後の敷地に長細い農園を背負い、家と農園との行き来がしやすくなっている。田舎から出てきたというアーサーも、こんな風な場所に住んでいるのだろうか。そんなことを考えているうちに、高度はぐんぐん下がって行く。メルは、王都でヴェスターの姿を見てパニック状態になっていた人々を思い出し、慌ててヴェスターに声をかけた。


「ヴェスター、集落や農園から離れた場所におりましょう」


「いいけど、どこ見ても農園ばかりだよ」


「ほら、あそこ、森があるわ。斜め左の方よ」


 こんもりとした小さな森を見つけて指をさしてから、ヴェスターには自分の背中に乗っているメルの動きが見えないことに気づき、口でも伝える。ヴェスターは「ああ、あそこか。わかったよ」と言い、まっすぐ森に向かって飛んで行った。


 森の中に着地し、メルを背中から降ろしてから、ヴェスターは翼を折りたたんで注意深く空を見上げる。


 背の高いモミの木でできた森は、昼間だというのにどこか薄暗い。だが、大きな竜の姿のヴェスターを、木々はすっぽり覆い隠してくれる。


「なんとか逃げ切れて、良かったわ」


 ほっと胸を撫で下ろしてメルがそう言うと、ヴェスターは晴れやかとは言い難い顔で「たぶん、また来るよ」と鬱々と述べた。


「あの手の連中は、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れようとする。コルキアは次こそ僕を手中に収めようと、本気で仕掛けてくるはずだ」


「こういうこと、前にもあったの?」 


 心配になって尋ねると、ヴェスターは「ううん」と否定した。


「なかったよ。でも、それは多分シーグリッドが、僕が悪用されないように守ってくれていたからなんだと思う」


 ヴェスターは、しばらく思いつめた表情をしていた。本物ではないのだが、竜がここまで表情を豊かに表現できることに、メルは改めて感心する。


 ヴェスターは思いつめた表情のまま、不意にメルを見て言った。


「メル、僕はしばらく王都から離れて一人でいるよ。その方が、今回みたいにメルを巻き込まなくても済むと思うんだ」


「でも……」


 そう言われて、素直に「わかった」とは頷けなかった。危険な人物に狙われている友達を放っておけることなどできないし、ヴェスターがこんな目に遭っているのはメルのせいでもあるのだから。なぜなら、ヴェスターを外の世界に連れてきたのはメルだからだ。彼のためを思ってしたことではあるが、これまで厳重に封じられ、再度封印される運命にあった彼を外へ連れ出したことで、彼の存在がどこからか漏れ、コルキアに伝わった。外に出なければ、コルキアのような危険人物に狙われる心配もきっとなかったのだ。メルに全く責任がないとは言い切れない。


「ヴェスター、一人で抱え込まないで。コルキアをどうするか、どう逃れるか、一緒に考えるから。きっと、話せばおばあちゃんやシャーロットも力を貸してくれるはずよ」


「でも、メルは身をもって体験しただろ」 


 ヴェスターはひどく怯えた顔をした。


「あいつは、僕さえ無事に手に入ればそれでいいんだ。僕を手に入れる道筋にある障害物は、どうなろうと構わない。だからあいつは、メルを傷つけようとした。下手をしたら、メルはひどい怪我を負うか死ぬかしてたんだよ。友達をそんな怖い目に会わせたくない。怖い思いをするのは僕だけでたくさんだ」


 メルは返す言葉もなく、瞳を潤ませ始めたヴェスターを見返す。


 確かに、メルはコルキアに何度か殺されかけた。思い返せばゾッとするし、二度とあんな目にはあいたくない。一歩間違えれば両足を失うか、死ぬか、そんなやり取りだった。こうしてメルが五体満足で居られるのも、ヴェスターと少しばかりの運のおかげだ。だが、次にコルキアに襲われた時にもそうやって助かる保証はない。コルキアは、一度メルとヴェスターを逃した。次こそはと、彼女も本気でくるだろう。そして、そうなった時、コルキアによってメルが傷つけられるのを、ヴェスターは何より恐れている。


 メルだって、自分のそばにいたせいで、ヴェスターやシャーロット、祖母やアーサーが傷つけられれば身を裂かれるような思いにかられるだろう。だから、周囲の人物を危険に巻き込まないように距離を取ろうとするヴェスターの気持ちは理解できる。けれど、距離を取られる方だって、思いは同じなのだ。


「……ねえ、ヴェスター。私だって、あなたに怖い思いをさせたくないのよ。ヴェスターが、私が傷つくのを恐れているのと同様にね。だから、あなたが一人でコルキアと向き合おうとするのは、心配でたまらない。そもそも、あなたがコルキアに狙われる要因を作ったのは私。本当なら、私が責任を持ってヴェスターを守らなくてはならないのに。もっと、力があれば、足手まといにならないのに」


 こんなことを話すつもりではなかったのだが、言い出したら止まらない。メルは、話しながらぎゅっと拳を握った。非力な自分が悔しかった。自分がもっと強ければ、ヴェスターもメルを巻き込ませまいと、一人になろうなんて言いださなかったのかもしれないのに。


 しかし、ヴェスターは「メルは僕を守ってくれたよ」とうつむいたメルへ声をかけた。


「僕一人じゃコルキアから逃げ切れなかった。メルが機転を利かせてくれたおかげで、こうして無事逃げ切れたんだよ。小さくなって鳥籠の隙間から脱出したり、わざとめちゃくちゃな動きをして、鳥籠に捕まらないようにしたり、飛ぶのに必死な僕に変わってコルキアを魔法で撃退したり。すごく助けられた。まあ、僕がメルを助けた時もあったけどね」


 最後はちょっぴり誇らしげに言った。メルは少し気持ちが和らいで、口元をほころばせる。


「そうね。言われてみれば、あなたを守った事になったのかも。でも同時に、助けられもした。コルキアの攻撃を読んで指示してくれたり、大鎌から私を守ってくれたり……」


「守り守られ、だね」


 ヴェスターは笑うと、「でも」と声を低くした。


「それでも僕は、メルを危険な事に巻き込ませたくないんだよ。君が足手まといだからなんてとんでもない。大切な人には安全な場所でいて欲しいと願うのは、当然だろ」


「……安全な場所」


 メルは、目を見開いて手を口に当てた。


「メル?どうしたの?」


 メルの反応に、ヴェスターは首を傾げる。メルはいいことを思いついたかもしれないと、珍しく興奮して口を開いた。


「そうよ、安全な場所。私だって、ヴェスターには安全な場所にいて欲しい。ヴェスターも、私には安全な場所でいて欲しい。つまり、自分から離れたところに。なら、そうすればいいのよ」


「どういうこと?」


「あなたを、どこか安全な場所に隠れさせるの。コルキアに、ううん誰にも見つけられない場所に。もちろん私のそばじゃないところよ。そして私は、普段の生活を送る。ほとぼりが冷めるまでね」


「でも、その安全な場所はどこなのさ」


「それは……今から考えるわ」


 急に自信をなくして、メルは口をつぐんだ。今すぐには、その場所は思い浮かばなかった。


「シャーロットやおばあちゃんにも相談してみる。だからお願い。一人でこの問題を背負い込もうとしないで」


 メルの提案について、ヴェスターはしばらく考えていたようだったが、やがて「わかった」と頷いてくれた。メルはそれにホッとする。


「けれど、良い隠れ場所が見つからなかったら、その時には僕を止めないで。これだけは、譲れないよ」


 決意を秘めたまなざしに、メルは同じまなざしを返した。


「ええ、わかったわ。でも大丈夫。絶対にあなたを守ってみせる」

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