第6話 ミシェル王子

 人々の流れに従い、メルたちが喇叭の音の鳴った方へ向かうと、大きな噴水の前に立派な木製の台座が組まれていた。あそこに王子が立つのだろうか。


 メルたちは四方八方をぎゅうぎゅう状態で人垣に囲まれながら、王子が来るのを待つ。その間、王子を一目見ようと集まった群衆の興奮した会話が絶えず聞こえてきた。特に若い女性たちの声が目立つ。皆、若い王子に興味津々なのだ。隣のシャーロットも、興奮した様子でメルに囁く。


「噂ではね、とても美しい方なんですって。ある町娘が、お忍びで街に訪れていた王子と会ったらしくて。もちろん、王子だと知ったのは後からだったらしいけど、それはそれは綺麗な顔立ちだったそうよ」


 おそらくその噂が若い娘たちの間で広がり、皆の王子像が膨れ上がっているのだろう。周囲の若い娘たちの反応を見ればそれは丸わかりだった。ミシェル王子は、王国中の若い女性たちの心をすっかり虜にしてしまっている。


「メルも気になる?そのミシェルっていう王子様のこと」


 群衆に踏み潰されないよう、メルの肩に避難してきていたヴェスターが尋ねた。メルはうーんと前を向く。


「王子様なんて滅多に見られるものじゃないし、気にはなるけど」


「メルはそういうところ冷めてるのよね」


 シャーロットが隣で肩をすくめた。メルは言葉を続ける。


「だって、王子様がかっこ良かろうがなかろうが、私には直接何の影響もないもの」


「ああらメル。そんなこと言っていいの?」


 なぜか、シャーロットがちょっと意地悪な顔をしてメルの腕を肘で小突いた。


「あくまで噂なんだけどね、王子は結婚相手の身分は問わないらしいの」


「だからなんだというの?」


「んもう、鈍いわね。いい?もし、今日のパーティで王子の目に止まれば……」


 そこまで言われればさすがにわかる。メルはため息をついた。


「そんな上手い話があるかしら」


「おとぎ話じゃあるまいし」


 続けてヴェスターがやれやれと首を横に振る。シャーロットはすっかりむくれてしまった。


「何よ何よ二人して。これくらいの夢を見たっていいじゃない。減るもんじゃないんだし。それに私、前にメルに言わなかったかしら。大人になっても夢を見ることって大事だわって。ほら、図書迷宮が本当にあったらいいなって、メルもそう思ってたでしょう?あんな感じ」


「ちょっと違うわ」


「えええ」


 そんな不毛なやり取りで時間を潰していると、また高らかな喇叭の音が鳴り響いた。人々は会話していた口を閉じて、一斉に前を見つめる。その視線の先にある台座に、紺の礼服を身につけた青年が、颯爽と姿を現した。金糸で施された刺繍がよく映える紺の上着に白い洋袴ズボンをはいたその人物は、大勢の人々の前に立っても全く動じた様子を見せない。それどころか手を振って、爽やかな笑顔を人々に振りまいた。明るいブロンドの髪に、青い瞳。中性的で整った顔から放たれる爽やかなその表情に、少女たちはたちまち黄色い悲鳴をあげる。


「みなさん、ようこそいらっしゃってくださいました」


 言われなくともわかる。彼がミシェル王子だ。王子の言葉に人々は歓声をあげた。


「今日は本当に良い天気で、こうしてこの日を迎えられたことに感謝しています」


 王子は言葉を続けた。挨拶に始まり、パーティへ来てくれたことのお礼、時期王位継承者としての意気込みや抱負を、堂々とした語り口で述べていく。


 この人がリヴレ王国の次の国王になるのかとメルが感慨にふけっている隣で、シャーロットは両手で口を覆い、「さ、さすが王子様だわ。纏っている空気が違う……」と頰を赤らめている。


「ねえ、シャーロット。僕が気を引いてあげようか?そしたらシャーロットの方見てくれるかもよ」


 シャーロットの肩に移りながらヴェスターが提案した。からかっている様子でもないので、彼は純粋な好意からそう申し出たのだろう。しかしシャーロットは「馬鹿言わないでよ。恥ずかしいわ」と首をブンブン左右に振り回す。おかげでヴェスターの顔にシャーロットの髪が容赦なく当たる。ヴェスターはそれに顔をしかめながら尋ねた。


「お妃になりたいんじゃなかったの」


「お妃だなんてとんでもない。こうして眺めてるだけでも私幸せだわ。身にあまる幸せよ」



*


 ミシェル王子の挨拶が終わり、彼が一旦奥へ引っ込むと、人々は雑談を交わしながらパーティ会場である庭へ散っていった。香ばしい紅茶が振舞われ、楽団が和やかな音楽を奏で、本格的にパーティが始まる。


「はあ、夢のような時間だったわ」


 シャーロットはまたうっとりとした表情を浮かべた。ミシェル王子のことを言っているのだろう。


 まだ夢見心地のシャーロットを連れ、メルたちは紅茶を飲んでお菓子を食べ、大道芸人の繰り出すあっと驚くパフォーマンスをひとしきり眺めた。そして、もう昼の三時になっただろうかというところで、楽団が奏でる音に合わせて人々がダンスに興じ始めた。男女が手と手を取り合い、芝生の上で軽やかなステップを踏む。周囲の人々はそれぞれ相手を見つけて、次々とダンスの輪に加わってゆく。


「あら、素敵ね。メル、私と踊る?」


 おちゃらけてシャーロットが言うと、メルは困った顔で「私、踊れないわ」と告げた。ああやって二人で踊るダンスなんてやったことがない。


「大丈夫よ。みんな思い思いに踊ってるだけだから。そんな舞踏会で踊られるような形式ばったのじゃないわ」


 そう言って、メルを元気付けるシャーロットへ、「失礼、お嬢さん」と声をかけてくる者があった。シャーロットは「はい」と振り返る。


「一緒に踊りませんか」


 メルたちより少し年上くらいの、センスの良い礼装を着た若い男性だった。大方シャーロットの美貌に目を奪われたのだろう。シャーロットは一瞬戸惑ったようだが、メルがヴェスターと共にさりげなくその場を去ったのに気がつき、「ええ、少しなら」と了承して、ダンスの列へ加わっていった。

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