第4話 王城へ
それからすぐに第一王子の誕生会の日はやってきた。誕生会が始まるのは午後1時から。シャーロットはその二時間前にメルの家にやってきて、メルの髪型のセットやドレスを着るのを手伝ってくれた。シャーロットの髪を結う手際は見事なもので、前もって決めておいた髪型に沿って完璧に結ってくれた。化粧もメルの肌色を最も引き立ててくれる色を使って、最も美しく見えるよう仕上げてくれた。ドレスも、髪も、化粧も完璧。鏡に映る自分の姿を見て、メルは「うわあ」とおもわず感嘆の声を漏らした。ドレス選びの日に身につけたものと同じものを身につけているのに、髪型や肌の色を少し整えただけで、見違えるようだった。
「どうよメル。ドレスも悪くないでしょ」
後ろでシャーロットが得意げな表情をするのが、鏡を通してメルの目にも映る。悔しいが、それは認めざるを得ない。
「ええ、思ったほど、悪くない……かも」
これでもう、ドレスへの不安はほぼなくなったと言っていい。まるで魔法でもかけられた気分だ。
メルは鏡の方へ一歩前に進み出て、まじまじと自分の姿を見る。
纏っているのは、月の光に照らされたような薄氷の色をしたドレス。右肩から胸元にかけては氷細工のような花びらが咲き乱れ、それは背中を一回りして、腰から下へ広がったスカートの部分へ続いている。氷細工の花びらからチラリと覗く首元には、銀色の首飾り。いつも左右に結わえている銀髪は、今は編み込みを施されて後ろへ流されている。
「悪くないじゃないわ。最高よ、メル。最高に綺麗だわ」
メルの隣に立ち、シャーロットは嬉しそうに言った。だが、そう言うシャーロットも十分綺麗である。メルを手伝いながら自分もドレスを着ておいたので、あとは化粧と髪型を整えれば準備万端なのだが、そんなことしなくても十分すぎるほどメルには綺麗に見えた。何せひっきりなしに男性から告白される美貌の持ち主だ。制服を着ている時でさえそうなのだから、ドレスで着飾ったシャーロットはまさに向かうところ敵なしだった。
メルのドレスが月光を浴びた氷細工の花なら、シャーロットのドレスは陽光を浴びた本物の花だった。淡いバラ色のドレスの裾や胸元には、見たことのない美しい花をかたどった意匠が咲き、メルのものよりも豪奢なフリルがその周囲を飾っている。波打つフリルはふわふわで、手を触れればフリルの海へ吸い込まれてしまいそうだ。
シャーロットが鏡を見ながら自分で髪を整え、化粧を施すと、王子の誕生会までちょうど後三十分の時刻を時計の針が差していた。
「大変、もうすぐ予約してた馬車がきちゃう」
シャーロットが慌ただしく小さなカバンを持ち部屋から飛び出したので、メルも慌ててその後を追う。階下へ降りると、ステイシーに赤い蝶ネクタイを首につけてもらって上機嫌なヴェスターが、玄関で待っていた。小さな黒い紳士は緑の瞳を輝かせて、メルとシャーロットのいつもと違うきらびやかなドレス姿に見入る。
「わあ。すごい綺麗!」
「あなたも素敵よ。黒猫さん」
しゃがみこんで、シャーロットがヴェスターの小さな額をツンツンする。
その時、台所からステイシーが出てきて言った。
「もう馬車はついてるよ」
「おばあちゃん」
メルは頬を上気させて祖母の方へ振り返る。
「本当にありがとう。このドレス。すごく綺麗」
ステイシーは喜ぶ孫の姿を見て、母親のように微笑んだ。
「お礼はいいよ。……ずっと衣装ダンスの奥に眠っていたから、外に出て誰かにきてもらえて、そのドレスも喜んでるみたいだ」
「ドレスも喜んでる……?」
メルは自分の体を包む薄氷色のドレスを見下ろす。そう言われれば、確かにそんな風に見えた。
「さあ、馬車はもう来てる。早くお行き」
ステイシーに急かされ、着飾ったメルとシャーロット、ヴェスターは玄関の扉を開けて外に出た。ステイシーの言う通り、家の前には前もって予約しておいた馬車が停まっていた。馬車は王族が乗るような絢爛豪華なものではなく、街中でよく走っている乗合馬車と同じ型のものだ。おそらく普段は乗合馬車として使われているのだろう。今回のような大きなパーティがあるときは、馬車を運営する会社は特別に乗合馬車を予約して貸切にできるように取り計らってくれる。皆、これ幸いと会場までの移動手段として利用するので、会社からすれば大儲け間違いなしなのだろう。
メルたちは、御者が恭しい手つきで開けてくれたドアをくぐり、馬車の中へ乗り込んだ。その途中、メルの肩に乗った黒猫の珍客を見た御者は、すました執事のような顔を崩して目を見張った。まんまるの目になっている。ヴェスターはそれに気づいてウィンクすると、御者は目をゴシゴシこすって「はて?」と首を傾げた。猫にウィンクされた気がするが、猫がそんなことするわけはないし……とでも考えているのだろう。
何はともあれ、メルたちを乗せた馬車は、ステイシーの見送りの元、無事に誕生会の会場に向けて出発した。会場はもちろん、王城である。
王族・貴族でもない一般の人々に王城で開かれるパーティが開放されるのは、実はこれが初めてではない。もう二十数年も前になるが、現国王と現妃の盛大な結婚式の会場が、国王の特別な計らいで民衆に開放されたことがあった。そして、その息子に当たる第一王子・ミシェル王子が、父と母の結婚から約二十年の歳月を経て、自分の誕生パーティに民衆を招待したのが今日この日である。
つい先日、ミシェル王子は正式に次期王位継承者に任命されたのだが、誕生会はそれを祝う意味合いも含まれていた。そして、次期王位継承者として国民の皆に直々に挨拶をしたいという王子たっての希望で、民衆の参加も許可された。そういう経緯で今日の誕生会は開かれるのである。
今、街は王子の祝福一色に染まっている。丘の上に聳える王城・ルシャラルテ城に向かって、太陽と書物をモチーフにした国の紋章が描かれた幾枚もの旗が翻り、大通りに軒を連ねる商店は、王子誕生日記念などと歌いながら大売り出しをやっている。メルたちの乗った馬車は、そうした中を小気味良い馬の蹄の音と共に駆け抜けていく。
シャーロットが馬車の窓を開けると、外の気持ちの良い風が吹き込んできた。シャーロットは髪を押さえ、街の景色と空を見上げる。
「今日はいい日和ね。外でやるパーティにはもってこいの天気だわ」
雲ひとつない空は青く青く澄み渡り、太陽は暖かで優しい光を王国中に降り注がせている。シャーロットの言う通り、申し分のない天気だ。雨が降ったらどうするのだろうと、メルは今日まで心配していたのだが、そんな心配はこの空を見ていると吹き飛んだ。
「ねえ、お城はまだなの。まだつかないの」
ヴェスターが言うので、メルはシャーロットが開けている反対側の窓を開けて、王都のどこからでも見ることのできる城を見遣った。
「もうしばらく行かないとつかないんじゃないかしら」
「こんなに見えてるのに?」
メルの肩に乗って窓から身を乗り出したヴェスターが、不思議そうに言う。
「お城は王都にいればどこからでも見えるのよ。ああして小高い丘に建っていて、建物も大きいから」
答えながら、メルは見慣れた白亜のお城を眺めた。城は、王都の北方にある小高い丘にその姿を収めている。まだ国としての法や治安が不安定だった時代の頃は要塞を兼ねた野生的で堅牢な姿だったらしいが、そうした時代はとうに去り、今や城は王族の威容を象徴することに特化した美しい建物に様変わりしている。今からあそこへ行くのだと、メルは少し自分の心が高鳴るのを感じた。あれほどドレスを着るのが嫌だと行きたがらなかったのに、と、自分で苦笑してしまう。
やがて、馬車は街の大通りを抜けて貴族街に入り、城を支える小高い丘の坂道へ差し掛かった。もう城は目と鼻の先だ。
メルは馬車の窓から顔を出して、来た道を振り返った。その先には、少し遠くなった王都の街並みが見える。メルは自分の家はどこだろうかと目を凝らしたが、無数の家の屋根の中からそれを見つけるのは至難の技だった。だが代わりに、お城の次に立派な外観の王立図書館だけはすぐにわかった。それに満足してメルが窓から顔を引っ込めた時には、もう馬車は王城にたどり着いていた。
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