第3話 ドレス選び

 仕事が終わると、シャーロットは一旦家に帰ってドレスを持ってくると言い放ち、メルに断る隙を与えずに去っていった。そのあとの集合場所はメルの家である。ひょっとすると、メルの家にも一緒に暮している祖母・ステイシーの若い頃のドレスがあるかもしれないので、それと合わせて吟味するつもりなのだ。


 図書館の庭でゴロゴロしていた黒猫姿のヴェスターを見つけ、彼と共に家路についたメルは、帰るなり二階の自室のベッドに倒れこんでしまった。


「ドレス……」


 うわ言のように声を上げて、枕へ顔を埋める。左右に結わえたメルの銀髪が、ほどけたターバンのように白いシーツの上に広がった。


「そんなにドレスを着たくないの?」


 メルの様子を椅子の上で見つめていたヴェスターが、首を傾げた。


「着たくない。気が進まない」


「じゃあ、着なかったらいいんじゃないのかな」


「着なくちゃいけないのよ。パーティだもの」


「パーティ」


 ヴェスターの宝石のような緑の瞳がキラリと光る。


「僕も行ってみたいなあ」


 好奇心旺盛なヴェスターのことだ。必ずそう言うだろうと思っていたメルの予想通りになった。枕から顔を上げてヴェスターを見ると、彼はまだ見ぬパーティを夢想しているようだった。尾がパタパタと弾むように揺れている。


 ヴェスターという名のこの緑の瞳が美しい黒猫は、実際は猫ではない。図書迷宮ビブリオラビリンスと呼ばれる、異次元の空間を構成する魔力。本来の名は『魔女の本棚エルヴェスタム・デ・エスタンテ』。それがこの黒猫の正体だった。


 図書迷宮は、何百年も前に魔女によってつくられた叡智の殿堂。だが、魔女の死後暴走状態に陥り、長らく封印されていた。その封印が、図書迷宮を探すアーサーという少年によって解かれ、一連の騒動が巻き起こされたのはつい先月のこと。多数の行方不明者と図書館の本から文字が消え失せるという怪事件の発生に、図書館は一時期大混乱に陥った。だが、それももうメルたちの手によって解決された。暴走状態にあった図書迷宮、つまり、図書迷宮を構成している魔力そのものであるヴェスターは心を入れ替え、今はこうして王都で暮らしている。ちなみに、図書迷宮そのものと言っても良い存在であるヴェスターについては、一部の者にしか知られていない。数少ない図書迷宮を知る者(と言っても、事件の際、王立図書館の司書たちには知らされてしまったが)でさえ、全員がその一部に含まれているわけではなかった。


「あ」


 不意に、ヴェスターが耳を動かして、部屋の窓へ飛びついた。あくまで仮の姿だというのに、随分と猫らしい、というか猫そのものの動きである。


「メル、シャーロットが来たよ。なんか、大きいトランクを持ってる」


「ドレスを持ってきたのよ」


 メルはベッドから身体を起こした。しばらくその上で身じろぎせずに待っていると、シャーロットとステイシーの会話が聞こえてきて、すぐに一人分の足音が階段を駆け上がってきた。


「来たわよ。メル」


 メルの部屋の扉が開けられ、大きなトランクを掲げたシャーロットが入ってくる。そして、ベッドに腰掛けたメルの足元へその大きなトランクを「よいしょ」と下ろした。すぐにヴェスターがトランクに駆け寄ってくる。


「詰めこめるだけ詰め込んできたのだけれど」


 言いながら、シャーロットはトランクの蓋を開けた。その途端、たくさんのドレスのフリルが、ポンっと音を立てるようにしてメルの目前で大輪の花を咲かせた。見慣れぬ小洒落た綺麗な服に、メルは目をパチパチさせる。


「メル、おばあちゃんに聞いておいてくれた?ドレス持ってるかって」


「まだ」


 メルがそう答えるや否や、またメルの部屋の扉が開いた。扉を開けて中を覗いてきたのは、メルの祖母ステイシーだ。かつては、メルのように美しい銀髪だったことを思わせる白髪の混じった髪を夜会巻きに結い、上品な衣服に身を包んで背筋を伸ばした姿は、今年六十八歳になる老婦人には思えない。


 ステイシーは、扉から顔だけ出して告げた。


「ドレスを選ぶことはシャーロットから聞いてるよ。一応私の若い頃のドレスがあったと思うけれど……」


 ステイシーは、メルの足元のトランクから飛び出たドレスたちを見てから言い直す。


「それだけあればいらなさそうだね」


「いえ。持ってきてください」 


 シャーロットが決然と言い放った。


「メルの気に入るドレスがここにあるとは限りませんもの。お願いします」


「そうかい。じゃあ、奥から出してくるよ」


 そう言ってステイシーが顔を引っ込めると、シャーロットは腰に手を当て鼻息を荒くし、メルへ向き直った。


「さあ、始めるわよ。私がメルのお眼鏡に叶う、最高のパーティ衣装を選んであげる」


「は、はあ」


 メルはあまり気乗りがしない。シャーロットとの温度差がすごかった。


「メル、僕も一緒に選ぶよ」


 ヴェスターまでそんなことを言い出す。しかし、シャーロットが即座に「ヴェスターはダメ」とヴェスターの首根っこを掴んで否定した。


「お着替えするんだから、男の子は外」


「あ」


 あっという間にヴェスターを部屋の外へ追いやり、扉を閉めると、シャーロットは不敵に微笑む。


「ふふ、じゃあ、今度こそ始めるわよ」


 だがメルは上の空である。それどころか眉をひそめた。


「ねえ、ヴェスターって男の子なの?そもそも、魔力に性別なんてあるのかしら。ない気がするわ」


「もう、そういう細かいことはいいから!ドレス選びに集中するわよ!」


 それから、メルはまるで着せ替え人形のように、何着ものドレスを見せられ着せられた。どのドレスもふわふわしていて綺麗で可愛いのだが、それを着た自分の姿を鏡で見ても全くピンとこない。そもそも似合っている気がしない。


「メルは銀髪でしょう。きっと青いドレスが似合うと思うの。ほら、どう?」


「胸元が空きすぎてる」


「あ、ほんと。ごめん。じゃあこっち」


「スリットが……」


「ええ、これもダメなの。じゃあこれは?これならフリルで胸元も隠れるし、スリットもないわ」


「ピンクは……ちょっと」


「ええ、じゃあねえ」


 そんな会話が小一時間程繰り返され、ドレス選びは混迷を極めた。あれもいや、これもいや、とメルの意に沿うドレスが見つからない。主役となるドレスが決まらなければ、髪飾りや首飾り、靴も決められない。なぜかステイシーもドレスをなかなか持ってこない。最終的にシャーロットがぷりぷり怒り出して、「メルってば、少しは我慢なさい!!」と叫んだ頃、ようやく、ステイシーが一着のドレスを持って現れた。


「探すのに手間取ったよ。メル、これはどうだい」


 そう言って、目の前で広げられた祖母の若い頃のドレスを一目見て、メルは「これがいい……」と今までの悩みようが嘘のように即決した。


 散々シャーロットの持ってきてくれたドレスで悩んだ挙句、ステイシーが出してきたドレスを一目見て決めたわけだが、そこからも大変だった。ドレスに合うアクセサリ、髪型を選ぶのにもまた小一時間ほど用したのだった。


「ああ、疲れたあ」


 全てが決まった後、シャーロットはドレスの散乱したベッドへ倒れこんだ。そのすぐ横へ、普段着に着替えたメルも倒れこむ。激しい運動をしたわけでもないのに、二人はヘトヘトだった。


「ありがとうシャーロット。手伝ってもらって。あと、ゴメンね。こんなに時間かかっちゃって」


 約束を忘れていた分の申し訳ない気持ちも入り混じりつつ、メルはシャーロットへ感謝の言葉を述べる。シャーロットは「いいのよ」と手を振って答えた。


「疲れたは疲れたけれど、こうやってメルとわあわあ言いながら服を決めるの楽しかったわ」


 シャーロットは本当に楽しそうに笑った。それから、メルの方を見て微笑んだ。


「メル、パーティ、楽しみね」


「うん、楽しみ」


「あ、やっと言った」


 シャーロットはおかしそうに吹き出す。メルは頭を持ち上げ、困惑した顔を見せた。


「何?変なこと言った?」


「変ではないけど、最初は憂鬱そうな顔してた癖に」


 シャーロットのくすくす笑いは止まらない。

 

 言われて初めて、メルは自分がパーティを楽しみに思えていることに気がついた。ドレスなんて着たくない。面倒だし似合わないし嫌だ。なんて思ってはいたが、その実シャーロットと騒ぎながらドレスを選ぶ時間はまんざらでもなかったのだ。おまけにパーティまで楽しみになってきた。メルだって、正式なパーティへ行くのは初めてなのだから、好奇心がまったくないわけではなかったのだ。ただドレスを着ることに気圧されていただけの気がする。それが、今夜のドレス選びで多少払拭されたのやもしれない。それでもやっぱりドレスに対する不安はあったが。


「気が変わったみたい。今は楽しみよ」


 ドレスに対する不安は伏せ、メルは自分の気持ちを真面目な顔をして述べた。シャーロットは嬉しそうに「よかった」と笑う。


「ところで、シャーロットはどんなドレスにするの?」


 図書館司書の制服を着ていても、何も損なうことなく美人っぷりを発揮しているシャーロットがドレスを着たら、どんなに綺麗だろう。きっと男性陣はイチコロだ。そんなことを考えながらメルが訊くと、シャーロットは「それは秘密。当日のお楽しみよ」といたずらっ気を含ませた表情で答えた。


 その時、階下から張り上げられたヴェスターの声が聞こえてきた。


 「ねえ二人とも、いい加減晩ご飯食べようよ。シャーロットも召し上がってお行きだってさー」


 二人は部屋にかけられた時計を同時に仰いだ。もうすっかり日は暮れて、夕食の時間だ。


 二人は、一階にいるヴェスターに聞こえるよう大きく「はあい」と返事をしてベッドから身体を起こした。すると、たちまち二人のお腹が鳴る音がした。どちらからともなく笑い声をあげながら、少女たちは散乱したドレスをそのままに、美味しい香りの漂ってくる階下へ駆け下りていった。

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