第2話 メルとシャーロット

 リヴレ王国。それは、メルス大陸の最南端に居を構える美しい小国の名前。小国ながらも、大陸きっての古い歴史と伝統を誇るこの国の王都ロワペールには、それを体現するかのごとく、大聖堂のような威容さと壮麗さを備えた古い図書館がある。名を、リヴレ王国王立図書館という。各地方に点在する図書館の総本山であると共に、大陸随一の蔵書数を誇るここは、まさに図書館の王の名にふさわしい。


 その大図書館の事務室では今、銀の髪の少女と金の髪の少女が、お昼ご飯のパンを片手に楽しげにおしゃべりしていた。と言っても、口を動かしているのはもっぱら金の髪の少女の方だったが。


「ああ、楽しみだわ。本当に楽しみ。楽しみったら楽しみよ。ねえメル、そうは思わないこと?」


「何が?」


 金の髪の少女——この王立図書館で図書館司書として働くシャーロット・クラプトンは、同僚の銀の髪の少女——メル・アボットの発言にずっこけた。


「何がって!今楽しみなことと言ったらあれでしょう!?図書館中、いいえ、王都中がこの話題で盛り上がっているのにあなたときたら」


 歯がゆそうなシャーロットを尻目に、メルは口元に小さな微笑みを浮かべる。


「私は今月読みたい本が発売されるのが楽しみ」


「それってまさか、ノエル・ステリーの新作『秘密の扉』のこと?私もあの本、買おうと思っているところなのよ。って、そうじゃなくて!私が今話しているのは、第一王子の誕生会のことよ!」


「ああ、そうえいば」


 と、メルは合点がいった顔をした。

 来週の休日、第一王子の誕生日を祝うパーティが王城で開かれるのだ。王子の希望で民衆の参加も認可されているせいで、街中その話題で持ちきりである。メルからすればさほど興味のある出来事でもないので、シャーロットの言いたいことにすぐ気がつけなかった。


「そんなのもあるわね」


「そんなのって!」


 メルの何気ない一言に、シャーロットは悲鳴のような声を上げ、椅子を吹き飛ばしそうな勢いで立ち上がった。おかげで周囲の図書館司書たちの怪訝な視線を、一心に集めることとなる。だがそれを気にもとめず、シャーロットは叫んだ。


「あなたも行くのよ、メル!」


「え」


 メルはパンをくわえた格好のまま、カチリと固まった。シャーロットはおでこに手をあてがい、はあ、とため息をこぼしながら、崩折れるように椅子に腰掛ける。周囲の司書たちは、何事もなかったかのように、それぞれのお昼休憩を再開した。


「信じられない。メル、前に言ったわよね。第一王子の誕生会に、私と一緒に行くって」


「そんなこと言った覚えは……」


 あった。メルは罰が悪そうな顔をして、つい先日のことを思い出す。やり残した午前の仕事を、昼休みに事務机の上でこなしているメルにシャーロットが話しかけてきた時だった。メルが何やら作業をしているのに彼女も気がついたのか、少し話しただけで終わったが、その時に第一王子の誕生会の話が出たのだ。その際にシャーロットに一緒に行こうと誘われ、メルはほとんど意識しないまま「ええ」と頷いていたのだった。


「ごめんなさい。適当に返事していたから忘れていたわ」


「もう」


 シャーロットはぷうと頬を膨らませる。


「じゃあ、パーティ用のドレスの用意がまだできてないんじゃなくて」


「ドレス……」


 メルはまたカチリと固まった。


「ドレスなんて、無理」


 硬い口調で告げたメルに、シャーロットは頼もしげな表情を浮かべた。


「大丈夫よ。私、何着か持ってるからメルに貸してあげるわ。なんなら新しく見繕ってあげてもいいわよ」


「そうじゃない」


「じゃあどういう意味?」


 シャーロットが訝しげに尋ねると、メルは今まで座っていた椅子から立ち上がった。そして、恐々と自分の体を見下ろす。


「私に、ドレスなんてものが似合うと思う?」


 メルは真剣だった。何せ生まれてこのかたドレスなんてそんなキラキラしたもの着たことがないし、ましてや自分に似合うとも思えないのだから。だが、シャーロットはそんなメルの気持ちをよそに「ぶっ、ちょっとメル、そんなこと」とケラケラ笑い出した。


「大丈夫よ。メルならきっとドレスも似合うわ。私が保証する」


「いいえ、ドレスなんて似合わないわ、無理よ。そもそも、あんな風に背中や胸元が開いてる服なんて恥ずかしくて着れないわ。行くならこの服で行くわ」


 メルにとって、自分に一番しっくり来る服は今着ている王立図書館の制服だった。袖の膨らんだ白いブラウスに灰青色のリボン、それと同じ色のフレアスカート。スカートには天の川のような銀の刺繍が入っている。派手すぎず地味すぎず、落ち着いた色合いのこの制服が、メルにとっての一張羅なのだ。だが、シャーロットにはバッサリ否定された。


「ダメよ。それはダメ。パーティ会場で制服なんて着てたら場違いにもほどがあるわ。余計に恥ずかしい思いをすることになるわよ」


「そんな……」


 今度はメルが、がっくりと崩れるようにして椅子に座った。シャーロットは言葉を続ける。


「それにね、メルは勘違いしているようだけれど、何も胸元や背中が開いたものばかりがパーティドレスじゃないのよ。一言でドレスと言ってもいろんなものがあるんだから。だからきっと、メルの気に入るドレスもあるわ」


「そうかしら……」


「ええ、そうよ。それに今回の誕生会は、午後から王城の中庭で開かれるの。夜にあるような舞踏会じゃあるまいし、メルが想像しているほど、胸元やら背中やらが大っぴらになっているドレスを着てくる人はいないはずよ」


 立て続けに発せられるシャーロットの言葉に、メルは少し憂鬱な気分が晴れてくる気がした。しかし、ドレスはドレスだ。自分がドレスを着ている姿を想像してみる。周りには、美しく着飾った人々がいる。何だか自分が場違いな気がして酷く惨めな気持ちになった。


「やっぱり無理」


「もう、メルってば」


 シャーロットは「どうしたものかしら」とぼやいた。


「メルは自分に自信がなさすぎるのよ。そんなのダメだわ。メルの銀の髪はとても綺麗だし、深い海のような青い瞳だってとっても素敵なのに」


「そう…かな」


「ええ、そうよ!だからもっと自信を持って。ドレスを選ぶの、私も手伝うか

ら」


 シャーロットは、力強くメルの両手を握りしめた。彼女の目は本気だ。こうなっては逃れることなどできなかった。メルは、「わかった」と渋々頷きを返す他なかった。

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