その3 むりやり扉をぶち破ってみました、が


「漣ちゃんか?」


 それは多少かすれていたものの、間違いなく祖父の声だった。

 60過ぎたいい男が15の孫をちゃん付けもどうかと思う。前にそれとなくなんとなく、なんでちゃん付けで呼ぶのか聞いたら祖父はにやりと笑って言った。


「だってそりゃ、漣ちゃんも俺のことちゃん付けで呼んでるだろ」


 おじいちゃん。いやまぁそうだけど。おじいさんとかおじいくんとか呼ぶのもどうかと思うし。

 でもそうやって封殺されて、僕はいまだに漣ちゃんだ。


「うん、そう。僕だけど」


 僕僕詐欺?なんていうツッコミを扉の向こうの人が呟いたけど、全力黙殺。なにこの人、元気じゃん。


「てかさ、どうしたの、じいちゃん」


 もしや案外いつも通りの祖父なのかと思って気軽に聞いてしまったが、ひとしきりの沈黙が訪れる。この聞き方はまずかっただろうか。

 僕が焦りだした頃、ようやくためらいがちな祖父の声が返ってきた。


「……漣ちゃんも、ゲームとかってよくやるのか……?」


 ゲーム??


「スマホとかで、ほらあの、ソシャゲ?とか」


 おいおいまさかまさか。この人ゲーム中毒でひきこもったとかなのか!?


「いや僕は、それほどやらないけど」


 あれは時間もお金もとられるし。付き合い程度には嗜んでいるけれど、同級生たちに比べればやっているうちに入らないだろう。


「なに、おじいちゃんはなんか、やってるの?」


 どきどきしながら尋ねたが、祖父の答えは「旅か〇るだけ」とのことで、別に中毒とかではないようだった。

 でもそうすると、話の筋が……見えない。


「その、おじいちゃんさぁ、なんかおばあちゃんが心配してるし、ご飯ぐらい食べに出てきたら?」


 まぁ心配じゃなくて怒っているんだけど。


「……だよなぁ。でも……出ないんじゃなくて……出られないなんだけどな……」


 祖父の声は相当困っているようで、これはかなり精神的に参っているのではないかと思う。それこそ、部屋を出られなくなるほどに。


「じゃあ、別に、出てこなくていいからさ。ちょっと顔だけでも見せてくれない?」


 祖父はいやともいいとも答えない。微かに聞こえるため息は、どうやら迷っているのではないか。

 これは意外と開けてしまえばこっちのものなのでは、と思う。祖父を刺激しないよう、僕はそっとドアレバーに手をかけ引いた。

 古い扉はギシギシと嫌な音をたてて、しかし開かない。鍵か? いや、鍵というか、どこかがひっかかっているような。

 一体祖父はどうやって扉を開かなくしているのだろう、これは。

 ちょっと意地になった僕は力の限り扉を引っ張る。しかし扉は歪んで壊れているかのように開かない。


「ちょ、これ、じいちゃん別に物理的に閉じ込められてるとかじゃ、ないよね!?」


 一瞬そんな思考が脳裏をよぎるが……いやそんなはずはない。だって窓から出るなりレスキューを呼ぶなり、方法はいくらだってあるはずだ。


「……ああ、まぁ物理的にでは、ないな。……物理的というか、むしろ空間的に……」


 祖父が訳のわからない呟きをもらす。なるほど、これが「話の要領を得ない」ってやつか。


「……それと、たぶんは開けないほうがいい。危ないかもしらん」


 とうとう祖父に扉を開けることを拒否されて、さすがに僕もあきらめる。というか、僕の力では開けられそうもなかった。


 そうして僕は万策尽きた。


 やはりこれは、僕のような子供がしゃしゃり出てどうにかなる問題ではないのだろう。

 穏便に会話を切り上げ帰るべきだ。とりあえず、おじいちゃんの身体を労わるような、挨拶とか。


「なぁ、漣ちゃん。ちょっと聞いてくれるか……?」


 しかし僕の思考は、ふんぎりをつけたらしい祖父の言葉に遮られた。

 正直もう帰りたくなっていた僕は、「うん」とも「ううん」とも言えない曖昧な言葉を返す。


「落ち着いて、聞いてくれ。……漣ちゃん、ラノベは読むか?」


 今度はラノベ?


「……いや、あれは頭悪いから僕は読まない、けど……?」

「そうか。……お前、今たくさんの人を敵に回したぞ……」


 問題ない。もちろん友達の前ではそんなことは言わない程度の分別はある。


「でもそうか……ゲームもラノベも駄目か……。漣ちゃん、お前本当に中学生か?」


 ちょっとそれは失礼ではないだろうか。中高生がみんなゲームやラノベにはまっているだなんて思わないでほしい。


「でもそうすると、参ったな。漣ちゃんならあるいは分かってくれるかと思ったが」


 いや、60代ひきこもり初心者の気持ちとか絶対分からんから。


「で? そのラノベがどうかしたの?」


 なんだか面倒で、ぞんざいに問い返す。答える祖父の声は真面目一色だった。


「もう単刀直入に言うが。どうやら俺は、いや、俺の部屋は、異次元世界へ飛んでいるらしい」


 内容が真面目でなかった。


「ごめん、トイレ行きたいから帰っていい?」

「待て、もう少し聞け! 俺だって荒唐無稽だとは思うが、だが一か月かけて考えた結論なんだ」


 一か月かけて考えた妄想がそれって貧相すぎる。あと、せめて漫画か小説の形にしてから見せてほしい。


「信じられないだろうが、本当だ。この状況はそうとしか思えない」


 しかし扉越しにこうも必死に訴えてくるのを捨て置いたら、祖父の人格が取り返しのつかない壊れ方をしそうである。

 ポケットのスマホで時間を確認。まぁ、今日はもうおじいちゃん孝行に費やすとしたもんだろう。


「ふうん。で、それってどんな設定……状況なのさ?」


 話を聞く態度を見せると、祖父はそれだけで大層喜んだ。

 もともとが社交的な人である。人と接するのが嫌になってひきこもったわけではないようだ。でも、じゃあ、なんでこの人ひきこもったんだ?


 そうして聞いた祖父の、ラノベだかゲームだかの構想は、こんな感じの話だった。


 およそ一か月前のとある休日。祖父は一人自室でのんびりしていた。

 しかしふと窓から外を見ると、なんとそこにはおかしな光景が広がっていた。本来見えるはずの街並みが、半ば崩壊し廃墟と化していたのだ。祖父は驚いた。慌てて部屋から飛び出すと(僕は優しいので、もちろん部屋から出られないとか扉が開かないとかいう先の話と矛盾していることは指摘しなかった)、廊下もまた見るも無惨に荒れ果てていた。

 祖父は祖母を呼びながら階下に降り、さらに家を出てみるも、祖母はおろか人影ひとつない。一面に広がる荒涼世界、そしてそこをうろつく見たこともない異形の生物。

 身の危険を感じた祖父は、とりあえず自室へ逃げ帰った。そこで妙なことに気づく。この部屋にはどうやら電気が来ている。試しにテレビをつけてみれば、常と変わらぬ娯楽番組が放送されていた。いくらチャンネルを回しても(……回す?)異常を伝えるニュースもない。

 テレビだけではない。小型冷蔵庫もクーラーも生きている。蛇口もきれいな水を出す。パソコンは起動し、なんら問題なくネットにつながった。スマホも電波を掴んでいる。慌ててかけた祖母への電話はなんなく繋がり、どこにいるのか問えば祖母は庭木の水やりで忙しいと答えた。

 しかし部屋の窓から見下ろしても、すでにそこに庭木なんてものはない。動くなと伝えて駆けつけようとするも、部屋を出た途端に電波は途絶えた。結局祖母は見つけられず、途方にくれて部屋にもどれば電波は回復。どうやら、部屋の中でなら電波もGPSも正常だが、一歩でも出ると死ぬらしい。

 そしてなすすべもなく夜を迎えた頃、なんと扉の向こうから祖母の呼び掛ける声がした。喜んだ祖父は扉を開けたが、そこに祖母の姿はない。声もしない。扉を閉める。声はする。開ける。いない。閉める。声。開ける。閉める開ける。

 都合五回繰り返し、そして祖父は達観した。とりあえず見ることのかなわない祖母にはひきこもりを装い誤魔化しつつ、生存のためのサバイバルと異変の調査、情報収集、試行錯誤……。

 そしてひとつの結論に至る。


「どうやらこの部屋という空間が、本来とは別な次元の空間と入れ替わっているんじゃないかと思う」


 ……22点。

 だって、真に迫る語り口調はすごかったけど、ストーリーとして見たときオチがないというか、芯がないというか、今後の展開にわくわくしない。


「……信じてないな……」


 はぁと盛大なため息が聞こえてきたけれど、僕としてはおじいちゃん疲れてるんだな、と思う。


「ちょっと待て。証拠、になるかどうかは分からないが。えっとラ〇ンライ〇」


 ほどなくして僕のスマホが通信アプリの着信をつげる。

 祖父に請われてIDを交換し、一度スタンプを送りあっただけで特に用もなく放置していたやつだ。

 そこへ祖父が次々と写真を送ってくる。それはどれもこれも崩れ落ちた街のようにみえるなにかだった。

 ……いやいや、今どきネットを漁ればこのぐらいの絵は簡単に拾ってこれるから。たぶん。というか、え、この写真、おじいちゃんが倒れた変な生物の前で自撮りピースしてない? すごいクオリティだな……。……だよね?


 ぞわりぞわりと毛虫が這い上ってくるような嫌な感覚がする。

 いくらなんでもこれは、冗談にしたってタチが悪い。


「ちょ、いい加減にしなよ」


 僕はノブに飛び付きがむしゃらに引っ張った。もう扉を壊したってかまわない。足を壁に突っ張り、全体重を乗せた力の限りだ。

 ばきり、と音をたてながらも扉は壊れることなくとうとう開いた。


「もう、おじいちゃん!」


 怒鳴りつけてやった声は、しかし無人の廃墟と化した空間にこだました。


「……へ……?」


 そこはどう見ても見知った祖父の部屋ではなかった。とうの昔に捨てられた廃屋とでも言うしかない。祖父の姿など、ない。


「な、なんだこれ」


 慌てて扉を閉める。枠が歪んでいるのかうまく閉まらない。今度は体当たりするように無理やり押し込み、なんとか扉は閉まる。


 なんだこれ。どうなってるんだこれ。

 ばくばくと心拍数の上がる心臓を抑え、流れ落ちてくる冷や汗を拭う。


「たぶんには、本来にあるべき空間が行ってるから、間違っても扉を開けて入ろうとかするなよ」


 祖父の声。だって確かに祖父は扉の向こうにいるのに。なんで扉を開けた向こうにいない?


「そんな、うそだろ。だって、現実的にこんなの、ありえない……」


 これを信じろというのか。しかし、おそらく僕以上にその問いを繰り返したであろう祖父は、落ち着いた声で言った。


「まぁ所詮現実なんて言ったって、蝶の見ている夢に過ぎないかもしれないしなぁ」


 ……中学生相手に胡蝶の夢とかネタにするな。難しすぎるだろうが。


 そして、祖父は言った。


「それで、漣ちゃんに頼みたいことが、あるんだが」

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