緋と紺のコントラスト

ぬゑ

緋と紺のコントラスト



 天候を心配していたが、どうやら大丈夫のようだ。

 窓の外に広がる茜色の空に雲は少なく、風もほとんどない。これなら、問題なく祭りも開かれているだろう。

 祭りの会場までは少し遠い。昔、嫌という程歩いた畦道を、一歩一歩踏み締めて歩く。

 土の感触も、草木の香りも、虫の音色も、全てが懐かしい。遠くに見える山の袂の神社にはたくさんの提灯が灯り、普段とは違う光の群集が景色に添えられていた。耳を澄ますと、微かに笛の音が聞こえて来る。毎年のことではあるが、この音色を聞くと妙にセンチメンタルに感じてしまう。心の奥をくすぐられるような、不思議な感覚だった。

 空の色も少しずつ紺色が混ざり始めていた。ちょうど今が夕方が夜に変わる時間帯なのかもしれない。その曖昧な境界線は徐々に夜へと傾き、やがて光の礫が散りばめられた星空になるだろう。このあたりに都会のようなネオンの光なんてものはなく、星々がくっきりと見える。それこそ、天の川までも。

 毎年それを見るのが楽しみだったりする。


 祭り会場に到着する。

 会場と言っても、特別な場所ではない。山の登り口にあるような、古ぼけた神社の境内である。

 普段は人の姿もなく、神主もいない。木々が風に揺れる音と、野鳥の囀りだけが響いていて、荘厳で神秘的な雰囲気のある神社だ。

 しかし祭りになると、その姿は一変する。

 煌びやかな提灯はいくつも並べられ、露店は並ぶ。浴衣や普段着を着た人々は溢れ、活気と喧騒に満たされる。騒がしく、それでいて賑やか。まるでこの時だけ神社を思い出すかのように、町民はそこへと向かうのである。

 無論、自分もその一人であるが。


 神社の片隅に腰を降ろし、彼らの姿を見ていた。中には見たことのある人々もいるが、すっかり背も伸びている。面影は残っている程度であり、思い出の中の彼らとは既にかけ離れていた。

 それも当然なのかもしれない。

 時間が止まった自分と、歩き続ける彼ら。流れる時間は等しくとも、その道程は全く異なる。振り返ると見える足跡の濃さは、人を変え、姿を変えていく。それが成長であり、生きるということなのかもしれない。

 恥ずかしい話だが、彼らを見ていると劣等感を抱いてしまう。もちろん彼らに罪はない。全くもって個人的で一方的なコンプレックスである。それでも、その醜く矮小な感覚は、確かに魂の奥にあった。

 自らの人生を歩む彼らと、針を失った時間に留まり続けている自分。

 これほど近くにいるのに、彼らと自分の間で陰日向は線を引いている。

 色で言えば、緋と紺か。

 相反する色のコントラストは決して混じることなく、明暗をはっきりと分けているように思えた。それはさしずめ、昼と夜が共存できないことに似ている。


 やはりここに来たのは間違いだったのかもしれない。

 引き返そうと立ち上がった時に、とある親子が僕の横に座った。

 まだ若い母親と、小さな女の子。二人ともお揃いの浴衣を着ていた。

 女の子は露店で買った焼きそばを食べていた。母親はそれを嬉しそうに見つめる。実に暖かい光景だ。横から見ていると、ざわついていた心も穏やかになっていく。

 ……実のところ、その母親は知っている。

 小さな頃から遊んでいた、幼馴染の女の子だ。時間の流れは彼女を大人に変え、今では母親となったようである。

 彼女は僕に気付くことはないだろう。僕のことなど忘れてしまっているかもしれない。

 それでも、こうして見ていると、昔見たセピア色の光景が広がる。それで、十分だ。


 ふと、母親は祭り会場に目をやる。そしてぼんやりとその光景を眺め始めた。

 女の子は、母親の様子に気付いた。


「お母さん、どうしたの?」


 その声に、母親は我に返る。


「ごめんごめん。ちょっと、昔のことを思い出していたの」


「昔のこと?」


「そうよ。……お母さんが子供の頃も、こうやって祭りに来ていたのよ」


「そうなの? おばあちゃんと?」


「それもあるけど、お母さん、近所に仲が良かった男の子がいてね。その子と行っていたの」


「へぇ~。その人ってお父さん?」


「ううん。違う人。……中学校の時に、病気になってね。そのまま遠くへ行っちゃったんだ」


「会えないの?」


「うん、会えないの。……でも、お母さんはよく覚えてるよ。こうして浴衣を着て、祭りに来て……。男の子だからかもしれないけど、変なところでカッコつけようとするんだ。でもそれがおかしくて、可愛くて……。だから、一緒にいて……」


「……お母さん?」


「……ごめんね、なんでもない。とにかく、お母さんもあなたと同じくらい楽しんでたんだよ 」


「そっかぁ! 一緒だね!」


「うん、一緒一緒」


 ……そうか、彼女は、覚えていてくれたのか。どうやら僕は、勝手な思い込みをしていたみたいだ。

 それが分かった時、やけに空が明るくなった。夜に太陽の光が射し込み、緋と紺は一つになる。光の柱は天に伸び、空の彼方へと続いていた。

 もう時間のようだ。僕の中の時計の針が、ゆっくりと進み始める。

 また新しい、足跡を作るために。

 

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