瞳を閉じれば空だって飛べた 少年たちは英雄だった
子供の頃、僕の中には広大な空想世界があった。
五冊分のRPG風冒険ノートを書いた。登場人物の設定・ステータス・技を書き、ストーリーを書き、戦闘も書く。戦闘はバトル鉛筆を使って行ったが、頭の中には縦横無尽に駆け回り戦う登場人物たちの姿があった。ストーリーには分岐があり、分岐は自身の選択やサイコロの目に委ねられていた。
寝る前に目を閉じれば、自身が巨悪に立ち向かう様子をありありと想像できた。妙な現実感があった。空想の中での僕は空を飛べたし、魔法も使えたし、剣術も使える。
大人になるにつれて、僕の中の空想世界は徐々に狭くなっていった。空想世界の僕は空も飛べず、魔法も剣術も使えない。縦横無尽に駆け回り戦いを繰り広げることも、自分以外の誰かになることもなかった。
大人になるというのは、そういうことなのだろう。子供の頃は誰よりも早く大人になりたがった。わからないことが多い自分が嫌で、現実では何もできない自分が嫌で、誰も守れない自分が嫌いだったんだ。
だけど、大人は子供が思う以上に何もできない。
むしろ、子供の頃より何もできなくなることがある。大人の世界にはたくさんのしがらみがあり、身動きが取りづらい。思えば子供の頃は自分が勇気を出して覚悟さえ決めれば、自分にできることはたくさんあった。金がなくとも、力がなくとも、行動することはできたのだ。
空想世界に潜れば、現実世界ではできないこともたくさんできた。
時折、僕は無性にRPGがしたくなる。
ゲームの中で、僕は勇者だった。汚名を着せられた盗賊だったこともあるし、偶然時空を超えることができただけの一般人だったこともある。一本のゲームで八人の異なる誰かになったこともあった。立場は違えど、自分の能力で道を切り開き、時代を世界を明日を切り開いていくことができた。
ゲームの中ではいつも主人公で、世界を救う夢を見る。
子供の頃からRPGが好きだったが、大人になった今は昔より好きになった。現実の自分にはなんの力もない。肉体的力も、心の力も弱い。弱いから大切な人を死なせてしまったことが、何度もある。何度経験しても同じような結末になった。空想世界に潜ることも、今はほとんどない。空想や妄想はすれど、子供の頃のように自由な夢は見られなくなった。
だから僕は、RPGで英雄になる。
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