生活レベルに幸福レベルを合わせる
幸せは歩いてこないと誰かが言った。だから歩いていくわけだが、幸せに向かって歩き続けることは際限なく続く無限回廊を一人歩くことだと思うことがある。ひとつの幸福に辿り着いたとき、その先にある幸福を目指したくなる。どれだけ幸福感を得たところで満足できず、道を歩き続けることになるんだ。
幸せとは勘違いや幻想の産物なのではないかと思うことがある。集団幻覚に陥っているのではないか、とさえ思う。
幸せに定型はなく、人それぞれに異なる概念があるものだ。ふんわりとして掴みどころがなく、掴んだところで幸福感は一瞬にして過ぎ去り、次第に虚無感に包まれる。だから幻想の産物のように思えるのだが、それでも一瞬の幸福という感覚は実在する。
人は幸せを求めずにはいられない。
しかし、求める幸せのレベルについてはしっかりと考えたほうが良いのではないかと思う。
現在の自分に実現可能なレベルに合わせなければ、幸せが得られず不満ばかりが募る。人生が楽しくなくなる。
普通に30万円稼げていた頃、30万円以上貰えることも欲しい物が買えることも幸せだった。ハンバーグにサラダと付け合せナポリタンとスープを付けることができた。それを最低限の幸福レベルだと感じていた。
だけど今は金がない。欲しい物は満足に買えないし、一品のおかずで飯を食い酒を飲む毎日だ。僕の主食は納豆ご飯か目玉焼き丼。ハンバーグは贅沢品になってしまったし、サラダもまた然りだ。
今の僕の最低限の幸福レベルは、豆腐丼だ。木綿豆腐を潰し、刻んだ沢庵と韓国海苔、白ごま、出汁醤油をグチャグチャに混ぜて飯の上にかける。これが地味に美味い。これを晩飯に食べるのが楽しみだ。
今の生活水準で以前と同じ幸福レベルを求めていたら、僕は完全に不幸になっていただろう。不幸すぎて何もやる気が無くなりそうだ。
幸せとは。幸福とは。
どうせ満たされないのだから、感じる頻度を高くしたほうが良いのではないだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます