僕の言葉遣いと帰属意識

 僕は言葉遣いが少し変わっている。


 僕は今まで一度も関西以外で生活したことがない。兵庫県宝塚か伊丹かどちらかわからないけど、とにかく兵庫県で生まれ、幼い頃から三田市に住んでいる。一度京都で一人暮らしをしたが、出戻りして三田市で一人暮らしをしている。


 だから、関西弁百%が普通なんだ。


 だけど、僕の言葉遣いは「関西弁40%、博多弁40%、関東弁20%」くらいだ。福岡の言葉を博多弁とわかりやすくまとめてはいるけど、多分北九州弁も少し混ざっている。


 博多弁が移ったのは、コテコテの博多弁を喋る人と話す機会が多かったためだ。姉が世話になっていたお婆さんが博多弁に少し北九州弁が混ざったような、濃い方言を喋っていた。去年は仕事で一年の半分くらいを博多で過ごし、飲み歩きながら現地の人と交流する中で、濃い方言を操る人と何人か知り合った。


 あとは、僕が推してるVtuberの一人である舞鶴よかとさんが博多弁を話すことが原因だろう。


 博多弁は関西弁との親和性が高く、混ざりやすい。


 関東弁に関しては、関東在住の人と話す中で移ったものだ。ただ、関西弁との親和性が低いため20%程度にとどまっている。



 こんなゴチャ混ぜ方言で話していると、「あんたはどこのもんや?」と言われることがある。親にも言われたことがあるし、飲み屋で隣り合う知らないおっちゃんにもよく言われる。


 そこで「一日中博多弁または関東の言い回しだけで生活する」という実験をしたことがある。「旅行?」と聞かれると、「いえ兵庫から普通に来ました」と返す。すると、飲み屋などでの反応はこんな感じだ。


「なんで自分とこの方言喋らんの?」

「(○○だよと言った僕に)関東の回しもんか?」

「地元が好きちゃうんか?」



 イロイロ言われるんだけど、共通していることがある。


 自分の土地の方言を喋らなければ、地元に対する帰属意識が低いと見なされるということだ。


 ※ただし、実験に使った飲み屋は大阪にあり、大阪府民特有の関東などに対する敵愾心がこれらの言葉には含まれている可能性がある。


 僕の帰属意識が低いかというと、別にそんなことはない。僕は地元・三田市が大好きだし、大阪も神戸も京都も好きだ。和歌山ラーメンもうまいし、滋賀県は琵琶湖だし。


 だけど、他の土地も他の土地の言葉も好きなんだ。


 福岡が大好きで、福岡の言葉が好き。だから博多弁と関西弁が混ざることに自分自身あまり違和感を抱いていないし、抵抗感もない。博多で僕の素の喋り方をすると、現地の人は嬉しがってくれることが多い。僕にとってはそれがとても嬉しい。なんだか馴染めているみたいで気持ちがいい。


 あと、僕にこの方言を移した人たちのことも僕は好きだ。自分が気に入っている人が話す言葉を自分も話してみたい、話せればなあと思うのはおかしいことではないと思う。


 帰属意識はバリバリ高い。

 

 ただ、一生地元で過ごすつもりはないというだけのこと。


 まあ……「え? いつ福岡行くん?」と言われれば返す言葉もないが。

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