「書かねば」「やらねば」と思ってしまう僕の心理
僕は「書かねば」と思うことがある。
ライティングは僕にとって仕事だ。仕事というのは、生きるためにやらなければならないことだ。だけど、数少ないライターの知り合いを見るとみんな「書かねば」とは言わない。みんな「書きたい」と言う。
小説に関しても、最初は「書きたい」という純粋な気持ちで書きはじめる。プロットを書いているときは、とにかく早く書きはじめたいと思う。
だけど、書いているうちに「書かねば」に変わることがある。自分の小説が読まれているうちに次を書かないと。忘れられたくない。忘れ去られたくない。そんな気持ちだ。
僕は、何に対してもそうだけど「忘れられたくない」と思う傾向がある。
たとえば、人間関係。
連絡を取らないと忘れ去られそうで怖い。よく飲み会をしている友達に関しては、そんなことを思わない。あんまり会わない友人に対しては、そんなことをよく思う。
人間関係は移り変わるものだから。人間関係は、その人の中でどんどん更新されていく。新しい同僚、新しい後輩、新しい先輩、新しい友人、新しい恋人、新しい家族。更新されていく人間関係の中に埋もれてしまうのではないか。不安になってしまう。だから、僕という存在を更新させようとして、連絡を取る。僕から人に連絡を取るときの動機の半分が、こんな感じだ。
中学生くらいの頃からお世話になっているお姉さんに対しても、そう思う。他人が自分のことを大切に思っているということを、どこか信じられない。
他のことにたいしてもそうだ。
何かをし続けなければ。何かを思い続けなければ。混沌としているモノゴトの濁流の中に飲み込まれ、埋もれ、消えてしまうような気がする。だから、小説も書かねばならないという気持ちになる。仕事ではなく趣味のはずなのに。
だけど、同時に僕はこうも思う。
別に、いいじゃないか。
少々連絡を取らなかったくらいで忘れられてしまうのなら、それは自分の存在がはじめから薄かっただけのことだ。自分の中で存在が大きい人物のことは、長年会っていなくても忘れたりはしない。顔や声が思い出せなくはなるけれど、会えばすぐにわかる。
自分の中で存在が大きい物語は、自分の中に残り続ける。詳細には思い出せないかもしれないけれど、「こういう物語だ」と起承転結くらいは語れる。実際、あまり見返していない作品だとしても、存在が大きければ忘れることはなかった。僕にとっては「東京マグニチュード」や「コードギアス」「バタフライエフェクト」などがそうだ。
そう言い聞かせて、僕は「やらねば」と思う自分を宥めすかせている。
めんどうくせえ奴だなあ! と思うけどね。自覚はあるよ。
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