書いていなければ落ち着かない。

 僕は文章を書くのが特別好きだというわけではない。ライターの仕事を始めた当時は文章を書くのが嫌いだった。高校生の頃、国語表現など文章を書く機会が多い授業を多く選んでいたにもかかわらず文章を書くのが嫌いだったのだ。僕の母校は総合学科という、自由に授業を選べる学科が主だった。僕はその学科の生徒で、好き勝手に授業を選び、受験科目を取っていなかったことで激しく後悔した。

 あの頃の自分が「僕は文章を書くのが嫌いなんだよー」と周りに言っても「嘘つけよ」と笑われたと思う。それくらい文章を書く機会を自分から生み出していた。

 正直、書くのが嫌いだった理由は思い出せない。自分自身と向き合うのが辛かったからか? 当時の自分はそこまで深く考えて文章を書いていないから違うだろう。文章を書くというのは孤独な営みだからだろうか。いや、当時の自分はやはり読者のことなど深く考えていなかったから違うはずだ。

 大した理由が思いつかないのに文章を書くのが嫌いだった。

 だけど、僕は「書いていなければ落ち着かない」と感じる。全く文章を書くことがない人生などは想像がつかないのだ。たとえばライターを辞めるとする。違う仕事に就くとする。その仕事では書類を書くことがあまりないとしよう。そうなれば生きる上で文章を書くというのは不要なことになるわけだ。落ち着かないなあ。なんか違うんだよなあ。結局ブログを書いたりエッセイを書いたりして文章を書く機会を作りそうな自分がいる。

 今こうして文章を書いている時間は「寝る寸前」だが、僕はこの文章を書く寸前にも仕事をしていた。「今日の仕事はこれで終わり」としたにもかかわらず、「後少しだけ」と言いながら1時間延長したのだ。そして「寝るまで少しゆっくりするかあ」と思ってもまた文章を書いている。どう考えても頭がおかしい。何だこいつは。文章ジャンキーか。大してうまくもないくせに。

 フリーライターとして活動し始めて数年が経ち、文章嫌いだった僕は文章中毒者になってしまったのだ。


 僕は文章を書くのが特別好きだというわけではない。最早、好きとか嫌いとかいう次元の話ではないからだ。僕にとって文章を書くという行為は、食事と同じくらい日常の中にある「当たり前」なのだ。

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