思い出飯その1:小麦粉焼いたん

 溶けるような暑い日々が過ぎようとしている。連日の雨と曇。微妙な天気。この天気が若干の涼しさを運んできたのだろうか。来月の今頃にはお気に入りのライダースを着ることができそうだ。ああ楽しみだ。非常に楽しみだ。ワクワクする。ふふふ。

 仕事をしながら秋の到来に期待していると、腹が減った。冷凍庫には米がある。ただ、冷蔵庫には玉ねぎしかなかった。玉ねぎだけを調理しておかずにするのもいいが、寂しい。僕は小銭入れに入っている800円を握りしめて近場のスーパー、トライアルに向かった。

 何を買うかはなんとなく決まっている。米以外の主食だ。冷凍うどんもいい。5食入り180円程度で買える。玉ねぎと一緒に焼けば焼きうどんになるだろう。ただ、僕の気分は「粉」だった。粉モン。関西人の粉モン魂は僕の体内にも遺伝子レベルで受け継がれている。小麦粉売り場に向かうと、目を疑うものが置いてあった。

 薄力粉1kg99円(税込)。

 即決。

 小麦粉を買うとなれば、あとは決まっている。キャベツだ。まだ余裕がある。玉ねぎも買おう。お好み焼きソースも90円程度のものがあった。切らしていたので購入。後は適当に40円程度の格安コーラを三本と、魚肉ソーセージと大福を買う。


 帰宅後、僕は腕まくりをして調理場に立つ。キャベツの芯を取り除き、みじん切りにしたあと包丁を垂直に入れて粗く刻む。ラーメンどんぶりに小麦粉を入れ、水を適量入れる。入れすぎた。小麦粉を追加して整える。そこに刻んだキャベツと粉末出汁を入れた。鉄フライパンをチンチンに熱する。油を少し多めに入れて、またしばらく熱する。

 白煙が出始めたら火を弱め、キャベツの入った生地を半分フライパンの上に垂らした。瞬間、ジュゥゥゥっと力強い音が聞こえる。フライパンの熱で出汁の香りが立つ。ふんわり香る鰹節の匂いにグゥーと腹が鳴る。緩めに作った生地は瞬間的に広がった。次の瞬間には端が固まっていく。しばらく生地の焼けるのを眺めていると、生地がフライパンの上を滑るようになる。片面が焼けた合図だ。フライパンを振って裏返し、裏面も焼く。キャベツが焼けるときの香ばしいような青いような匂いがした。

 菜箸で触りたくなるのを抑えて待つ。待つ。待つ。今だ! 皿の上に取り出すと、生地は立派なキャベツ焼きになっていた。

 二枚目も作り、フライパンの手入れをし、ソースをかける。少量のキャベツが生地の中心に寄っている。薄く焼いたキャベツ焼き。見た目はあまり良くない。貧乏飯然としている。だけど、ソースをかけた瞬間にこいつはごちそうに変わる。

 満を持してキャベツ焼きを口に運ぶ。はふはふ。熱い。カリッとした感触が前歯に当たる。思い切って噛む。噛んだ瞬間はカリっとしていて、しばらくするとその食感はモチモチに変わる。その中にキャベツのシャキシャキ感が隠れていた。隠れんぼで最後まで見つからなかった子供のように、申し訳無さそうに、だけどしっかりと自己主張をしている。


 僕は、時々小麦粉を焼きたくなる。


 19歳から20歳の間だけ、僕は京都に住んでいた。当時は今よりもずっと金が無かった。稼ぎが少ない上に演劇で使う化粧品で使ってしまうのだ。さらに部員同士の付き合いもある。遊びの金も必要になる。食費は1万円~1.5万円程度だった。当時専ら世話になっていた食材は豚肉とれんこんと玉ねぎと小麦粉だ。

 豚肉とれんこんを焼き肉のタレで炒めるのが凄く好きだった。タレは自家製のときもあるし、エバラ辛口のときもある。れんこんによって食感に違いが出るのがまたうまい。簡単手軽うまい。勧めたいズボラ飯の一つだ。


 そんな食生活をしていたある日、食費が底をついた。家にある食品は米、小麦粉、調味料類だけだった。水は水道代が家賃に含まれているため使い放題。家賃は当時親が支払ってくれていたため、実質無料だった。

「野菜もない。肉も買えない。卵も納豆もないんじゃ米食ったってしょうがない。どうしたらいいんだ……」

 演劇部は体力を使う。エネルギーのあるメニューでなければならない。部活に弁当として持って行くことができる必要もある。白米だけ持っていくのもいいかもしれない。だけどそれじゃあまりにも同情を買いすぎるじゃないか。なにか恵んでくれと言っているようなものだ。

 考えた末、僕が手にとっていたのは小麦粉だった。小麦粉をボウルの上に入れ、底に水を加える。混ぜる。ダマになろうとなんだろうと混ぜる。それをただフライパンで焼き、ソースをかけて食べた。これがかなりうまい。出汁がなくても食感がお好み焼きみたいになっていてソース味がすれば、それはもうお好み焼きなのだ。これならボリュームも出せるし同情も買いすぎない。最適だった。これしかなかった。

 飽きたときには食べられる雑草を入れて焼いた。若干クセがある草だとしてもソース味にしてしまえば気にならない。

 僕はこれを「小麦粉焼いたん」と称して食べていた。そのままだ。実家で出てくる「小芋の炊いたん」という料理が好きだったため、この名前にした。今思えば「プレーンお好み焼き」とかもっと良い言い方があったかもしれないが。


 キャベツを入れればキャベツ焼き。玉ねぎを入れれば玉ねぎ焼き。ニラを入れればニラ焼き。ネギを入れればネギ焼き。それはもう立派な料理だ。貧乏飯と言われれば確かにそうかもしれない。

 だけど、小麦粉焼いたんは粉物の基礎中の基礎だ。クレープ生地にホイップクリームとチョコソースだけをかけた「プレーン」と何が違うのだ。何も変わらない。

 ちなみに、小麦粉焼いたんは出汁を使わず、ソースをジャムやはちみつにすればおやつにもなる。


 小麦粉焼いたんは、僕にとって「金が無くても好物の粉ものが食える」最良の選択なのだ。

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