第115話 食道癌1

 ベルホルトの迷走から何日か経った。

 その間、診療所でたいした事件が起きたわけでもなく日々は過ぎている。と、思っていた。


「男?」

「うむ、レナが俺の知らん男と歩いていた」


 な……んだと? レナが知らない男と一緒に歩いていた?


「あ、それはたぶ………モガッ」

「ローガン、ちょっと待って」

「なんだよ、マイン」

「少しだけ。反応を見るのよ」

「反応?」


 そりゃレナにだってプライベートはあるし、四六時中僕と一緒にいるわけでもない。一緒に住んでいるけども、それは仕事仲間というか相棒というか大切な人ではあるけれども。レナが何をしていたとしても僕に何かを言う権利なんてものは全くなくてだな。

 いや、待って。別にベルホルトが見たという男がレナと何かをしていたわけではなく、たまたま歩く方向が同じだっただけかもしれないではないか。いやいや、何かをしていたとしても僕には全く関係のないことで……いや、レナは大切な仲間だから……。


「嫁に裏切られることのないようにな」

「よ、……レナは嫁じゃないよ?」

「あ? 一緒に住んでいるではないか」

「それは仕事仲間だし、住み始めた時は診療所を作るために節約しなくちゃならなかったから……」

「何を言っているか分からんが、男としてケジメはつけるべきだろう」

「いや待って、そういう関係じゃなくてだね」

「すげえ、あの先生がベルホルトなんかに正論で押されている」


 なんかとはなんだとローガンの言葉に反応したベルホルトはそれ以上僕とレナの関係についてとやかく言ってくることはなかった。


 レナだって、こんなおっさんと一緒にされるのは迷惑だろう。特に僕は肉体年齢はともかくも、精神年齢はそれなりになってきている。二十代の娘さんとそういう関係になるというのは何か違うような気がする。いや、それ以上にレナにだって選ぶ権利があるはずで、誰とそういう事になろうともレナの自由である。

 しかし、レナは……大切な仲間だ。そう。大切な仲間だ。それがどこの馬の骨とも分からないやつと仲良しになるなどというのは仲間として許容できないというのはある。仲間としてレナの幸せを願うというのはどこも不自然なところはないはずだ。

 そうだ、これは娘の成長をみる親のような心でだな。後輩の私生活を心底心配する先輩のような心でだな。うん、そうだ。そうに決まっている。一緒に暮らしているし、レナは家族のようなものだしな。僕が心配するというのは当たり前のことだ。うん。



 ***




 先生が用事を思い出したと言って出ていった。なんと診療所をベルホルトに任せてだ。


「マイン、さっきは何で止めたんだ? レナさんは領主館の魔法使いたちの特訓に付き合って欲しいって言われていたじゃないか。迎えの騎士と一緒に歩いていただけだろう? 先生もそのことをすっかり忘れているのか、それともレナさんが伝えた時に診療に没頭していて上の空だったか……」

「そうじゃないのよ。先生の反応をしっかりと見ておかなきゃ」


 何故か横でサーシャさんが苦笑いしながらもうなずいている。どういう事だろうか。


「さあ、尾行するわよ。正確には尾行の尾行ね」

「え? ちょっと、どういう事?」


 マインは俺を引っ張って診療所を出ていく。サーシャさんには何のことなのかが分かっているようだったが、俺にはさっぱりだった。


「ローガン、貴方は本当ににぶいわね!」

「んな事言われたって……」

「レナさんに男ができたんじゃないかって、先生は思ったのよ。あの表情見た? それでいてもたってもいられなくなってレナさんの後を追っていったのよ」

「な、なるほど」

「今回は完全に先生の勘違いなんだけど、それで変なことをする前に止めるって役割と、先生がいかにやきもちをしていたかってのをレナさんに後で伝えるってのが私たちの使命よ!」

「使命なんだ」


 しかし、先生がやきもちか。あんまり想像ができない。そしてマインが生き生きとしている。


「さあ、見つけたわよ。やっぱり心眼を使ってレナさんの魔力の残りを判別しようとしているわね」


 マインが指さした先には辺りをキョロキョロと見て回る先生の姿があった。特に地面をじっと見ながら歩いている。俺も心眼を使ってみると、たしかに先生の目に魔力が集中しているのが分かった。本当に心眼を使いながらレナさんの後を追っている。


「まあ、当たり前だけど領主館の方角だな」

「ええ、そうね。先回りするわよ。心眼を使っているから、視界に入れば見つかる可能性もあるわ」


 レナさんは直接領主館に向かったわけではなく、途中で誰かと合流したようだった。先生はその方角に寄り道をした後に領主館へとやってきた。


「来たわね」

「来たな」

「さっそく領主館の中に入る算段を考えているようね」

「普通に正面から入れば、先生ならば顔パスだと思うけど」

「先生がそんな事するわけないわ。たぶん、こっちに来るわよ」


 すでにマインは先生の行動が読めているようだった。というよりもレナさんが何をしているのか分かっている俺たちはすでに訓練場が見える場所に陣取っている。おそらくは先生もこの辺りに来るのだろうから、少し離れたところだ。


「あ、無駄にSランク冒険者の技術を使って領主館の見張りの目をかいくぐっているわね」

「盗賊顔負けの足取りだな」


 反対側に小石を投げて一瞬視線をそらした隙に移動するとか。本当にSランクの無駄遣いをしている。この場所じゃなかったら先生の行動は本当に見えなかっただろう。


「なんか、先生にもああいう一面があるんだなあ」

「レナさんの事だからね」

「まあ、そうなんだろうけど、先生はレナさんの事をどう思っているのかな。レナさんの方は分かりやすいけど」

「それを確かめるためにここに来たんじゃない」


 しかし、肝心のレナさんはなかなか訓練場には顔を出さないようだった。先生はそわそわしながらも訓練場の外で潜伏を続けている。先生の心眼にはレナさんが近くにいるのが見えているのだろう。本当に心眼の無駄遣いだ。



「あー、君たち? ちょっとお話を聞かせてもらえるかな?」

「「あっ」」


 そしてSランクのスキルのない俺たちは巡回中の騎士に見つかってしまった。

 俺たちは詰所に連れていかれたあとに騎士の人にあまり領主館には近づかないようにと説教され、解放された。解放された時にはもう先生はいなかった。

 こうして俺たちの使命とやらは終わりを告げたわけであるけど、このあと先生がどうなったかを見ている人はいない。

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