第114話 スティーブンス・ジョンソン症候群6
経験の浅い者によくありがちなのが「おそらくそうだろう」と考えた状態で、他の可能性を考えずに診断をすることがあるということだ。
ベルホルトがこの患者の皮疹を見てスティーブンス・ジョンソン症候群だと思ったというのは論外だとしても、ローガンが甲殻類によるアレルギーだと思っているというのも実は問題なのである。
ローガンは最初にこの患者の皮疹を見たときに頭の中が甲殻類アレルギーで埋め尽くされてしまった。そしてその推理が正しいという事を確かめることしかしていなかったのだ。しかし、実際にはそうではない。
「鑑別診断って言ってね……」
可能性のある病気を全て挙げて、その中から一つ以外を全て否定してしまうことによって診断を確定させる方法である。診断の落とし穴にはまることを防ぐことができる。その考え方からするとローガンの話の聞き方というのは良くない。そして、この患者の皮疹を見たときにアレルギー以外のものも考えなくてはならなかったのだ。
見たところ、皮疹は全身にでているわけではなかった。顔と、両手が主体である。そして最初は呼吸困難でやってきたと言ったが、重度のアレルギーが出ている状態で気道も腫れ上がって呼吸困難が出たとしたら、今こんな状態で診療所に寝ていることができるとは到底思えない。そしてアレルギーの原因が食べたものならば、消化管症状がでて嘔吐していることも多いはずだった。
僕は今までの経験から、この患者の病態が予測できる。これは甲殻類アレルギーではない。
「まず、息が苦しかった時はどんな感じで気づきましたか?」
「えっと、両手にブツブツが出てしまって。それに気づいた母ちゃんが顔にも出ているって言うから、呪いじゃないかと思って……。そしたらどんどん息が苦しくなって、あわてて治癒師さまのところに行ったんだけども……」
「息が早くなりませんでしたか?」
「ええ、かなりはやくなってしまって」
「手先がしびれたりとか?」
「そ、そうです! 指がしびれてきました」
ローガンの聞き方はこれとほとんど同じだ。僕はこの患者の呼吸困難感は、緊張によって呼吸回数が上がる過換気症候群だったのではないかと推理したわけだ。他の病気が隠れているかもしれないのに、過換気症候群に当てはまることばかり聞いてみた。本来ならば患者の方からこの症状を訴えやすい質問をしなければならない。
「さて、この話の聞き方でこの方がなんで呼吸困難を訴えたのかと、この聞き方の何が悪いのかを考えておいて」
「「!?」」
ベルホルトどころか、ローガンにも分からないだろう。ここで教えてもいいけど、それではこの二人はいつまで経ってもきちんとした問診がとれないままでいてしまうために、あえて考えさせてみようと思う。もちろん、タイミングを見て助け船を出すのも忘れないようにしなければならない。
「次にこの方の皮疹の範囲を確認したかい?」
「ええ、顔と両手が中心です」
「右と左に差があるのが分かるかい?」
すでにベルホルトは僕が何を言いたいのか分かっていないようだった。ローガンは必死に何かを考えている。
「さあ、そうしたらせっかくベルホルトがステロイドを用意してくれている事だし、サーシャさんが軟膏を塗り終わったらステロイドを点滴することにしようか」
僕はサーシャさんに手袋をつけるのを忘れないでというと、ローガンとベルホルトには休憩室に戻るように伝えた。
***
「ねえ、シュージ。私も何なのかわかんないんだけど」
「ああ、ローガンが変な問診をしてしまったからね。僕らの中には間違った先入観というのができてしまったんだ。レナもあの話を聞くと甲殻類のアレルギーだとしか思えなかっただろう?」
「……アレルギーではないってこと?」
「さあ、それはどうかな」
手袋をしたサーシャさんが軟膏を塗り終わって、僕は薬を点滴するということを患者に説明した。まだまだこの世界には点滴をしらない人が多く、直接血液の中に薬を投与すると言っても抵抗を示す人が多い。
「ところで、朝ご飯食べる前に何か作業をしていたんじゃありませんか?」
「ええ、知り合いに頼まれて染料を買ってきていたんですが、それを瓶に小分けしていて……」
「少し、手についてしまったと」
「……そうなんです。もしかして、それが?」
「ええ、おそらくはそれが原因でしょうね」
手に触れた染料はそこまで多い量ではなかったという。手も顔も水で洗ったあとだと言ったが、僕は念のために
「その染料が原因のかぶれですね。少量ですが、両手に付いた状態で顔も触ったのでしょう」
「ああ、作業中は結構手が汚れることが多くて」
農夫ということもあり、その両手は汚れがちだった。仕事を頑張っている良い手だとは思うが、医学的には良くない。完全に清潔すぎると言うのもいいわけではないが、不衛生が病気にもつながる。
「漆、みたいなものかな?」
僕は他にも皮疹の原因となるものがないかとか、他の病気を否定できるような要素があるかというのを含んだ質問をいくつかした。結局、その染料でかぶれたというのが妥当な診断だろうと判断し、ステロイドの点滴に効果があるだろうと判断した。
おそらくはその染料を入れている容器の外側にもついているはずで、しっかりと洗うなりふき取るなりするように指導したのちに、その患者は帰っていった。明日にも来てもらって皮疹がどれだけ良くなったのかと、原因である染料を持ってきてもらうように指示をした。
「さて、分かったかな?」
休憩室にいたベルホルトとローガンに声をかけたのはその後だ。
「わ、分からん」
「俺も全く分からないです」
二人ともに落ち込んでしまっている。でもそれは二人ともに本気で診療にあたっていたということでもあり、僕はさきほどの診断を詳しく説明しようと決めた。それからローガンは必死になって教わった部分の事柄を復習し、逆にベルホルトは何かを考えこむようになって製薬室にこもるように過ごした。
数日後、ベルホルトは神妙な顔をして言った。
「分かった。俺に診断は向いていない。だが……」
その手にはさらに濃度が向上したステロイドの瓶が握られていた。
「だが、薬を作ることにかけてはお前にも負けないはずだ。俺にはそれしかない。それで生きていくしかないんだ」
医者への道ではなく、製薬を主体とした薬剤師への道を進むというのだ。たしかに魔法に関しては天才的で製薬魔法も得意のようだ。やる気も十分にある。しかし、僕は何かがひっかかった。
「ん?」
何か思いつめているようだけど。
「それしかないって……もともとベルホルトは自称「神の癒し手」の超優秀な治癒師だったんじゃないの?」
「あっ……」
あっ、ってお前。世間一般ではお前のような行動を迷走してるって言うんだよ
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